パリからブリュッセルに向かう電車の中で、たまたま隣に座った中年の英国人男性と、イスラエルのことで話が盛り上がったことがある。彼は、ユダヤ人は異邦人に対して、とりわけアラブ人への蔑視は、相当なものだと力説していた。こんな話をする時は、勢い小声になってしまう。

 

  ユダヤ人1人の命は、アラブ人100人の命に相当するという話がある。今回のイスラエル軍によるガザ地区攻撃では、すでに1000人以上のパレスチナ人が死亡している。理屈から言えば、選民であるイスラエル人10人の血の代価として、1000人のアラブ人を殺害するのは、彼らにとっては当然のことと言えるかもしれない。

 

  どんな宗教でもそうだが、思考停止した信仰者ほど恐ろしいものはないと私は考えている。信仰を持っていたとしても、不条理な現実世界に生きている限り、葛藤がある方が正常で、何も感じないのは異常というしかない。

 

  ユダヤ教徒もイスラム教徒も、あるいはキリスト教徒でも、原理主義に陥り、過激な行動をとる者の多くが、実は本来、日和見主義で物事を深く考えない軽薄な人間が多いといわれている。英国やフランス、ドイツでイスラム過激派の手先になる若者のほとんどが、そういう人種といわれている。

 

  信仰による行動の正当化は、良心を吹き飛ばす危険性をはらんでいる。ユダヤ選民の行く道を妨げる行為は彼らにとっては迫害でしかない。最終的に独善主義に陥り、他人の命や心が傷つく痛みを感じる感性はマヒし、ただ、自分たち以外は、どんな悲惨な目にあっても何も感じなくなる。

 

  シモン・ペレスは、ルモンド紙への寄稿の中で、イスラエル建国以来、パレスチナ人の心の痛みなど考えたこともなかったと書いている。ハマスがどんなテロ集団だとしても、「目には目を、歯には歯を」の旧約的思考パターンでは、恩讐は増すばかりだ。ブッシュ政権も、それで失敗した。

 

  ヨーロッパに長年住んでいると、反ユダヤ的感情が芽生え、アラブへの同情心が生まれてくる。複雑な心境だが、両者共に独善的で被害者意識が強く、分離主義者であることに間違いない。あまりにも長い戦いが、同じ人間という感性を消し去っているのが悲しい。