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ヨハネス フェルメール作「真珠の耳飾りの少女」1664 〜 1667 年、カンヴァスに油彩、デン ハーグ、マウリッツハイス

 今日、世界に確認されているオランダの画家ヨハネス・フェルメールの作品は 37作しかない。そのうち28作を集めるアムステルダム国立美術館で大規模な特別展(6月4日まで)が始まった。映画にもなったフェルメールの謎めいた作品と人物は日本でも人気が高い。

 オランダというかフランドルの画家は、イタリアと双璧をなす西洋美術に重要な足跡を残した。17世紀のオランダの同時代を生きた画家の中で、フェルメールの地位は非常にユニークだ。まずは当時、勢いを増したプロテススタントの国では彼は劣勢のカトリック教徒で、家の中で密かに信仰を保った。

  経済的に恵まれていた彼は生計を立てるために絵を描いたというよりは、何人かのパトロンからの依頼で年に2、3作制作すれば、当時の芸術市場が活気に包まれていたために十分家族を養えた。それに自分の作品をそもそも売りたくない人間だったことから、芸術に対して崇高な考えがあったことが伺える。

 ところが実際には、絵画が教会中心から世俗に拡散していく時代、フェルメールは風俗画家に位置付けられていた。描かれたモチーフはブルジュワたちの生活空間で、愛人や家政婦、音楽のレッスン、手紙の読み書きなどの日常生活の他愛のないものだった。

 左側の窓から日が差し、いつもの部屋の隅でモチーフと空間が描かれ、特別に目を引くようなものは何もなかった。壁には同じ絵や地図が掛けられ、同じ家具、ライオンの頭が彫られた直立した椅子、楽器(ハープシコード、リュートなど)が描かれている。

 フェルメールの絵画が謎めいているといわれるのは、もともと聖画にしろ、貴族や大商人が描いてほしい絵はテーマが明確だったのが、彼は17世紀という時代にあって、何気ない日常に芸術を見出していたからだった。つまり、人間の視覚に入ってくるものを芸術に昇華させる試みを続けた稀有な画家だったということだ。

 19世紀後半から、古典的具象絵画は壊され、その中心にいたセザンヌもピカソも静物画で複眼的なアプロ―チ、デフォルメなどが大胆に行われた。

 世俗画家にカテゴライズされるようなフェルメールが、実はその時代では考えつきもしない実験を繰り返し、1作1作で新たな挑戦を行ったことのユニークさは近代絵画に大きな影響を与えた。それも何気ない日常のシーンを描きながら、観賞者を作者の美の世界に誘い込んだ。

 絵画は125分の1秒や60分の1秒の瞬間を切り取った写真と異なり、時間軸を描き出すことができる。窓から差し込む光は時間と共に変化し、光に照らし出される全モチーフも時間によって異なる姿を見せる。同時に空間、空気も変化していく。人間の目はカメラと異なり、変化する空気も読み取っている。フェルメールはそのカメラ技術にも興味を持っていた。

 私のヨーロッパの経験からすれば、17世紀はすでに科学の時代に入りつつある時代で、芸術、特に画家たちにも化学は影響を与えていた。16世紀に生きたダヴィンチの科学的アプローチがその予兆にもなっている。フェルメールは天文学などにも関心があったようで、描く手法で実験を繰り返したことは十分に想像できる。

 さらにオランダ、ベルギーには職人文化があった。彼らの器用さはヨーロッパ屈指といえる。フランスの貴族はベルギーの職人に仕事を依頼することが多かった。その職人文化において技を極める精神も大いに貢献したことは否定できない。

 フェルメールの絵は、他の多くの優れた巨匠同様、物語性がある。それを読み解く楽しみは尽きない。とにかく、過去最多のフェルメール作品を一か所に集めること自体が大変なことで、その意味でも貴重な展覧会といえる。この特別展が実現したのも14万点といわれる多作のピカソと異なり、37作しか世界に残されていないことだ。