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  フロリダ・セントピータースバーグの一軒家

 個人的に関心のあるテーマの一つに街づくりがあります。世界どこへ行っても街づくりがどうなっているかは必ずチェックし、ついでに不動産情報も見ています。たとえばアメリカ・フロリダ州はアメリカ人が憧れる気候風土があり、人はどう住み、どう働いているかが興味をそそりました。

 タンパという町はビジネスセンターとして発展し、高層ビルが立ち並んでいますが、周辺にはプール付きの広い庭の一軒家が多く点在しています。通勤圏内にはセントピータースバーグという高級そうな住宅街があります。

 案内してくれた州政府の人は「自分も将来、この町に住めるようになりたい」などといっていました。フロリダには、保険会社などが提供するリタイヤした人々がフロリダで豊かな老後を過ごすための町があったりします。住む人は公共スペースの清掃や自警団の義務もあったりします。

 道路で結ばれた孤島のキーウエストも別荘やリタイヤ組の家がたくさんあります。富裕層の憧れの場所の一つですが、不動産の資料で1億円〜2億円の間でプール付きで広い家が買えます。空港もあるのでどこへでも行けます。

 アメリカは貧富の差が大きいので富裕層は広大な敷地に豪邸が立ち並ぶエリアに住み、中間層、貧困層は別のエリアに住むケースが多いのも事実です。しかし、最初から民主主義の国なので街づくりも民主的に行われています。

 ところが、もともと階層社会の英国では労働者階級が住む長屋風の家が立ち並ぶ姿をよく見ます。富裕層は別のエリアに住んでいます。ロンドンにはトラファルガー広場やビッグベン、バッキンガム宮殿など国家の栄光、権力者の威光を表す建物が点在しています。

 今、われわれはウクライナの街並みが次々に破壊される姿を毎日見ています。ウクライナもロシアも街づくりの基本はヨーロッパと同じです。それは都市における構築文化によるものです。

 政治に重要な役割を担った広場、効率的な経済活動のインフラ、水道や下水などの生活インフラ技術、そして都市全体が統一的にデザインされ、大聖堂やオペラハウス、美術館、博物館が計画的に配置された都市の美が加わり、繁栄する文明が構築されています。

 これはもともとエジプトの宮殿やローマに端を発した土木技術によって実現した権力者の権威と栄光を表現する伝統からきたものです。ヨーロッパでは国王に権力が集中していた君主制の時代に比べ、民主主義になって都市は個性を失ったといわれています。

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  パリのオスマン大通り

 パリは19世紀後半からナポレオン3世時代、オスマンによって断行された都市計画によって、今もパリができたといわれています。ナポレオン3世は国王ではありませんが、意思決定は今の民主主義のシステムより、はるかに単純で王政時代からの街づくりの伝統もあったのは事実です。

 大規模なプロジェクトに気の遠くなるような煩雑な手続きは必要ない時代です。権力者がお気に入りの都市づくりの専門家や建築家にデザインさせ、国家の繁栄を誇る目的で設計されました。

 興味深いのはパリは職住一体型の都市だということです。今、東京でもビジネス街にもタワーマンションが乱立し、職住一体のパターンもありますが、昔は多摩ニュータウンなど都市からかなり離れたところに住むのが主流でした。

 都市づくりで欧米の町々を取材して思うことは、民主主義の恩恵もあって庶民にとっては住み心地の良さが際立っていることです。自分の家がどんなに住み心地が良くても、周囲が無秩序で騒音や美的には顔をしかめるような街並みがあれば、住み心地がいいとは到底言えません。

 私は街づくりは机上で作られるものとは思っていません。つまるところ人間が作り出すものだと思います。社会的階層が明確だった江戸時代、大名が住む豪邸と庶民が住む長屋で住み分けされていた時代の方が街に秩序がありました。

 貧富が混在する現代の大都市で、相続税を含む経済効率から本来あった100坪以上の敷地のある住宅が3つに区分けされ、小さな家が乱立し、開発計画で高層アパートが建つことで戸建ての落ち着いた住宅街が激減しています。

 大衆中間層の増加によって窮屈な街並みが東京に広がるようになりました。パリでも1970年代に人工的街づくりをした結果、たとえば15区のセーヌ川沿いのボーグルネル地区にできた高層アパートとショッピングセンターの組み合わせは失敗に終わり、大改造されました。

 机上で観念的に作ったモダンな街づくりは不評でした。決定的に欠いていたのは人の多様性と動きに関する意識が乏しいことでした。空間が人間に与える影響は極めて大きなものです。

 結局、権力者を処刑し、共和制を敷いたフランスを見ると権力者がいた時代の方が街づくりは芸術性を含め、見事です。なぜなら町は権力者の芸術作品だったからです。民主主義は貧富の差を縮め、平等社会になった一方で、私権のために一貫性やト―タルなデザイン性確保は困難になっています。

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 もう一つ、西洋と日本のアプローチの違いもあります。西洋は演繹的で概念やトータルなヴィジョンを重視し、日本は帰納的で個を積み上げていくアプローチが一般的です。

 当然、統一性はなく、都市自体が芸術作品になる可能性はほとんどありません。さらに経済効率があくまで優先されるので、普遍性や永遠性はなく、その時うまくいっているビジネスが街づくりに優先されます。

 日本橋という日本の起点にもなり、歴史的に重要な価値のある橋の上に高速道路を建設する暴挙は、経済性重視の象徴です。美しい瀬戸内はリゾートの宝庫のはずなのに、経済優先で臨海工業地帯となり、美は破壊されています。

 日本は中間層が厚いことで平等社会を築きましたが、旧大名屋敷は大学や公園、ホテル、公共機関の建物になり、面影はありません。

 無論、権力者の圧政に苦しむような社会は誰も望んでいませんが、街づくりを単に経済の効率性だけでなく、芸術性や住み心地の良さを追求すべきではないでしょうか。

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  ちなみにフランスの美しい村々も抜群に住み心地がいい