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 ロシアの軍事侵攻に晒されるウクライナ危機は、世界の主要メディア報道に大きな比重を占め続けています。この危機を、ある人は専制主義と民主主義の戦いといい、ある人は第3次世界大戦の始まりといい、ある人は今まで関心が薄かった中ロ関係が過去にないレベルに高まっていると懸念を表しています。

 日本は力による現状変更が中国と台湾の間で起きる可能性があると身構える一方、世界の安全保障という観点で対立を深めるより、均衡やバランス重視の外交戦略を推奨する意見もあり、欧州とウクライナな国境周辺での緊張を高め過ぎ、ロシアを追い詰めるのは過ちという意見もあります。

 結果的に現実問題として西側にとってやれるべきことは、軍事的脅威には軍事オプションで立ち向かうことと、外交による解決しかないのが今の現状でしょう。そんな中、覇権主義を強める国に対しては、その国で発生している容認できない人権問題以外に戦うツール選択肢しかないのが現状です。

 たとえば、19世紀の帝国主義時代の西洋のやり方は、軍事力で弱い国を征服支配し、同時にキリスト教宣教師を送り込んで相手の信じる価値観を根底から変えようとしました。しかし、力による強引なやり方は極端にいえば旧約聖書に出てくるような相手を絶滅させるような残酷な行為を産みました。

 その典型が奴隷制度です。支配した国の国民を野蛮という理由で家族を引き離し売り買いしたのが19世紀に横行し、ヨーロッパだけでなく、アメリカ大陸に残る黒人やアジアの有色人種の多くは奴隷で連れてこられた人々の子孫です。

 西洋の支配の論理は、文明的に遅れた国の人々は2流、3流国民であり、西洋の利益のために最大限利用すべきというものでした。この考えは今でも健在で、彼らの口の端々に軽蔑の感情が見え隠れします。この考えは西洋ほどひどくはなかったものの遅れてきた大日本帝国にもありました。

 しかし、それが今でも息づいているのがアジアでは中華思想で、北京を中心とした漢民族が1流であり、距離を置くごとに2流、3流とランキングされている考え方です。国や人を優劣で扱う考え方で、残念ながら今でも中国人の中に息づいています。

 韓国人がプライドが高く、日本の支配に異常なまでの恨みの感情を抱いている一因には、中華思想が浸透した朝鮮半島では、韓国人よりランクの低い日本人に支配されたことへの屈辱感があるといわれています。逆に韓国人は中国による長い朝鮮半島支配を非難し、根に持つ人は少ないといわれています。

 競争原理は当然、優劣を産みますが、まず、競争には公正なルールに則って行われ、今の自由主義世界の常識では勝者は敗者を支配するのではなく、より恵まれた者が恵まれない者のために生きるのが社会道徳とされています。さらに勝者は全体に責任があり、公益性を最重視するのが鉄則です。

 戦争の場合、勝者が利益を得て敗者は多くを失うのが結果とされていましたが、人類は歴史に学習したことで、戦争に勝者がいないことを学びました。だからといって多くの悲劇を産む人権弾圧が繰り返し起きる国に対して、あるいは技術を不法に盗み取るような公正な競争を妨げる不正を許すのも間違いでしょう。

 私は、1980年代後半から今に至るまで、東西冷戦とその終結を東欧やソ連を含めた欧米に身を置いた経験から、結論としていえることは共産主義は人間が最も権利として持つべき考える自由を封殺した結果、歴史のある時期の進歩を極端に遅らせ、その結果が今も世界を苦しめていると見ています。

 ロシアにしろ、中国にしろ、あるいは旧中・東欧諸国にしろ、半世紀以上の共産主義ウイルスの感染期に人間の思考がフリーズし、帝国主義、覇権主義、専制主義という19世紀に終わらせたはずの野蛮な考えが頭をもたげ、ネオナチや狂暴なナショナリズムを台頭させているのが今の世界だと考えています。

 日本も遅れてきた帝国主義で、アジアを欧米帝国主義から解放したと自負する声もある一方、勝てもしない愚かな戦争で優秀な日本国民の多くを失い、アジアを混乱に陥れたのも事実です。とにかく、公益性の意識を失い、公正な競争原理を無視すれば、滅びしかないという歴史の原則を信じたいものです。