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   南米パンタナールの広大な自然

 新型コロナウイルスのパンデミックの長期化で、われわれの生活が過去にない変化を見せる中、人々は生きる力になっていた人とも交流がままならない状況の中、不安やイライラが募り、メンタル管理が難しくなっています。ノーベル賞級のあらゆる優れた英知も、この状況を予想して人はいないといわれています。

 私は昨年2月、コロナ禍が本格化する中、個人的に思ったことは旧約聖書に出てくるバベルの塔の話で、1度、このブログにも書きました。物語は人間が神抜きに勝手に巨大な塔の理想郷を建設しようとしたことが神の逆鱗に触れ、建設作業の不可欠なコミュニケーションを封じるため、互いがしゃべる言語を通じさせなくしたという話です。

 ピーテル・ブリューゲル1世が16世紀に描いた《バベルの塔》は、雲を突き抜ける塔を脅威の想像力によって描かれたものでしたが、聖書にはバベルの塔の具体的な姿は描かれていないので、ブリューゲルという芸術家の想像力によるもの以外の何物でもありません。

 ポイントはギリシャ神話の時代から神々が天から人間を見下ろしていたとあるように、人間を超越した圧倒的な存在は「天上」にあるという認識が人間に定着し、バベルの塔が天を衝く高さなのは、人間の不遜を表現したものでした。

 その意味するものは人間に心と体があるように心は神に属するもので、物質や金は体に属するものということでいうとバベルの塔建設をめざした人間はモノと金に支配された者たちによるものだったということです。

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  ピーテル・ブリューゲル1世《バベルの塔》

 産業革命を繰り返し、デジタル革命までに至り、時間、空間を超え、何でも人間の力でできるという過信が生まれたともいえます。ITビジネスや化石燃料に頼らないモビリティビジネスの成功者らは競って「天を突き抜け」宇宙にまで進出し、簡単に「世界を変える」と息巻いています。

 科学万能主義が極まっている状況の中で発生した想定外のコロナのパンデミックは、デジタル時代にふさわしく、リモートワークなどで対応していますが、コミュニケーション手段の限界を感じ、感染が落ち着いた時点で職場復帰したら、同僚との他愛ない会話が、どれだけ仕事への意欲に貢献するかを実感する報告はいたるところで聞かれます。

 バベルの塔は多数の言語を生み出すきっかけになったとキリスト教史では信じられていますが、同時に天を貫く理想郷のプロジェクトは阻止されました。それはともかく、期せずして世界がコロナのパンデミックに襲われる中、知らず知らずのうちに人間は未知の世界に遭遇しているように見えます。

 絵を描くことがライフワークになっている私からすれば、悪戦苦闘していい絵を描くことに挫折し、描いたものをナイフで削り取るか、カンバスを張り替えて再度、真っ白なカンバスでゼロから描き始めることもあるわけですが、今、世界ははそのような状態のようにも見えます。

 さらに数年前に訪れた南米の秘境、世界自然遺産のパンタナールで、自分がいる場所から見える四方の地平線までに誰も人が住んでいない自然環境を経験をしたことにも通じるものがあります。

 つまり、人生の物語は今から始まるというワクワクした感覚です。最近、母をあの世に見送り、孫の顔を見ると、人生の終わりを迎えた母とこれから人生を始める孫に、何ともいえない感慨に襲われました。コロナ禍で未知の領域に踏み出した人類は、過去の因縁に囚われず、新しい絵を描ける出発点に立っていると見ることもできます。

 作家の安部公房は著書『砂漠の思想』の中で、砂漠に立った時に覚える何とも言えないワクワク感について書いています。砂漠は自然的要因と人為的・社会的要因から生まれるといわれますが、樹木や草の生えない砂漠は、人間の心に特別な感情を引き起こすのも確かです。昔は「東京砂漠」などという言葉が流行ったこともあり、人間にとっての不毛を意味しました。

 なんとなくひたひたと押し寄せる不安の方が強調される昨今ですが、悲しい別れを強いられる人々も少なくない一方、個人的にはワクワク感の方が大きいといえます。それもコロナで人間は文明の根底的なリセットをする機会を得ているともいえそうです。喜びや悲しみ、苦悩も吸い取ったキャンパスの古い絵を削り取り何を描くのか、新しい挑戦の始まりです。

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