34188476530_34a71801a1_c

 大義のない戦争はないといわれますが、プーチン露大統領が掲げるウクライナ侵攻の大義は、ナチズムに洗脳されたウクライナを救うこと、ウクライナで圧政に苦しめられるロシア系住民を保護するためとされています。西側から見れば、まったく的外れに見えますが、その大義で堂々と戦っています。

 人を殺害することを正当化する戦争には、余程の大義が必要です。無論、21世紀に入り、殺人を正当化する大義が存在するとは多くの人々は思っておらず、むしろ、戦争を起こせば国際法に定められた戦争犯罪として国際刑事裁判所で裁かれることになっています。

 ところが現実は、われわれの住む人間社会同様、法を無視するならず者もいて、法の網の目を潜り抜け、腕力を行使して悪行は行われているように、国家が力による強引な現状変更を試みるのが国際社会です。未だに「世界を制する者がルールを決め、最大の利益を得る」との覇権主義を信じる国や政治指導者はいます。

 戦争の大義には、そんな考えが見え隠れすることは歴史を見れば分かることです。帝国主義、植民地拡張主義は、まさに人と資源の奪い合いを正当化したものでした。大義は往々にして人々の情に訴えかけるもので理性や合理性より、物語(コンテクスト)を必要としています。

 キリスト教の聖書を見れば、イエス・キリストは新約聖書の中で多くのたとえ話をすることで、重要な教義を伝え、旧約聖書は全体が歴史物語になっており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の基礎になっています。

 当時は科学が発達していなかったので無知な人々に高度な教義を伝えられないのでたとえ話をしたという人もいますが、人間は物事をコンテクスト(文脈)で理解するものです。

 戦争の大義も国民を納得させるコンテクストが必要です。今回はウクライナにとんでもない悪の集団が現れ、話し合いでは解決できないので軍隊を送って叩き潰すしかないというコンテクストですが、ロシア国内でも国際規模の制裁の直撃を受ける財界だけでなく、軍部にも反対意見があることが伝えられています。

 戦争反対デモに参加するロシア市民を次々に逮捕し、さらに戦意を失わせるような情報を流す人間はロシア人だけでなく、外国人も処罰する新法を作りました。まさに中国共産党政府が制定した香港を念頭に置いた国家安全維持法と同様な暴挙です。

 戦争の大義は、広く国民の理解がなければ成り立ちません。現在、唯一戦争に大義があるとすれば防衛しかないでしょう。プーチン氏もウクライナの動きがロシアを脅威に晒しているとか、北大西洋条約機構(NATO)が欧州連合(EU)との国境沿いにミサイルを配置し、脅威を与えていると主張しています。

 歴史的にも文化的にもロシアと一体性を持つウクライナをEUとNATOが奪い取りに来ているとプーチン氏は主張しています。しかし、そのコンテクストは国民を納得させられる者とは到底思えません。西側から見れば単なる被害妄想であり、世界はすでに良好な経済依存を深めることで平和を維持する方向にあると考えられています。

 私個人は、経済依存度を深めれば戦争はなくなるというグローバリズム信奉者のような幻想は持っていません。なぜなら利潤を追求する経済もしばしば対立を産むわけで、冷戦終結後にイデオロギーの時代から経済の時代といわれた中でも戦争がなくなることはありませんでした。

 いずれにしてもコンテクストが脆弱な場合、情報統制、言論統制にも限界があり、説得力のないコンテクストで戦争すれば、権力失脚が待っているといわざるを得ません。それに今回の場合、コンテクストの前提条件を間違えているため、修正もできないところが始末に悪いところです。