今、世界中でリーダーに問われているのは、ビジネスであろうが政治であろうが、あらゆる組織や集団の構成員が同じ目標に向かって一つになって取り組むにはどうしたらいいかということです。日本で過去には太平洋戦争で愛国心に支えられ、戦後は愛社精神が社員を1つにする企業文化を支えてきました。
そもそも似たコンテクストを持つ日本人は、組織に対する従順さや忠誠心、下が上を支える精神が日本人の血の中に浸透しており、組織を率いるのも人心掌握するのも容易でした。しかし、終身雇用が崩壊し、副業も可能な時代には、異なるマネジメントが必要になっています。
そこで日本でも注目されているのが、自社の存在意義を明確化し、社会に与える価値を示す「パーパス」が企業経営で注目されています。これは今の時代の潮流であるSDGsにも繋がるものです。もともとパーパス経営という考え方は、欧米を中心に生まれたものです。
単純な利潤追求のための企業活動から、その企業の活動が社会的意義を持つという、より公共性、公益性の立場でのヴィジョンやミッションを持つことに重心を移したもので、ミッションステートメントなどといって、各企業の存在意義を再定義しようという動きです。
背景には、若者を中心に利潤追求のためなら環境破壊や社会ルールの多少の逸脱もやむなしという企業の姿勢を嫌う若者が増え、どうせやるなら意義のあることをやりたいという機運が高まっているからです。まずはガヴァナンスのいい加減なブラック企業は敬遠され、コンプライアンスと社会貢献に注力する企業が支持されていることが背景にあります。
日本では企業は公器という考えがもともとあって、多くの日本人は敗戦で何もなくなった時代に国家の再建と日本人としてのプライドを取り戻すために個人の生活より、企業が発展すれば結果的に個人も豊かになり、プライドも取り戻せるという理屈を受け入れ、その背景には愛国心もあったと思います。
つまり、暗黙のパーパスがあったという中で、企業はそれぞれ固有の経営理念を工夫しながら、今日まで成果を出してきたのだと思います。しかし、グローバル化が進み、個人のやりがいがより追求され、終身雇用も消えていく中、根本的なリセットが欧米以上に必要となっています。
そこで重視されるようになったパーパス経営の中身ですが、日本には仏教の教えもあり、内容への理解よりも、お題目のように唱えていればいいという考えもあります。毎朝、業務開始前に社訓を全員で唱える会社も少なくありません。
仏教でお経を唱えるのは、すでに信者の側に救われたい、問題解決したいという動機があるので効果もありますが、企業理念は、働く動機も含めて浸透しなければならないので話は違います。特にグローバルな職場環境では日本人だけが理解し、共感するパーパスでは浸透は無理です。
パーパスの明確化には、誰もが理解でき、共感できるもの必要です。さらに重要なことはリーダーが、そのパーパスと言行一致することです。仏教ならお経を唱える坊さんが夜な夜な夜遊びしていても仏教の教えが確立しているので、その存在感の方が大きいわけですが、企業理念の浸透はそうはいきません。
リーダーがSDGsに貢献する立派なお題目と唱えながら、職場でパワハラ、セクハラを平気で行い、不都合な違法行為を隠蔽しているとすれば、パーパスは骨抜きになってしまいます。つまり、身をもって示すしかパーパスを浸透させる方法はないということです。
それと社員一人一人が当事者意識を持つことでしょう。そのパーパスのために誰がやらなくても自分がやるというコミットメント、オーナーシップが必要です。それは上司の顔色を伺いながらやることではありません。ある意味でパーパスを共有することでは上司も部下も平等です。
人間関係だけを軸に動いてきた日本人にはパーパスの共有というのは、新しい挑戦といえるかもしれませんが、避けては通れなくなっています。
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