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 就任2カ月足らずでリズ・トラス英首相は辞任した。エリザベス女王存命中、最後の公務といわれた形式的首相任命で首相になった彼女はチャールズ新国王にも挨拶した。君主制で王が交代する時期に立ち会った希少な経験をした首相だが、あえなく退場となった。

 鳴り物入りの減税案が挫折した後も、彼女のリーダーシップを疑問視する声は野党だけでなく、与党・保守党内からも消えることがなかった。さらにメディアの冷たい視線は容赦のないもので、国営放送のBBCは、特にトラス氏を追い詰めた。BBCの政治担当記者の首相への敬意はどこにもなかった。

 伝統ある議会制民主主義発祥の地、英国が見せた首相を辞任に追い込む姿は、大統領制のフランスでは見られないもので、フランスでは政権が行き詰まれば首相の首をすげかえるのが常だ。大統領が変わることはないし、大統領に対する一定の敬意はある。

 ブレグジットでは2016年6月23日の国民投票の結果を受け、キャメロン首相が辞任した英国は、メイ首相に受け継がれ、さらにジョンソン首相になってようやく正式に欧州連合(EU)から離脱した。実に3年半を要した。そのジョンソン首相も今夏、辞任し、トラス氏が首相に就任した。

 民主主義のシステムは、国民主権が大原則なので、過半数の国民が首相とその政権を支持しなければ継続は難しい。メディアもその状況を読んで首相への態度を変えていく。逆にいえば数の原理が力を持つため、民主主義はマイノリティの意見が反映されにくい弱点を持つ。

 ただ、英国の議会での議論は非常に厳しい反面、真摯でなおかつ高度な議論が行われる。ブレグジットが何度も足踏み状態に陥ったのも、議会がEUとの離脱条約を受け入れなかったからだ。首相はリーダーシップが問われる一方、自分一人で決める権限はない。

 一方、人種差別に繋がるので報道は控えられているが、ジョンソン首相、トラス首相の2人を辞任に追い込み最後通牒を渡したのはジョンソン政権下で財相を務めたスナク氏とトラス政権下で内相を務めたブラヴァマン氏で、いずれもインド系で仕える首相に不支持を表明し自ら内閣を去った。

 閣僚が去る現象が起きると、その内閣は不安定と見なされ、首相のリーダーシップは疑問視される。それも閣僚の不祥事が辞任理由であれば、任命責任が問われる程度だが、露骨な首相批判が辞任の原因となると首相は致命傷を負いやすい。

 この状況にメディアも一斉にトラス批判を強めた。こうなると首相は政権運営が難しくなる。ただ、トラス氏の辞任は、エリザベス女王亡き後の英国に暗い影を投げかけている。次期首相の最有力候補はジョンソン首相を辞任に追い込み、トラス氏と首相選を闘ったスナク氏と見られる。

 彼がなれば、英国初の有色人種のインド系首相が誕生することになる。英国ではすでにロンドン市長がパキスタン系イスラム教徒のカーン氏なわけで、旧植民地出身者の血を引く人物が英国政治を動かすことになる。英王室は有色のアメリカ人のメーガン妃の受け入れで失敗したが、英国はどうなるか注目される。

 ケンブリッジ大学を卒業し、ロンドンの有名なパブリックスクールでラテン語の教鞭をとる友人のリチャードは、極めて保守的人物だが、そんな彼でも英国は自由と民主主義、法治主義の成熟した普遍的な国家を維持しており、その英国で教育を受け、その価値観に忠実なら「肌の色は関係ない」といっている。

 「むしろ首相をやらせてみて、英国が重視する価値観から逸脱したら、その時はインド系ということがマイナスに見られるだろうし、排除するだけだ」といっている。

 ただ、私は個人的には英マスメディアの報道の仕方には不快感を持った。まず、トラス氏就任後、ご祝儀報道はなかったし、最初から選挙で選ばれた彼女に対して、特にBBCには棘が感じられた。メディアの報道の仕方は極めて傲慢だった。当然の流れとして保守党自体の支持率も下がり、野党・労働党は勢いづいている。

 その報道姿勢には行きすぎたリベラリズムが感じられ、英国の民主政治を不安定化させ、危機に追い込んでいるようにも感じるのは私だけなのだろうか。