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 英国のエリザベス女王が9月8日に死去し、今後の日程で注目されているのが、チャールズ3世新国王の即位までの様々な行事についてだ。この事態に備え、なんと1960年代から準備が進められていたのがコードネーム「ロンドン橋作戦」と「ユニコーン作戦」で、日本の国葬議論が稚拙に見えてくる。

 「陽の沈まない国」といわれた大英帝国は、今でも世界に56カ国の英連邦を持ち、その君主である女王の死、後継者の王についての意識の高さは並々ならないものがある。半世紀以上前から準備する感覚はヨーロッパにいるとよくわかる。ヨーロッパでは50年前はそんな昔ではないからだ。

 ウクライナ戦争で強硬論と宥和論が行き交った時も、英国のベン・ウォレス国防相の口から「ミュンヘンの気配を感じる」との話が出た。

 ミュンヘン会議は第2世界大戦前夜、ドイツ系住民が多数を占めるチェコのズデーテンの領有権を主張したドイツのヒトラー総統に対し、イギリス・フランス両首脳が、これ以上の領土要求を行わないことを条件に、ヒトラーの要求を全面的に認めたミュンヘン協定のことだ。

 この協定は最初からヒトラーは守るつもりがなく、戦争に突入した宥和論の失敗の教訓として歴史に刻まれている。敗戦で歴史が切断された日本と違い、歴史の継続性の感覚はヨーロッパでは普通のことだ。

 英王室に関する綿密な行動計画は、国民や報道機関への通知方法、葬儀に至るまで、死去から11日間のあらゆる予定が「ロンドン橋作戦」のコードネームが付いた秘密計画として準備されてきたという。昨年9月に米政治専門メディア、ポリティコ欧州版が全容を報じて注目された。

 女王の死去は女王の秘書が首相に電話をかけ「ロンドン橋が落ちた」とえん曲に死去を伝える場面が起点となっていることから、この作戦名が付いたとされる。電話を受けたトラス英首相は9月8日夜には首相官邸前で追悼演説を行い、正式に国民に伝えたのも行動計画通りだった。彼女は数時間前に女王に謁見し、首相任命を受けたばかりで、女王最後の公務に立ち会った人物となった。

 エリザベス女王は、ロンドンのバッキンガム宮殿ではなく、静養先のスコットランドのバルモラル城で死去したわけだが、英メディアはバッキンガム宮殿でない場所で亡くなることを想定した「ユニコーン作戦」も用意され、女王のひつぎをロンドンまで運ぶ段取りも決めていたという。

 次いでチャールズ3世の国王即位に関する「スプリングタイド(大潮)作戦」など、事前に準備された複数の行動計画が同時並行進行中だ。当然、全ての行事の警備計画も綿密な準備がされており、王室廃止派の抗議デモを抑え込むなどの準備も整っている模様だ。

 この壮大で周到な準備の背景には英国王室および英政府が、政治権力は持たないにしても、国家と世界に多大な影響を及ぼす君主の死去、新国王の存在感を示すことをどれだけ重視しているかが伺える。それは国民に対するだけでなく、世界に向かって英国の存在を発信する機会と捉えているのは明確だからだ。

 今、フランスを含め、欧州メディアは1日中、英王室について報道を続けている。複数のフランス人やドイツ人、イタリア人にインタビューすると、英国とヨーロッパ諸国の関係は歴史的に無視できないほど深い関係にあり、単に派手で華麗な英王室だから関心を持っているわけでないことがはっきりとわかる。

 ブレグジットで出て行った英国も、長い歴史から見れば大した出来事ではなく、フランスは英国と100年間も戦争を続け、フランスの王族が英国国王だった時代もある。歴史と伝統を重視する英国は、王族を排除し、共和制に移行した大陸欧州の大国にとっては、今でも無視できない敬愛される国であることを女王の死が教えてくれた。