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 今回、狐の襟巻をモチーフにしたパステル画を描いてみました。これは2度目の挑戦で、本当の目的は狡猾さなどを表す狐を愛くるしく描いてみたかったからです。狐をペットにしている人は少ないのでしょうが、亡くなった愛しい主人の靴に体を巻き付けて居眠りする狐がテーマでした。相変わらず背景はウクライナ色です。

 今ではミンクの毛皮のコートを初め、動物愛護の観点で動物の毛皮は控える傾向もありますが、動物と人間の関係が大きく変わったわけではありません。人間にとっては貴重なたんぱく源であり、人間の生存と深い関係にあるのは太古の時代から続いています。

 ヨーロッパ人は狩猟民族、東洋人は農耕民族とよくいわれますが、ヨーロッパは確かに狩猟が文化として定着していることを実感します。私のフランス人妻の父親、つまり義父の唯一の趣味は狩猟でした。主にウサギ、野生のハトを狩猟用のライフル銃で撃って家に持って帰り、家族で食していました。

 持って帰った動物は家の地下で義母がさばくのが常でした。私の妻は子供のころから、地下室に行くのは怖かったといっています。私の子どもが小さい時、妻の実家で飼っていたウサギを可愛がっていたのですが、ある日、食卓に出てきたウサギ料理がそれだと知らされ、しばらくショックで何も言葉が出てこなかったことを覚えています。

 実は数か月間住んでいたパリ南西郊外のイシ=レ=ムリノーの丘の上にあった地区100年の家は、戦前は狩猟のために使われた家で、地下に獲物を保存したり、解体したりする場所が残っていました。ハンニバル映画の「羊たちの沈黙」に出てきそうな雰囲気で、そこに行くのは勇気が入りました。

 仏教では、基本的に動物を殺して食べることは、禁欲的観点から禁じられていました。驚くべきはニンニクも人間の欲を刺激するとして禁じられていたそうです。無論、ヨーロッパのカトリックの修道院でも肉を控える習慣はあっても仏教ほど明確に禁じているわけではありません。


 このブログで紹介したヨーロッパ最大の広さを誇るパリ南郊のフォンテーヌブローの森も500年以上広さを保ってきたのは、その領地を所有する王族の狩猟の場だったからです。それも森が広ければ広いほど、大きな鹿が育つということで、その広さが保たれてきたというのは驚きの発見でした。

 ヨーロッパで最も高貴な趣味といわれた狩猟は、大革命で王侯貴族が排除された後、庶民に狩猟文化は広がったといわれています。だから庶民である義父も狩猟の季節になると、お金を払い、狩猟を楽しんでいました。部屋の中に鹿の頭を飾る習慣も庶民に広がりました。

 仏教の自然観と違い、キリスト教では神が創造した全ての被造物は人間のためにあるという考え方ですから、狩猟に心も痛まなかったのかもしれません。サッカーというスポーツも遠くの獲物を狙う闘いという意味で、東洋では生まれそうにないスポーツです。

 一方、興味深いのは人間は食べるものや飼うものに似るという説です。科学的立証がされているわけではありませんが、動物の血を流す狩猟から得られた食べ物を主食とする人間はアグレッシブになるという説、農産物を育て食料にする人間は穏やかというのは、あながち的外れとも思えません。異文化理解の一助に放っています。

 犬を連れて歩く人が何となくその犬の容貌に似てくるというのも、注意深く観察するといえる話のようにも思えます。動物愛護とベジタリアンが増える21世紀ですが、人間と動物の関係はどうあるべきか再考を迫られているのかもしれません。



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