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 英国で伝統ある古いタイプの日系企業に勤める40代の英国人男性、オリバー(仮名)は、7年目の職場で限界を感じ、転職を考えています。ロンドン支社は繰り返し日本から送り込まれる業務経験豊かな男性によって管理され、その男性は通常、日本本社の意向に非常に忠実です。

 オリバーは自分に与えられた業務をこなすことにおいて不満はなく、むしろ、多少不満があるのは英国人ナショナルスタッフを管理する英国人人事担当者の自分に対する評価には不満があるといいます。英国の場合、上司との話し合いで待遇が改善することは少なくないので、彼も何度か交渉し、報酬は上昇しています。

 しかし、私が相談を受けたオリバーが、なんとも違和感を持つことがある内容は、聞き流せばいい話なのですが、自分が裁かれている気分になり、不快感が募っているといいます。それは2年前にに日本から送り込まれた50代のロンドン支社長が繰り返し「社員の一体化」という言葉です。

 その日本人男性は支社の業績が伸びないと「社員が一つになっていないことが問題だ」として「社員で結束して取り組むように」といい、業績不振の原因は一体化不足にあり、目標達成の最重要事項は社員が団結することだという考えをくり返すそうです。

 オリバーは日本人上司のいう一体化がどうも英国人の受け止める意味と異なっていると感じ、ついていけないと思い始めています。

 この問題は結構、世界中の日系企業で発生している問題で、日本人の側の多くは、一体化に共感できないナショナルスタッフを理解できないでいます。

 日本人には議論の余地のない「一体化」は、たとえばアメリカや中国においては「トップをめざす」、欧米文化にある建前なしの「正直さ」、韓国の儒教文化による長幼の序など、国によって説明不要な常識は存在します。そう書くと「ええ、一体化は普遍的な言葉じゃないの?」といわれそうです。

 たとえば最近、ウクライナ危機への対応で、バイデン米大統領が度々使う「西側が結束してロシアの武力侵攻を止めさせるべき」といいます。トランプ前政権が同盟国まで敵に回したアメリカ第1主義を唱えたのに対して、アメリカだけが重責を担うつもりはない一方、バイデン政権は国際協調が外交の基本路線です。

 たとえば、10兆円を超えるといわれるアメリカのウクライナ支援額ですが、各国のGDP比でみれば、ロシアの隣接する国々に比べれば低い数値です。米共和党はそれでも支援過剰と非難しているほどです。

 話を元に戻しますが、日本人には当たり前の「一体化」が、なぜ英国人にプレッシャーを与えたかというと、日本でいう一体化には部下の上司に対する斟酌、忖度が含まれるからです。横の一体化というより上との一体化に重点があり、そこには部下の上司への従順が含まれるわけです。

 たとえば協調は同等な関係にある人間が組織、国同士が、ある目的で協力し合うことを意味するわけですが、日本でいう一体化はニュアンスが違います。団結という言葉も目標に向かって団結するのか、人間を中心に団結するのかといえば日本人には人間を中心とした方が腹落ちがいいといえます。

 もう一つは農耕文化の影響でしょう。農作業は何人もの共同体の人間の協力がなければ大規模にはやれません。年間を通じて共同体の住人が協力しながら作業するのは不可能です。長い歴史で培われた農耕村社会の伝統が一体化に与えた影響も大きいと言えるでしょう。

 しかし、一体化とか結束は文化、歴史が形作ったもので、日本人にとって当たり前の一体化という言葉は、異文化では容易に通じません。それは今では日本国内でも世代間の違いもあり容易ではないだけでなく、男性、女性、外国人のダンバーシティも進んでいます。

 温度差がある、団結できていない、結束していないということが決定的に組織にダメージを与えるかといえばそうではなく、成果を出すための1つの要素にしかすぎません。それに一体化を強調しすぎると全体主義に陥ったり、少数意見が封殺されたり、一体化できない人間の排除につながる恐れがあり、それはそれでマイナスです。