
日産自動車と仏ルノーは、長年の懸案だった日産株の出資比率をルノーが引き下げる交渉について合意した。日本を完全に支配下に置きたいルノーにとって、この合意は画期的なものであり、そこには100年に1度しかない電気自動車(EV)化による業態大変革への対応があると言われている。
しかし、何が画期的判断かといえば、フランス政府が背後で力を行使するルノーは、1999年に始まった日産との資本提携で、日産を完全に子会社化することを画策してきた立場からして、その手を緩める判断を下したことになるからだ。その意味で日仏連合は両社も今回認めるように大きな転機を迎えたことになる。
ルノーの日産株の現保有率43%を引き下げることについては過去にも交渉はあったが、ルノーは抵抗した。逆に日産の完全子会社化に抵抗したのは1999年から日産の経営トップに立ったカルロス・ゴーン元会長だった。皮肉なことに、そのゴーン氏は背任行為で地に落ちた。理由は日産の私物化にあった。
ゴーン被告はルノーの会長でもあったが、ルノーはフランス政府も株主であり、日本より厳しい法律もあり、私物化は困難だった。だが、日産の主導権を握ろうとするルノーから守る裏で私物化を進めていたと見られる。自分が再建した大企業の私物化への欲望は、よくある話でもある。
御神輿経営で祭り上げられたゴーン被告は、いつしか神になる幻想を抱いたとしてもおかしくはない。祭り上げた方にも問題があり、ガバナンスの欠落も事件発覚後に批判された。西洋にはない御神輿経営、部下の上司への過剰忖度は、容易にリーダーを堕落させる。だから彼は長居し過ぎたといえる。
一方でルノー本体はフランスの会社だ。フランスの好きな言葉にイニシアティブという言葉がある。フランス人は主導権に拘る国だ。国際機関のトップにフランス人を置きたがるのは、主導権を握ることに異常な執着があるからだ。
だから、フランスのマネジメント手法は欧米で最も中央集権的といわれてきた。マクロン仏大統領の口癖は「決めるのは私だ」だ。ゴーン被告に指導された日産幹部からも同じ言葉を直接聞いた。責任感があっていい一方、どこかで話し合って民主的に決めることとは程遠い。
つまり、支配するかされるかの2者選択しかない考え方で、下手をすると非文明的印象も与えかねない。大陸文化にありがちで中国などとも似ている。今、フランスでは年金改革のストライキの最中だが、マクロン氏もボルヌ仏首相も、どんな抵抗があっても「改革政策を変えるつもりはない」と言明している。
そんな体質も持つルノーが日産の完全子会社化とは逆方向に舵を切る決断をするには、それなりの経済的合理性が必要だ。ルノーに出資してきたフランス政府もコロナ禍、インフレ、エネルギー危機、ウクライナ危機などで経済は疲弊している。差し迫った危機への対応で金がかからないものは一つもない。
政府の財政問題だけでなく、ルノー自体はEV化に多額の資金が必要だ。ここでEV化で頼りとする日産が完全に離れてしまえば、それこそ先がない。日産との安定した関係はフランスにとってメリットは大きい。
フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)とプジョー・シトローエンのフランスのPSAグループが2019年12月に対等合併し、21年1月にステランティスとして経営統合した。この統合もEV化による多額の資金調達目的の戦略的統合だったが、販売台数でトヨタ自動車、ドイツのフォルクスワーゲン、日産自動車・ルノー・三菱自動車の日仏連合に続く世界4位で後ろから迫っている。
ラグジュアリーからコンパクトカーまで多数の有名ブランドを持つことで、ステランティスの無形資産の価値は2兆円を超える。30年に向けて環境負荷の少ない低公害車(LEV)の比率を大幅に引き上げる目標を掲げている。同社は対等合併効果を見せつけ、もはや主導権争いは意味をなくしている。
無論、ルノーの日産との今後の具体的交渉については、フランス政府の圧力も考えられる。少しでも利益の欲しい政府が何を言い出すか分からない。しかし、少なくともイニシアティブという言葉が死語になりつつあるのも事実だろう。
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