「ウクライナの雄牛」マリア・プリマチェンコ 1977作 出典:Wikimedia Commons
ロシア軍のウクライナ侵攻が続く中、芸術文化に敏感なフランスは、ウクライナの美術館が脅威に晒されていることを受け、ウクライナ芸術支援を継続しています。実際にはウクライナ人芸術研究者のフランス受け入れの加速、仏国内でのウクライナ芸術フォーラムを開催するなどしています。
ヨーロッパでの戦争では、もともと芸術好きのドイツのヒトラーのみならず、美術品の強奪が必ず起きるのが常です。さらにその国や地域の英雄の像が倒され、歴史的建造物も破壊されます。実は今、ヨーロッパを旅して目にする古そうな建物の多くが第2次世界大戦で破壊されたものを再建したものです。
構築文化といわれるヨーロッパの歴史は、ローマの時代から美と技術、政治と経済を象徴する都市づくりで権力者は文明の優位性を誇ってきました。壮麗な教会のカテドラルが町の真ん中にそびえ建ち、広場は治世者が権力を示す場であり、近代以降は民主主義を象徴する市民の集まる場となりました。
町のあちこちに英雄の像が置かれ、過去の歴史を誇ってきました。美術館、博物館は世界から集められた美術品や金銀財宝が飾られ、オペラ劇場は高い文化の証でした。ヨーロッパ各国が戦後、破壊された都市を過去と同じように再建したのは都市を構築して誇る精神文化があったからです。
ロシアの砲撃に晒されるウクライナ全土の美術館、博物館が攻撃の対象になり、強奪される可能性が高いと理解していたために、ロシア軍が侵攻した2月以降、急ピッチに作品の避難が行われたといわれています。無論、手遅れになった例も多いようですが。
5月に入り、ウクライナ最大の美術館であるリヴィウのナショナルギャラリーを筆頭にリシア攻撃への抵抗として、いくつかの美術館を再開館しました。無論、ナショナルギャラリーが所蔵するゴヤ、ルーベンス、ラ・トゥールなどの巨匠の名画は隠されたままなので、その壁の多くはむき出しのままという映像が報じられています。
首都キーウの北西に位置するイヴァンキフ市の郷土史博物館はロシア軍によって破壊された博物館の一つです。被害の中で、ウクライナの民俗芸術家マリア・プリマチェンコによる25枚の絵画が破壊され、灰となりました。彼女はウクライナ素朴派の代表格の画家です。パリで活躍したピカソは当時、彼女を称賛していました。
美術の場合、絵の再現はリトグラフや写真でしかできず、何度も演奏をくり返す音楽のような種類の芸術ではありません。彫刻は型を取って再現はできますが、オリジナルは1つしかありません。つまり、モノの芸術なので破壊されれば終わりです。
米国際博物館会議委員会によれば、ロシア軍は意図的に同美術館や記念碑を爆撃し、焼き払っていると指摘されています。目的は重要な歴史遺産を破壊することで、ウクライナ人の誇りとアイデンティティを人々から奪い取り、降伏を迫るためです。
イヴァンキフ博物館のあるヴィーシュホロド歴史文化保護区の所長は「取り返しのつかない損失」と言っています。
フランスの国立歴史文化研究所(IHNA)など13の文化関連機関は3月からパリ在住のウクライナ人芸術家の作品発表や歴史遺産紹介の場を積極的に提供しています。同時にウクライナの歴史的文化遺産を保護するため、文化遺産や作品を国外に退避させる活動にも深く関与しています。
フランス人活動家は「ウクライナに残る歴史的文化遺産の保護は、ロシアが勝手に歴史を捏造することを阻止する意味もある」と言っています。欧州の指導者がロシアの今回の行為は「歴史を書き換えようとする試み」と指摘している意味は、まさにその国が構築した誇るべきコンテクストを書き換えようとする行為ということです。
ロシアは自国も署名した戦時の歴史文化遺産の破壊を禁じた1954年のハーグ条約に違反しています。日本の周辺国が歴史を書き換えることに余念がありません。
すでに4月にこのブログで紹介しましたが、パリに本部を置くユネスコの世界遺産センターによれば、衛生映像の分析等で、5月10日時点で11の美術館、54の宗教的建造物、15の記念碑を含むウクライナの127のランドマークが破壊されたことを確認したとしている。リストは毎日更新されています。
港湾都市マリウポリでは3つの文化施設から2,000以上の美術作品が略奪されたとウクライナ当局は主張しています。ただ、歴史文化遺産を破壊しても人の心を奪い取ることはできないのが救いです。ウクライナが勝利すれば破壊された歴史的建造物の再建が始まるでしょう。
ロシア軍のウクライナ侵攻が続く中、芸術文化に敏感なフランスは、ウクライナの美術館が脅威に晒されていることを受け、ウクライナ芸術支援を継続しています。実際にはウクライナ人芸術研究者のフランス受け入れの加速、仏国内でのウクライナ芸術フォーラムを開催するなどしています。
ヨーロッパでの戦争では、もともと芸術好きのドイツのヒトラーのみならず、美術品の強奪が必ず起きるのが常です。さらにその国や地域の英雄の像が倒され、歴史的建造物も破壊されます。実は今、ヨーロッパを旅して目にする古そうな建物の多くが第2次世界大戦で破壊されたものを再建したものです。
構築文化といわれるヨーロッパの歴史は、ローマの時代から美と技術、政治と経済を象徴する都市づくりで権力者は文明の優位性を誇ってきました。壮麗な教会のカテドラルが町の真ん中にそびえ建ち、広場は治世者が権力を示す場であり、近代以降は民主主義を象徴する市民の集まる場となりました。
町のあちこちに英雄の像が置かれ、過去の歴史を誇ってきました。美術館、博物館は世界から集められた美術品や金銀財宝が飾られ、オペラ劇場は高い文化の証でした。ヨーロッパ各国が戦後、破壊された都市を過去と同じように再建したのは都市を構築して誇る精神文化があったからです。
ロシアの砲撃に晒されるウクライナ全土の美術館、博物館が攻撃の対象になり、強奪される可能性が高いと理解していたために、ロシア軍が侵攻した2月以降、急ピッチに作品の避難が行われたといわれています。無論、手遅れになった例も多いようですが。
5月に入り、ウクライナ最大の美術館であるリヴィウのナショナルギャラリーを筆頭にリシア攻撃への抵抗として、いくつかの美術館を再開館しました。無論、ナショナルギャラリーが所蔵するゴヤ、ルーベンス、ラ・トゥールなどの巨匠の名画は隠されたままなので、その壁の多くはむき出しのままという映像が報じられています。
首都キーウの北西に位置するイヴァンキフ市の郷土史博物館はロシア軍によって破壊された博物館の一つです。被害の中で、ウクライナの民俗芸術家マリア・プリマチェンコによる25枚の絵画が破壊され、灰となりました。彼女はウクライナ素朴派の代表格の画家です。パリで活躍したピカソは当時、彼女を称賛していました。
美術の場合、絵の再現はリトグラフや写真でしかできず、何度も演奏をくり返す音楽のような種類の芸術ではありません。彫刻は型を取って再現はできますが、オリジナルは1つしかありません。つまり、モノの芸術なので破壊されれば終わりです。
米国際博物館会議委員会によれば、ロシア軍は意図的に同美術館や記念碑を爆撃し、焼き払っていると指摘されています。目的は重要な歴史遺産を破壊することで、ウクライナ人の誇りとアイデンティティを人々から奪い取り、降伏を迫るためです。
イヴァンキフ博物館のあるヴィーシュホロド歴史文化保護区の所長は「取り返しのつかない損失」と言っています。
フランスの国立歴史文化研究所(IHNA)など13の文化関連機関は3月からパリ在住のウクライナ人芸術家の作品発表や歴史遺産紹介の場を積極的に提供しています。同時にウクライナの歴史的文化遺産を保護するため、文化遺産や作品を国外に退避させる活動にも深く関与しています。
フランス人活動家は「ウクライナに残る歴史的文化遺産の保護は、ロシアが勝手に歴史を捏造することを阻止する意味もある」と言っています。欧州の指導者がロシアの今回の行為は「歴史を書き換えようとする試み」と指摘している意味は、まさにその国が構築した誇るべきコンテクストを書き換えようとする行為ということです。
ロシアは自国も署名した戦時の歴史文化遺産の破壊を禁じた1954年のハーグ条約に違反しています。日本の周辺国が歴史を書き換えることに余念がありません。
すでに4月にこのブログで紹介しましたが、パリに本部を置くユネスコの世界遺産センターによれば、衛生映像の分析等で、5月10日時点で11の美術館、54の宗教的建造物、15の記念碑を含むウクライナの127のランドマークが破壊されたことを確認したとしている。リストは毎日更新されています。
港湾都市マリウポリでは3つの文化施設から2,000以上の美術作品が略奪されたとウクライナ当局は主張しています。ただ、歴史文化遺産を破壊しても人の心を奪い取ることはできないのが救いです。ウクライナが勝利すれば破壊された歴史的建造物の再建が始まるでしょう。
コメント