個人的に日本の衰退も権威主義の国に対抗できないのも、ひたすら優れた指導者がいないことにあると考える筆者の関心の一つは意思決定スタイルにある。さまざまな論文を読み進める中、非常に違和感を覚える解説に遭遇した。
それは、日本の大企業が意思決定でワンマンを嫌い、意思決定で合議制にこだわったのは、日本が勝てもしない対米戦争を突き進み、結果、人類史上最初で最後といわれる核爆弾を落とされ、多大な犠牲者を出して敗北した教訓から、天皇を中心とした一方的意思決定の間違いを繰り返さないためだったという解説だった。
一見、論が整っているように見えるが、強い違和感を感じ、そのことに詳しい専門家数人に質問した。結果は、その解説に決定的に欠けていることが指摘された。私は戦前の日本の組織がどんな意思決定のスタイルを持っていたかには明るくなかったが、この議論で新しい発見もあった。
そのことに詳しい人たちは、まず、太平洋戦争は軍部の暴走が圧倒的に大きく、平和を重視する民間人、特に教養ある人々は反対していた事実がある点が抜け落ちていることだった。無論、民間人の中には軍部に寄り添って莫大な富を築く者もいたが、多くの民間人には迷惑な話だった。
財閥系の企業も戦争となれば協力せざるを得なかったが、苦しんでいたのも事実だ。つまり、典型的なトップダウンで知られる軍部が主導していた。
一方、明治維新以降の日本をけん引したのは、明確な階層性のあった江戸時代に形成されたエリート層が、明治天皇の方針に従い、しっかり西洋に学ぶことで驚異的なスピードで近代化を実現したことだった。経済をけん引したリーダーたちは、いい意味での教養人であり、いい物は何でも取り入れる学習意欲も旺盛だった。
つまり、意思決定プロセスの問題よりは、リーダーとは高い見識に裏付けられた能力が最重視されており、金儲けのためには手段を選ばず、反社会的行為も辞さないなどというのは3流経営者だった。
今、渋沢栄一が再評価されているのも、彼が高い理想を掲げ、愛国心と欧米に肩を並べる国にするための教養と高い見識を持っていたからに他ならない。つまり、日本の失敗は、意思決定のスタイルが問題ではなく、間違った軽薄な考えを持つ軍部指導部にけん引された結果だった。
真珠湾攻撃に向かう山本五十六は、そのことを海軍兵学校の同期で「神様の傑作の一つ堀の頭脳」 といわれた私の同郷、大分出身の堀悌吉に報告した時、プロの軍人として負ける戦争に向かう山本を憐れみ、自身は軍部を去った。
つまり、決定的な判断ミスを犯した原因は、独裁やトップダウンの問題ではなく、意思決定に関わる人間が指導者にはふさわしくない人間がいたことだった。
今や日本の意思決定スタイルに合議制が定着し、その逆効果で誰も責任を取らなくてもいい体質が染みついてしまった。ただ、合議制が優れたリーダーを生まない原因の一つだとしても、合議制の是非を論じる前に高い見識を持ったリーダーが少なくなったことを嘆くべきと私は密かに思っている。
私は指導者教育に熱心なフランスのグラン・ゼコールで長年、教鞭をとったが、フランスのグローバル大企業の経営層には40代も少なくないが、彼らの多くが幅広い知識、特に哲学や歴史を学んでいることは興味深い。
コメント