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 エジプトのシャルムエルシェイクで開催していた第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)は20日、会期を2日延長し、途上国への支援基金を設立することで合意し、ようやく閉幕しました。支援基金設立は初めてのことで「歴史的合意」などといわれる一方、具体化は次回に持ち越されました。

 途上国の主張は、地球温暖化で海面上昇、異常気象による洪水や干ばつ被害など損失と損害をもたらされている原因を作ったのは、産業化のために先に温暖化ガスを大量に排出して豊かな国となった先進国の責任なので、先進国こそ温暖化対策への経済負担のほとんどを担うべきというものです。

 先進国は長年、この理屈に抵抗した一方、2020年までに官民で年1000億ドル(約14兆円)の途上国支援を実施すると2009年に約束しましたが、その約束も守られませんでした。しかし、問題の本質は米中にあり、特に最大のCO2排出国の中国が温室効果ガス削減に協力的でないことです。

 中国は世界で第2位の経済大国と豪語しながら、COPの会議では途上国のふりをして炭鉱の新規開発を認可し続け、温暖化対策にも非協力的です。本音はアメリカを抜いて中華思想による世界支配を果たすまではCO2を排出しながら経済発展を止めるつもりがないということでしょう。さらに産油国も化石燃料消費が減る懸念から非協力的です。

 そんな理不尽な現実を抱える世界ですが、18世紀、19世紀の産業革命と帝国主義時代に残した古傷が完全に癒えていないことも問題です。私が教鞭をとったフランスの大学で長年、学生たちを調査した結果、フランスの植民地政策の間違いを正面から検証したことがないことを知りました。

 多くの未開の途上国を植民地化し、資源を奪い、人を奴隷化して物のように売りさばいた歴史への贖罪意識が今も希薄ということです。奴隷化され世界中に売り飛ばされ、家族が離散したままのルーツを持つ人間が、今も世界には山のようにいます。彼らの恨みは想像を絶するものです。

 アフリカに近いフランスに長年暮らした結果、理解したことは、植民地争奪戦に加わったヨーロッパ諸国には2つの目的があったことです。1つは国力増強のための資源と人の獲得という経済目的であり、2つ目はキリスト教の宣教でした。この2つは傲慢な植民地政策を反映するものになりました。

 興味深いのは経済目的は多くの恨みを残したのは当然ですが、宣教ではアフリカや南米にキリスト教が広まったことです。彼らは口を開けば「植民地は文明が遅れている」と蔑む一方、だからといって文明を発達させるための投資はせず、資源や人を奪い、同時に宣教も続けました。

 結果、経済目的で略奪をくり返したことで失敗に終わり、恨みだけが残り、COP会議で先進国の責任追及が続いています。一方で略奪をくり返すヨーロッパ諸国が持ってきた普遍性のあるキリスト教は受け入れられ、広まっていき、今ではフランスのカトリック聖職者に黒人が急増中です。

 ヨーロッパ人はキリスト教と自分たちが築いた高度な文明をセットで考えていますが、旧植民地でとった態度は矛盾に満ちていました。キリスト教の精神からすれば、資源の強奪も人の奴隷化も許されない行為のはずです。これらの悪行は商人たちがもたらしたものでした。

 つまり、野蛮な国と植民地を蔑む傲慢な商人や政治家たちが恨みを残し、彼らは未だに贖罪意識すらないという状況です。この態度は日本も過去に植民地で行った経緯があり、他民族を蔑む傲慢な態度は西洋ほどではないにしろあったことは事実です。

 日本の植民地政策が西洋と異なるのは、植民地を自国の領土と見なし、自国同様な投資を行ったことで、ヨーロッパの植民地政策は自国と同じレベルに引き上げることではありませんでした。その一方で普遍性を持つキリスト教の伝搬を行った点は日本は農業を基盤とした神道を押し付けた程度でした。

 この宗主国と植民の間に生じた問題の解決の本質は「奪うか与えるか」ということだと思います。それも経済的支援では贖罪効果は望めず、別の意味での恩恵をもたらすことしかないと私は見ています。今、日本を含む先進国の途上国支援は知財を提供することにシフトしています。

 企業も進出した途上国でのローカリゼーションを進めています。「その国の発展のために」という基本姿勢が問われているわけです。綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、長い目で見て恨みを残すのか、感謝されるのかの違いは非常に大きいと思います。