interculturalcommunication

 ユネスコ憲章の前文の最初に「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」とあります。

 実はグローバルビジネスのマインドセットにも同じことがいえます。つまり、相互の風習と生活に無関心なことが多文化ビジネスの失敗に繋がるということです。ところが国内で地方ごとに文化の違いがあっても深刻な対立は起きません。互いに同質性を求める日本文化ではなおさら違いは排除されます。

 異文化理解のセオリーで良く出てくるのが固定観念の排除です。特に始末に悪いのは人種や民族の違いではなく優劣意識が固定化されることです。今、ロシアのプーチン氏が怒りの感情から無謀なウクライナ侵攻を実行していますが、彼の主張には深刻な被害妄想が存在することが分かります。

 ロシアはヨーロッパなのかという問いにロシア人はイエスと答え、西欧人は「ヨーロッパへの片思い」というのをよく聞きます。ヨーロッパ人は2000年に渡る歴史から優越意識が強く、有色人種を蔑視してきました。フランスでは放送になったギニア出身の黒人のトビラ法相をSNS上でサルにたとえた投稿がありました。

 あまり知られていない事実ですが、日本に優生保護法というとんでみない法律がありましたが、ヨーロッパの多くの国は、白人により劣った有色人種との間に子供が生まれないようにする法律が存在したりしました。実際、帝国主義時代の奴隷制度はそんな人種主義から生まれたものでした。

 ヒトラーはユダヤ人に対して民族浄化政策でジェノサイドを行いましたが、今問題になっているウクライナやロシアのスラブ民族に対して、奴隷にすべきと主張していました。心情最多の3万人に上る死者を出した独ソ戦争では、ナチス側はスラブ民族の絶滅、ソ連側は共産主義者以外の絶滅という戦争だったため、史上最悪の悲惨な戦争になりました。

 今、中国で起きている新疆ウイグル族の弾圧も、多数を占める漢民族から劣るとされるウイグル族の再教育だといっています。朝鮮人は中華思想で北京に近い日本より位が上な民族と刷り込まれ、そのステイタスへのこだわりが日本支配の屈辱を恨み続ける原因になっているといわれています。

 人間には競争心もあるので、とかく優劣を争いがちですが、優れた者がそうでないものを支配し、好きなようにしてもいいというのは野蛮な考えです。優れた者はそうでない者のために本来生きるべきでしょう。それに何を持ってすぐれているかも勝手な理由が多く、頭がいいかどうか、技術力があるかどうか、金儲けがうまいかどうかなどが影響しています。

 始末に悪いのはユダヤ教のように選民意識が強く、世界を見下している場合は、先天的な理由での差別です。血統主義、種族主義も同様な優劣の分け方で、血が入っているかどうかを問題にするのも野蛮な考え方です。

 たとえばフランス料理は世界に冠たる最高の料理のようにいわれていますが、今のフランス料理のテーブルサービスの基本である一品ずつしか料理が出てこないのは、ロシアから輸入されたものといわれています。寒い地方で全部いっぺんに出てくれば、冷めてしまうのも理由の一つです。

 チンギスハーンがユーラシア大陸を横切り、シルクロードの交易が栄えたことで、ヨーロッパとアジアの文化は影響し合った過去があります。どちらの民族が優れ、どちらが野蛮かという考え方は、戦争を引き起こす引き金にはなっても、平和をもたらすものではありません。

 無意識にうちに相手を軽蔑したり、差別したりすることもあり、結局、しっかりとした心の関係がないと、対立は起きてしまいます。それに民族や地域の文化を軽視するのも間違いです。中国が台頭し、米中関係に世界の注目が集まる中、ロシアの存在はかすんだことも事実です。

 ヨーロッパから差別され、中国から蔑まれれば、不満が爆発してもおかしくない状況です。孤立させないためには常に関心を示し、交流し、信頼関係を築くことしかありません。無関心は相手に深刻なダメージを与えることを知るべきでしょう。それに経済関係を優先すれば、相手は損得勘定の関係しか結べないと理解するでしょう。

 経済関係以上の関係を結びことなしに、相互理解は深まらないということです。異文化理解の理解は愛着を持つことから始まります。先入観や固定観念は相互理解の障害物でしかないことは。戦争だけでなく、ビジネスにおいても同じことがいえるでしょう。