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 都会の下町には、向こう3軒両隣が助け合う習慣が根付いていた。東京・両国出身の男性と結婚した私の姉は、消えゆく良き時代の下町の雰囲気を味わうことができた。玄関の引き戸には鍵が掛かっておらず、近所の人は出入りが自由だったという。助け合うことが普通で人間同士の距離も極めて狭かった。

 日本の田舎も近所同士の付き合いは、夕食の食材が足らないと隣の家から調達したり、余りものを近所で分け合ったりする習慣があった。子供たちは、近所の人々にも見守られていて、異常を察知するのも早かった。そして今、その伝統的なコミュニティの力が再評価されている。

 最近、日本で驚異的な出生率(2019年、2.95)をたたき出した岡山県奈義町の取り組みを京都のフランス総領事が視察したニュースが流された。人口は5,000人強だが、町全体で子育てに取り組んでいる。育児や学童保育を支えるボランティアの話が興味深い。

 フランス人なら聞きそうな「子供を預かるのは、お母さんが仕事がある時だけなのか、美術館に行って息抜きしたい時も預かるのか」という質問で、答えはお母さん同士で食事したい時も預かるというものだった。ここがポイントで親の豊かな生活をコミュニティで支える姿勢が明確になっている。

 訪れた総領事は「フランスでは子供を産んで仕事を辞める女性はほとんどいない」「フランスにも相互扶助の考え方がある」ということを伝えていたが、無論、現実に隣人に子供を預けるリスクは、子どもへの犯罪の多いフランスではリスクがあることも否定できない。

 日本に近代の風が吹いた明治以降、西洋の間違った個人主義が広まり、特に戦後の70年は都会化とともに向こう3軒両隣の慣習は消えていった。都会では隣に誰が住んでいるのか関心もなく、挨拶もしないようになった。逆に近所との付き合いは面倒くさく、ネガティブに受け止められるようになった。

 ところが犯罪が起きる度に、近隣住民の無関心が防犯上問題にもなり、子どもたちが通学路で遭遇する不審者を監視する新たなシステムを作る必要性も迫られている。

 無論、近代化によって軽蔑されるようになった村社会には、発展よりも維持がふさわしい言葉だった。目に見えない古い習慣も山ほどあり、コロナ禍で田舎に移住した人が、その土地独特の風習に馴染めず、都会にUターンした例もある。

 そんなネガティブな側面も村々が衰退し、弱体化したことで、村特有の閉鎖性がなくなっている現実もある。奈義町の取り組みは、自治体が率先して予算を投じ,誰もが使える子育てのための公共施設を建て、ボランティアもシステム化し、時間をかけてコミュニティを育てていることになる。

 フランスでもコロナ禍がもたらしたテレワークの増加で都会を抜け出し田舎に移住する若い夫婦が増えている。狭い都会のアパートから庭の広い自然環境に恵まれた田舎暮らしを選択する主な理由が子育てにある。ここで注目されるのが、都会にはなかった住民たちで構成されるコミュニティの存在だ。

 地域コミュニティこそ、子育てにおいてきめ細かな支援サービスができるという考えで、6歳未満の子供向けの保育サービスを開発するための複数年計画を自治体は採用することができるとフランスの家族法に定められている。

 託児所や学童保育など集団保育施設では、保護者が就労中、研修中、求職中の6歳未満の子どもを日中受け入れることができる。最近は就労だけでなく、親が気晴らしをするための食事会やリクレーションも受け入れ理由に含む場合が多い。興味深いのはフランスでは集団保育施設に営利目的の民間企業が入り込むことはほとんどないことだ。

 テレワーク中心の働き方の世帯が都会から引っ越してきた場合、これらの施設は欠かせない。コミュニティ全員が子育てに参加する意識が醸成され、その安心感は子どもを産むモチベーションを後押ししている。

 人口減に苦しんできた過疎化が進む小規模の町や村では、移住してきた家族のコミュニティによる子育て支援の充実が不可欠な要素となっており、政府も少子化対策の一環として地方分散とともにコミュニティの育児施設やサービスへの支援を積極的に行っている。 

 一方、ほとんどの犯罪は孤立化がもたらすため、孤立した世帯や人間を作り出さないことにもコミュニティは役立つ。引き籠り対策にもなる。今は、さまざまな子育て支援をしても女性が子供を産みたがらない時代、「いい母親」像が日本では女性にストレスを与えているという。

 母親同士がファミレスで食事会をするのに、子どもを公共の施設に預けるなどとんでもないという考えを変えない限り、女性は子どもを産まなくなる可能性は高い。新しい21世紀のコミュニティは豊かさ、幸福を追求する目的を明確にする必要があるようだ。