48495968851_6de3888355_c

 人間は自分が育てられたように人を育てようとするというのが、フランス人の妻と暮らし、子育てし、さらにグローバルビジネスに長年関わってきた結論の一つです。当たり前のことですが、似たコンテクスト(常識)を持つ人間が国や地域の文化を形成しているのは、親から子、子から孫にそのコンテクストが受け継がれるからです。

 よほど居心地が悪ければ、その常識から抜け出そうとしますが、コンテクストの継承は愛情によってもたらされるので、そう簡単には変わりません。私個人は母が満州生まれの満州育ちの引揚者、今なら帰国子女に育てられ、植民地では濃厚な日本文化があった一方、中国文化の影響も否定できない人間に育てられました。

 彼らの共通した特徴は、一方で外地で美化された日本を教え込まれながら、引き揚げてきた日本はかなり違っていたことでした。それに当時すでに国際都市だった大連で女学校に通っていた母は、中国人だけでなく西洋人たちの生活も身近にありました。

 結果的に引揚者の愛国心は外地で純度を増した一方、戦後の日本への失望感も大きかったと母だけでなく、多くの関係者から聞きました。同時に戦後の日本を先進国に押し上げるのに彼らが陰で貢献したのも事実です。ただ愚かな対米戦争を決行し負けたことの影響は大きく、腰砕け世代ができた背景の一つかもしれません。

 そんな中、内心、期待感を持って見ているのがZ世代の行方です。Z世代という言葉は世界的で、ネットが発達し、コミュニケーション革命後に育った世代で国境を越えたデジタルネイティブ、スマホネイティブと呼ばれ、ソーシャルネイティブなのが特徴です。

 生まれた時からデジタルやネット環境が整った中で育った彼らの特徴は、スマホを通じたネット検索、ネットショッピング、SNS、ゲームが日常に定着し、ネット上で共感することに慣れている世代です。一方で個性を大切にしながら、一方で共感も必須です。

 私も研修やコンサルで彼らと接触することが多く、大きな時代の変化を感じています。アナログ時代を生きてきた人間としては、戸惑いもある一方、テクノロジーに対する限りない好奇心から、古い時代にしがみつくつもりもなく、特にこのZ世代には大きく期待しています。

 日本の問題点の1つは、社会人となった若者に社会の掟を強制的に教え込もうとする村社会的側面があることです。1980年代の新人類から始まり、ゆとり世代まで、社会は彼らを飼いならしてきたようにも見えます。特に日の丸が立った保守的大企業と保守的政党の存在は大きいでしょう。

 そういう私も理由は定かではありませんが、グローバル研修を始めた日産自動車はじめ、大半は保守的大企業でした。私自身は海外に長いことから、母同様、愛国心は純化され、日本の優れた精神は大切にしたいと思うし、自分のアイデンティティの一つです。

 ところがZ世代の研修をしてみて分かったことは、日本人としてのアイデンティティを持つ人がほとんどいない事です。だからといって個人のアイデンティティもなく、共感するSNSの中で漂流状態にあると感じました。

 ただ、一方で彼らが意味を感じない仕事はしたがらない、コスパよりもタイマといって時間を大切にすること、嫌な上司、理解不能な仕事、自分のスキルが磨けない職場に留まらないこと、ライフワークバランスを最重視するのは、希望な側面もあります。

 無論、彼らがもし、日本人のいい意味での特徴である仕事を最後までやり抜く強い責任感や労働意識がなくなってしまえば、確実に日本は衰退するのだと思いますが、そこをどう育てるかが課題でしょう。

 最近、気になる事は、そんなZ世代に対して、経験豊富な熟練世代をZ世代を鍛えるという目的でリーダーとしてあてがうやり方です。そのリーダーにもよりますが、デジタルネイティブに対して彼らの個人的満足度より、組織のロジックに公私を従わせる教育が念頭にあるのであれば、成功はしないということです。

 組織と個人がウインウインの関係になるのが理想で、彼らの考えは、旧世代には我がままに見えても、私には期待感もあると見るべきと感じます。それに何より彼らの強みは世界共通のものがあるという点で、日本と極端に異なるフランスを見てきた私は、彼らの声に常に耳を傾けていたいと個人的には思っています。