Leader

 日本は過去において日本文化に深く根差した経営手法で成長を遂げてきました。その典型は家族的経営や組織信仰で、会社への限りない愛着が創業者や経営者を支え、入れ替わる経営者も強い愛社精神で選ばれてきました。いい方を変えれば「心で繋ぐ経営」でした。

 30年間のマイナス成長や低成長時代を経験する中、会社や組織への忠誠心を支える終身雇用や年功序列は徐々に消えていき、同時に急速な技術革新が求められ、グローバル化の波の中で多様性が重視され、超内向きの日本的経営は大企業でさえ、岐路に立たされている印象です。

 そんな中、経営トップの人選の仕方に注目が集まっています。某大企業のカリスマ会長は、外部からの大胆に登用したトップの下で育てた人材は、ヘッドハンティングされ、せっかく投入した優れた人材を活かせなかった経験から、「やっぱりトップはプロパーじゃないと」と言い出しているという話を聞きます。

 新卒採用からのたたき上げで、会社の隅々まで知っていて、何よりも会社への非常に強いエンゲージメントを持つプロパー人材でなければ、トップには据えられないという日本の伝統的考えです。個人的には、この考えには2つの問題を感じます。

 1つは、儲かるためには手段は選ばないというもので、たとえ、それが時代遅れでワークライフバランスや多様性を軽視したものであっても、会社への忠誠心を前面に掲げるもので、会社のロジックに個人が最大限合わせることを当然とするという意味でガバナンスに問題があるという側面です。

 もう一つは、果たして激変するビジネス環境の中で、Z世代を含む新しい世代や非日本人に通用する職場を提供できるのかという問題です。上司に忖度し、個人の価値観を無視し、会社のロジックに自分を合わせることでビジネスがうまくいけば、個人は報酬で報わるというという理屈だけで、人を会社に繋ぎとめられるかという疑問です。

 日本は過去にない曲がり角にあり、日本人のメンタリティーを最大限重視した人の管理を前面に出し、プロパー人材をトップに据える有効性を主張する過去に回帰する動きもあれば、この際、先を見据えてグローバル企業に生まれ変わるためのまったく新しい経営に踏み出す企業もあるように見えます。

 しかし、それ以上に重要なことは、高い見識を持ち高度な判断ができ、強い決断力と執念を持って組織を率いる人材育成に何が必要かを考えることだと思います。それは現実の仕事に追われ、充電する時間もパワーも持てなければ、忙しいだけの環境しかなければ、トップ人材育成は無理です。

 転職自体が否定的に捉えられていた時代に当然とされた経営手法は終わりを迎えて当然です。それ以上に仕事最優先のメンタリティーそのものが燃え尽き症候群を起こす環境を作っているといえそうです。兵隊よりも優れたリーダー育成に重心を移せば、おのずと答えは出てくると思います。