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 写真や動画のない時代から、自分を記憶の中にとどめおきたいという願望を持っていたといわれます。そのため西洋ではギリシャ、エジプト時代から特定の人物を描いた肖像画や彫刻が多数制作され、日本でも聖徳太子を描いた最古の肖像画「聖徳太子及び二王子像」(唐本御影=とうほん みえい作)は8世紀ごろの描かれたとされています。

 写真や動画の登場で、記録するという点では圧倒的に記録手段が容易になり、今ではスマホの自撮りで大量に記録を残せる時代になりました。肖像画が盛んだった時代は、権力者や富裕層、貴族の家族、偉大な人物など特定の人が描かれ、中にはダ・ヴィンチの「モナリザ」のように正体が未だに不明な謎に満ちた肖像画もあります。

 オランダのアムステルダム美術館では、「REMEMBER ME:デューラーからソフォニスバまで100点以上のルネッサンスの肖像画」展(2022年1月16日まで)が開催されています。

 誰もが歴史に自分の存在を記憶にとどめたいという願望があるとすれば、それはどんな意味があり、映像の世紀に「ポートレイト」は何を意味するのかがテーマです。

 同展の説明によれば、「私が見えますか?そして、あなたは私をどのように見ていますか?権力者の皇帝、華やかな貴族、そして裕福な市民。15世紀から16世紀にかけて、当時の芸術家によって不死化された人々が増えた。私は、私たちの野心、憧れ、喪失など私たちのことを、どのように記憶されたいかについて考えました」としています。

 西洋美術を辿ると古くは古代ギリシャ・エジプト・ローマ時代にモザイク画やフレスコ画による肖像画は絵画のテーマの中心にありました。とても古い美術の一つのジャンルといえます。治世者は肖像画や彫刻と権威を示し、その歴史は独裁者の人間崇拝の残る現代の国にも受け継がれています。たとえば中国の習近平出席の肖像画がそうです。

 ただ、キリスト教がローマの国教となった4世紀以降、西洋美術からはいったん肖像画は影を潜めました。理由は人間に代わって神が圧倒的存在になり、キリスト像を含め、人間崇拝は良しとされなくなったからでした。

 再び肖像画が息を吹き返したのは、15世紀に古代美術の再生と人間性復活を掲げたルネサンス時代になってからでした。聖職者も王侯貴族も競って工房に自分の肖像画制作を依頼しました。特にネーデルラント地方(今のオランダ、ベルギー)では、写実的な肖像画が発達し、絵画における重要なジャンルとなりました。

 その時代に活躍したドイツ出身のデューラーやクラーナハ(父)は、聖画に登場する人物ではなく、権力者や貴族、商人など世俗の人々の肖像画を多く描きました。つまり、オランダこそルネッサンス以降の肖像画のルーツといえる場所だというわけです。

 肖像画は、顔の表情、象徴性、ポーズ、背景、服装など、構図のすべての側面が慎重に考慮され、権威に焦点が当てられていたのは確かです。そこに野心、愛、家族、知識、信仰などのテーマも加わりましたが、肖像画には、その人物が人々からどのように見られたかったかを明らかにすることも重要です。

 ルネッサンス期、肖像画の開花の時代に描かれた100点の作品からは、さまざまな要素をくみ取ることができます。画家が職人だった時代の作品ですが、写真にはない人物像の深みがあり、人間復興の躍動感に満ちた時代に画家たちが、禁欲的信仰から解放され、人間そのものに迫ろうとした意気込みも感じられます。

 人類の歴史の中の肖像画の本来の位置づけは、その人間の不死化でした。肉体はミイラになって保存され、その人物の姿は肖像画になって生き続けたということです。肖像画は時代の変化とともに役割が変わりましたが、インスタグラムのようなメディアが登場する中、これから肖像画はどこに向かうのでしょうか。

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