「モナリザ」の作者であり、イタリア・ルネサンスを象徴する巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチの母、カテリーナはコーカサス地方から連れてこられた奴隷だったという新説が、このほどルネッサンス研究で知られるナポリ東洋大学のカルロ・ヴェッチェ教授から発表されました。
同教授の主張に従えば、ダ・ヴィンチは純粋なイタリア人ではなく、半分はコーカサス地方の血が混じっていたことになります。数百年に1人しか生まれない天才、ダヴィンチは画家だけでなく、科学者であり、人体解剖学者であり、さまざまな実験を繰
り返した驚くべき足跡を残しました。
著名なダ・ヴィンチ研究者のヴェッチェ氏は、長年、古い文献などを解読し、最終的にフィレンツェ公文書館で貴重な資料を発見した結果、今月14日にフィレンツェにて自身の小説の発表に合わせ、「天才ダ・ヴィンチの母親はコーカサス地方から連れてこられたチェルケス人奴隷だった」と主張しました。
これまで一般的にはダ・ヴィンチの母親は、イタリア・トスカーナの農民で公証人の男との間に生まれた非摘出子とされていました。個人的興味から、そのヴィンチ村に行ったこともあります。彼の生まれた家も残され(本当かどうかは分からない」、美しいトスカーナの自然が村周辺に広がっていました。
美しい自然が広がるヴィンチ村
これまで一般的にはダ・ヴィンチの母親は、イタリア・トスカーナの農民で公証人の男との間に生まれた非摘出子とされていました。個人的興味から、そのヴィンチ村に行ったこともあります。彼の生まれた家も残され(本当かどうかは分からない」、美しいトスカーナの自然が村周辺に広がっていました。
美しい自然が広がるヴィンチ村
同教授によれば、「彼女は出身国であるコーカサス山脈から誘拐され、コンスタンティノープル、そしてヴェニスで何度か奴隷として売られ、転売された女性で、最終的に若い公証人、ピエロ・ダ・ヴィンチに出会い、ヴィンチ村でダ・ヴィンチを出産したというのです。
ダ・ヴィンチは叔父に可愛がられ、自然を科学的に見る目が養われたといわれています。その後、父によって、ヴィンチ村から芸術豊かな大都会フィレンツェに移動させられ、絵を学び、巨匠となったわけですが、母親の話は途切れています。
今回、ダ・ヴィンチの母に関する本を出版したヴェッチェ氏は、レオナルドに関連するすべての資料を何年も追跡し、ダ・ヴィンチの父親、ピエロ・ダ・ヴィンチが1452年に書き残した貴重な文書に遭遇したとしています。
「最も重要なことは、レオナルドの父が直接書いた文書だということ」と述べ、母、カテリーナは、ダ・ヴィンチの父親と出会い、恋をすることで、女として自由を得たとしています。
この主張で、従来の説であるダ・ヴィンチは、ピエロ・ダ・ヴィンチが農夫の女と関係して生まれた非摘出子との説が覆されるかどうかは不明です。ヨーロッパでは農夫や家政婦との不倫は一般的で、多くは生まれた子供も母親も認知されず、悲惨な運命を辿る例が多いのですが、万能の天才とされたダ・ヴィンチは認知され、叔父にも愛されたということです。
ヴェッチェ教授の新説ができすぎているという指摘は、周りの研究者から出ているし、その女性が自由を得たという文脈は、現代の文脈による勝手な解釈かも知れません。身分制度が徹底していた当時の社会では、ありえなかったかもしれません。
しかし、ダ・ヴィンチが自分の出生を知っていたことが、芸術家としての人生に大きな影響を与えたことは否定できないでしょう。それも、もしコーカサス地方の血が入っていたとなれば、なおさらです。時はルネッサンス期から宗教改革が起きる大きな社会変化が生じた時期です。
そろそろ自由という概念が出てきても、おかしくない時代背景もあります。それに異なった血が混じることで、優れた人間が生まれるという例にもなります。確認のしようがない話ですが、ダ・ヴィンチの遺骨からDNAが検出されれば、コーカサス地方のDNAが発見されるかもしれません。
2019年暮れ、ルーヴル美術館で開催された史上最大規模の「ダ・ヴィンチ展」には、なんと3か月で100万人が訪れる記録を残しました。クリエーターであり、科学者で解剖学者、兵器の設計までこなした天才の足跡は、AIやビッグデータの時代に人間に残された芸術と科学を体現した人物として興味が尽きないものがあります。
ダ・ヴィンチは叔父に可愛がられ、自然を科学的に見る目が養われたといわれています。その後、父によって、ヴィンチ村から芸術豊かな大都会フィレンツェに移動させられ、絵を学び、巨匠となったわけですが、母親の話は途切れています。
今回、ダ・ヴィンチの母に関する本を出版したヴェッチェ氏は、レオナルドに関連するすべての資料を何年も追跡し、ダ・ヴィンチの父親、ピエロ・ダ・ヴィンチが1452年に書き残した貴重な文書に遭遇したとしています。
「最も重要なことは、レオナルドの父が直接書いた文書だということ」と述べ、母、カテリーナは、ダ・ヴィンチの父親と出会い、恋をすることで、女として自由を得たとしています。
この主張で、従来の説であるダ・ヴィンチは、ピエロ・ダ・ヴィンチが農夫の女と関係して生まれた非摘出子との説が覆されるかどうかは不明です。ヨーロッパでは農夫や家政婦との不倫は一般的で、多くは生まれた子供も母親も認知されず、悲惨な運命を辿る例が多いのですが、万能の天才とされたダ・ヴィンチは認知され、叔父にも愛されたということです。
ヴェッチェ教授の新説ができすぎているという指摘は、周りの研究者から出ているし、その女性が自由を得たという文脈は、現代の文脈による勝手な解釈かも知れません。身分制度が徹底していた当時の社会では、ありえなかったかもしれません。
しかし、ダ・ヴィンチが自分の出生を知っていたことが、芸術家としての人生に大きな影響を与えたことは否定できないでしょう。それも、もしコーカサス地方の血が入っていたとなれば、なおさらです。時はルネッサンス期から宗教改革が起きる大きな社会変化が生じた時期です。
そろそろ自由という概念が出てきても、おかしくない時代背景もあります。それに異なった血が混じることで、優れた人間が生まれるという例にもなります。確認のしようがない話ですが、ダ・ヴィンチの遺骨からDNAが検出されれば、コーカサス地方のDNAが発見されるかもしれません。
2019年暮れ、ルーヴル美術館で開催された史上最大規模の「ダ・ヴィンチ展」には、なんと3か月で100万人が訪れる記録を残しました。クリエーターであり、科学者で解剖学者、兵器の設計までこなした天才の足跡は、AIやビッグデータの時代に人間に残された芸術と科学を体現した人物として興味が尽きないものがあります。
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