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 高邁な精神ほど悪用されてきたのが人間の歴史。近年では世界が一つになるという目的もあったグローバル化は、金と軍事力で世界を手に入れようとする中国覇権主義と一部企業の独占欲に利用され、崩壊した。グローバル化は健全に機能していれば、コロナ禍での混乱も最小限に抑えられたはずだ。

 明るい側面があれば、必ず暗い側面があるのが人類の悲しさとすれば、今、最も注目されるSDGsも素晴らしい目標を掲げ、真面目に取り組んでいる人や組織がある1面、その高邁な精神を隠れ蓑に自己中心的野心に突き進む勢力もあることも事実だ。

 東西冷戦終結で共産主義思想は挫折した。しかし、そもそも普遍性に欠ける思想が自己崩壊した理由は、それを採用した国の国民が幸せになれなかったからだ。人間は知による支配に弱いので、科学的理論を駆使する共産主義に多くの人は影響を受けたが、理論そのものが破綻していたため、自己崩壊した。

 同時に崩壊後の旧共産主義圏でわれわれが見たのは、民族主義や地域主義の台頭だった。共産主義で国境は超えられ、ロシアは周辺国に拡大し、支配できたようだったが、実は思想は道具にしかすぎず、原動力は民族主義によるロシア帝国の繁栄の野望だった。

 中国も経済が行き詰まったために共産主義とは程遠い「先に豊かになれる者から豊かになりなさい」との考えを小平は提唱し、定期的に中国共産党の引き締めはあるが、今の中国の繁栄をもたらした。個人的野心を原動力とするのは資本主義のコアな価値観で利益を再分配し共同富裕をめざす共産主義とは真逆の価値観だ。

 ドイツは東西ドイツ統一後、ネオナチに悩まされてきた。共産主義でフリーズされていた民族主義が目を覚まし、大量に西ドイツに定着していたトルコ移民排撃運動を展開した。今、ヨーロッパでは旧ソ連邦のハンガリーが欧州連合(EU)のいうことに歯向かう自国中心主義を打ち出している。

 ロシアのウクライナ侵攻は、ロシア帝国を支える民族主義がウクライナに牙をむいたことから始まったが、実は想像を絶する抵抗を続けるウクライナにも強烈な民族主義が存在する。いい民族主義は純粋な愛国心、愛郷心に支えられる一方で利他的だが、悪い民族主義は他の民族支配を画策する。

 日本でロシアのプーチン大統領を憎悪し、ウクライナに味方する人々の中には、民族主義を嫌いながら、ウクライナの強烈な民族主義に気づいていない人も少なくない。

 同時に冷戦終結で挫折した左翼主義者は、環境問題、動物愛護、ジェンダーフリー、社会格差解消を隠れ蓑に着々と再起を図っている。当然SDGsに入り込み、彼らの反権力、反大企業主義を拡大しようとしている。弾圧に対する恨みが根底にある左翼主義者にはビジョンはなく、破壊しかない。

 SDGsの大義は「誰も置き去りにしない」ことにある。しかし、たとえばコロナ禍で始まったのは大国同士のマスクとワクチンの争奪戦だった。マスク供給を止めた中国は論外だが、コロナ禍でサプライチェーンが寸断された企業は、安全保障に関わる産業や基幹産業の再国有化に動き、外国企業が引き上げることで困っている途上国は少なくない。

 日本の国際協力銀行の関係者は、途上国に営業に行くと「今度はどんな儲け話を持ってきたのか」と聞かれるそうだ。この場合のもうけ話は銀行側の話だ。

 今はCSRからCSVに移行する時代で、利益の1部で社会貢献するCSRではなく、利潤を追求する企業がSGDs に正面から向き合い、問題解決のための新しい価値を創出するビジネスの考えが主流になりつつある。しかし、ただ、CSRもCSVも企業イメージを上げるのが主目的になると形骸化するのは早い。

 「誰も置き去りにしない」というのは、過去にない高邁な精神。その目標達成に向けた取り組みは、いばらの道のはずだ。なぜなら競争の激しいビジネスはそんな論理で動いていないからだ。昔から商人が軽蔑されるのは、その拝金主義の自己中心的利益追求の精神にある。日産自動車のゴーン元会長の強欲さは軽蔑の対象になった。

 大企業はCSRが主流だった時代にも企業イメージを向上させ、株価を上げることが主目的だった。CSVも競争力のある価値創造が重視されるため、取ってつけたような大義名分もあったりする。典型例は世界的成功を収めた日本の衣料品メーカーが、一方で環境にやさしい素材を強調しながら、一方で、中国で強制労働させられて生産される新疆綿を使用し続ける例もある。

 今や投資の一つのカテゴリーとなっているESGも厳しい精査が必要だ。ブラック企業でありながら、SDGsに取り組んでいるというのは偽善だ。人は大義には弱い。高邁な精神はそれをもたらすが、その精神を支える純粋な心を保つのは容易ではない。特に金の話となると人は変わる。

 だから、高邁な精神が悪用され、腐敗し、その精神が骨抜きになることを回避する厳しい監視が必要となってくる。すでにSDGsの多くが悪用されている指摘がある中、腐らせない努力、偽善や悪用を見分ける感性が必要と思われる。