Human Dignity

 政治にもビジネスにも戦いはつきものです。それがいいか悪いかの判断を下す前に戦いに勝たなければ消えていくしかないのが無慈悲な現実です。

 日本人の公衆道徳は世界的に見ても、その高潔さは目立ちます。他の人に迷惑をかけたくないからワクチンを打ち、マスクする国民は世界にそう多くはありません。相手を裏切ったり、欺くことも良しとしないのが日本人です。

 われわれ日本人は「嘘をついてはいけない」と教えられ、嘘をつくこと、作り話をすることは自分以外の人々を欺くことになり、やってはいけないこととされていました。無論、日本人も日々、小さな嘘をつき、物事を大げさにいって相手にインパクトを与えようとするのは日常茶飯事です。

 特にビジネスの世界では誇大宣伝の「世界一売れている」「超最先端の技術」「世界て評価される製品」「安全性を極めた製品」「わが社の技術が世界を変える」など、実は客観的な根拠を示せない広告は、日本でも日常化しています。しかし、法的に消費者を欺き、被害をもたらす誇大広告は法的に禁じられています。

 しかし、世界では嘘をつくこと、作り話をすることは、日本ほど悪とは思われていません。相手に勝つために言葉巧みに相手を操るのは戦略であり、謀略や傍聴で敵を欺くことを悪としていない国は多くあります。「真実は一つ」というのはナイーブな考えで、たとえば中国共産党は中国人民を日本統治から解放した唯一の政党というのは史実に反していますが、その主張は半世紀以上覆されていません。

 つまり、数千年を権力闘争に明け暮れ、支配するかされるかで人の運命が極端に変わる地域で生きてきた人にとっては、「嘘もほうべん」であり、必要と見なされ、作り話も自分を有利に進め、生き抜くための戦略ということは常識化しています。

 そんな常識が存在する国で日本の報連相を適応することは不適切というしかありません。自分が生き残り、評価を得ていくためには、嘘の報告、事実と異なる連絡をし、ありもしないことで同僚を貶めるために作り話を持って上司と相談するような文化の中で、正確な進捗把握は困難です。

 今、真しやかなコロナワクチン陰謀説が世界を飛び交い、世界中で1割から2割の人は、陰謀説を根拠にワクチン接種を接種を拒否しています。しかし、日本人は陰謀というのはとんでもないと思うかもしれませんが、敵を欺く戦略を悪としない世界においては、戦いに勝ち、相手を屈服させ、利益を得るための立派な戦略と位置付けられている場合もあります。

 日本人がたとえば「中国共産党の謀略」という場合は、それはとんでもない悪という認識が背景にありますが、中国では優れた戦略として評価されているかもしれません。

 アメリカは長年、中国の陰謀に気づかず、世論操作を目的とした戦略で孔子学院を隠れ蓑にしたり、IT機器に情報を盗みとるハイテクアプリを忍ばせ、最近では、中国政府が進める科学研究分野の人材招致計画「千人計画」をめぐり、米連邦裁判所がナノテクノロジーの世界的権威であるハーバード大学のチャールズ・リーバー教授が金品授受、機密情報を漏洩させ、有罪評決を下した例もあります。

 無論、国家を守るために法律で裁かれたわけですが、国益を損ねても個人的利益を優先させる行為は、その教授の例を待つまでもありません。日本企業のハイテク技術者も1980年代後半から、韓国や中国にどれほど多くの技術を金で売ったのかは計り知れません。

 謀略は敵に悟られれば失敗ですが、そうでなければ立派な戦略です。グローバルビジネスといえば聞こえはいいわけですが、実際は無法地帯で欺き行為は日常茶飯時です。

 アメリカは中国の陰謀にトランプ政権時代にようやく気付き、さまざまな法律を作り排除に乗り出したわけですが、その陰謀自体を日本人が考えるような悪とは見なしていません。それはアメリカでも戦略の1部だからです。

 しかし、謀略をめぐらし、敵を欺く行為は、結果として勝ち負けには繋がっても、信頼関係構築の観点からは真逆の結果をもたらします。ナイーブな日本企業が世界的評価を得てきたのは、消費者を裏切らない高い品質の製品を作り続け、商売において納期や支払い記述を厳守してきたからです。

 日本で人を欺く行為を「卑怯」としているのは、卑怯なやり方は実力がない人間がやることだという考えもあります。実力で相手に勝れば、相手の足を引っ張って上に登っていく必要はありません。中国も韓国も実力のある日本を踏み台にしてきたのは事実です。

 表向き、アジアの1員として第2次大戦終結までに日本が犯した間違いを償うためも含め、アジアを支援して共に栄える世界を築くというのが日本国の大義名分でした。しかし、相手にとっては踏み台でしかなく、早く不愉快な日本を抜き去り、支配したいという欲の方がはるかに大きく、技術を盗み取ることも正当な戦略であり、悪いこととは思っていないでしょう。

 とはいえ、日本は無法地帯であるグローバルな世界で生きていくために、高潔さを捨てる必要はありません。なぜならその高潔さで世界の信頼を勝ち取ってきたからです。ただ、謀略に対するリスク管理は必要でしょう。同時に高潔さに傷をつける卑怯な行為が日本企業の社内で起きている事実は見逃せません。

 日本の大企業の度重なる不祥事も身から出た錆で、社内の非生産的なドロドロな権力闘争や不正行為の隠蔽は高潔さを失っている証拠です。謀略に弱く、高潔さもなくなれば、何の取り柄もなく、日本は沈んでいくだけでしょう。高潔さ、誠実さ、実力は、どれを欠いても衰退に繋がると私は考えます。