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 人は自分の言動が相手を傷つけたり、追い込んだりすることに気が付かないことが多いものです。なんとか問題に気づけば改善できますが、互いに改善する意志がない場合、最悪の結果としては夫婦は離婚に追い込まれ、子供は家出し、社会は混乱し、国同士は戦争に陥ることもあります。

 誰もそんな最悪の事態を望んでいるわけではありませんが、気づかないことが事態を悪化させるのは明らかです。そこで重要とされるのがコミュニケーションといわれていますが、皮肉にもコミュニケーション革命といわれるSNSというツールの普及にも関わらず、事態はむしろ悪化しているように見えます。

 日本人は対立そのものが悪と考え、可能な限り対立を避ける努力をしていますが、逆に自分の意見が通らない場合、我慢が限界点に達するとキレてしまい、最悪の事態に至ることもあります。文化的には長幼の序、上の人間を敬い、権力を持つ者への忠誠心を示すことを重視する儒教の影響も考えられますが、西洋人から見れば、抑圧的に映る場合も多くあります。

 たとえば今回、たびたび、ロシアのプーチン大統領が政権幹部を集めた会議の映像が世界に流れ、自由な反論が許されず、プーチン氏の強圧的態度が「異常」と指摘されていますが、日本でもワンマン社長なら同じ光景は日々目にしているはずです。部下はありがたくトップのいうことを拝聴し、従う方が評価されているのも事実です。

 日本に本当に意味での自由と民主主義が定着しないのは、自律した個人がどうどうと自分の意見を言える環境が保障されていないからといわれています。日本で最も外国人留学生を受け入れ、外国人教授も多い大学が、私の郷里、九州の別府にできた時、運営責任者に話を聞いたことがあります。

 私が「教授会は日本のスタイルとは違い、自由に意見がいえるスタイルなのでしょうか」と質問すると「とんでもありません。そんなことをしたら収拾がつかなくなり、何も決められないので、会議は可能な限り少なくし、意見はいわせないようにしています」という答えが返ってきたのに驚いたことがあります。

 西洋だけでなく通常、ビジネスの世界では最終的意思決定に至るプロセスとして大きく二つの方法があるとされています。一つは、可能な限り意見の違いを可視化し、そこから合意点を探っていく方法です。一方、アジアにはできるだけ上に立つ者と一つになる精神が強く、重要事項は上に挙げられ、権力を持つ者の判断に絶対服従するのが一般的です。

 東洋には上に立つ者は人格に優れ、人として上だという考えが強くあり、韓国などシャーマニズムが根強い社会ではトップは神格化され、時にはトップに立つ本人も自分を神のように思い込むケースも見られるほどです。当然、リーダシップは強権的なので、プーチンの独裁的強権政治に驚くこともないといえます。

 しかし、それは一つの組織や集団、国や地域の文化に依存しており、その中ではその論理は通じても他の文化、たとえば個人主義で自由を最大限尊重する社会をめざす欧米諸国から見れば、とんでもない意思決定スタイルだということになります。

 自分の国の中でも自由に自分の意見がいえない場合、どうして外に向かって意見が言えるのかということになります。この壁を取り払ったのがSNSです。国境を越えて自分の意見をシェアすることが容易にできるようになり、自動翻訳で言葉の壁も消えようとしています。

 ところが皮肉なことにウクライナ戦争をみると、SNSを駆使し、自己の正当性を主張するためのプロパガンダ、フェイクニュースが大量に流され、事態の解決より対立がエスカレートしているように見えます。つまり、SNSはツールであって、それを使用する人間が使い方を誤れば逆効果にもなりうることを痛感させられました。

 これは今に始まったことではなく、過激派組織イスラム国(IS)はSNSを通じて聖戦主義を広め、世界中から戦闘員を集めました。コロナ禍では山のような陰謀説が流され、われわれの判断に影響を与えています。ウクライナ戦争ではロシアはとんでもない悪の勢力でウクライナは被害者という構図に見えますが、一般市民を標的にした殺戮を行うロシアは悪ですが、背後の双方の事情は見えてきません。

 21世紀に入り、一見東西冷戦で民主主義が勝利したことに酔いしれている間に民主主義とは程遠い社会主義の中国や独裁政治のロシアの権力者のさじ加減で世界が動いている現実を目の当たりにしているわけです。いいかえれば自由と民主主義の価値観を共有する陣営には、いまだ専制や独裁というウイルスに対する免疫がないということなのでしょう。

 むしろ、専制国家に経済力をつけさせたために、手に負えない怪物になり、われわれを脅かしているともいえます。結果的に防衛を強化し、専制国家の横暴に対抗するくらいしかできない状態です。

 しかし、ロシアのいい分にも説得力はあります。それは専制主義国家、独裁国家がよく主張する西洋社会の腐敗です。西洋ではたとえばフランス人はロシア人は権力の腐敗がひどく、ヨーロッパが築き上げてきた文明からみれば野蛮といいます。

 ところがプーチンのいっている腐敗は、強欲な権力者の腐敗だけでなく、たとえばソチ冬季オリンピックで同性愛アスリートの参加を制限するなど、西洋文明の堕落や腐敗を警戒しています。ハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相は独裁的といわれていますが、信仰と家族の価値を尊重し、西欧リベラリズムの流入を警戒しています。

 独裁者たちは行きすぎた自由がもたらす規範のない、なんでもあり堕落社会を批判し、西側は権力者、既得権益者の腐敗を批判しています。無論、独裁者は社会が無秩序になれば統治が困難になることを嫌い、一定の規則で縛ることを目指しているのも事実です。

 いずれにせよ、民主主義という社会システムはあくまで人間が頭で考えて作り出した「ベストではないにせよ、ベターなシステム」なわけですが、専制国家や独裁国家はベストをめざし、同時に民族主義を前面に出し、その優劣で他者を弾圧しています。

 いまのところ意思決定が迅速な社会主義や独裁国家の方が自由主義陣営より有利に働いているようにも見えます。個人的には自由主義陣営内の拝金主義や道徳的腐敗が国家や社会を弱体化させ、劣勢にまわっているとも思っています。これを自由主義陣営が立て直せなければ、世界はますますカオスになるでしょう。