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    ⒸVivian Maier_Maloof Collection

 野心的であると同時にしっかりとした企画展で知られるパリののリュクサンブール美術館で、米女性写真家ヴィヴィアン・マイヤーの展覧会(来年1月16日まで)が開催されています。この展覧会はマイヤーが女性アマチュア写真家というだけで異例中の異例ですが、本人が生きていれば彼女の驚きは想像を絶するとことでしょう。

 シカゴのノースショアでベビーシッターとして約40年間働き続けながら、空いたニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスだけでなく世界中を旅して写真を撮り続けた人物。しかも大半の写真は人の目に晒されることもなく、ネガフィルムのまま現像されずに保存されていたというところも心が躍る人物です。

 ヴィヴィアンの凄さは、彼女の写真にかけた飽くなき追求です。編集者の厳しい批評のない商業写真と全く縁のない環境で、世界に稀な繁栄を遂げたアメリカの日常を撮り続けた稀有で謎に満ちた写真家でした。

 1926年2月1日生まれで、2009年4月21日に没したマイヤーの自宅からは死後、箱やスーツケースに詰まった彼女の写真やネガフィルムが発見されたそうです。

 そして今、ヴィヴィアンは20世紀のアメリカを代表する写真家として名を刻んでいるというわけですから、なんという物語だろうといわざるを得ません。彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画や書籍が刊行されているのも当然といえるでしょう。(日本でも2015年にドキュメンタリー映画公開)

 実はヴィヴィアンはフランスと縁が深いとされています。されているというのは本人は出自について話したことなく、徹底した調査の中で浮上した彼女の出自から、母親はフランス人のマリア・ジャソード・ジャスティン、父親はオーストリア人のチャールズ・マイヤーということが判明したということです。

 1935年頃にヴィヴィアンと母親は、母の出身地であるフランスのマルセイユ北方約120キロにあるサン・ジュリアン・アン・シャンソール村の農園で働いたことがあり、母の所有していた土地の遺産としてヴィヴィアンは受け継いでいたことも明らかになったそうだ。

 しかし、2人はニューヨーク戻り、やがてシカゴでヴィヴィアンは2軒の家を掛け持ちする家政婦として働き始め、そのうちベビーシッターになり40年間を過ごしたとされています。十分な教育を受けられなかった女性の多くが選んだ職業でした。

 彼女の人生を綴った記録によれば、若い時は心優しいベビーシッターだったのが年齢を重ねるごとに偏屈になったとも書かれています。

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        Ⓒ MUSEE DU LUXEMBOURG

 ローライフレックスのカメラ(当時は非常に高価だったはず)を持って、シカゴの町を写真に撮り、その範囲はロサンゼルス、マニラ、バンコク、上海、北京、インド、シリア、エジプト、イタリアにまで広がっています。

 彼女の人生も興味深いのですが、何より彼女の写真が作品として異才を放っています。今はスマホで容易に写真が撮れる時代ですが、ローライを含め、当時のカメラはマニュアルフォーカス、マニュアル露出、ローライはシャッター音も大きいので、取られている方にも気づかれてしまいます。利点は上からファインダーを覗いているので、相手は油断することくらいです。

 サイドが上に向かって尖った眼鏡をかけた裕福そうな女性たちの町ゆく姿、街角で数人の女性が新聞を読む姿も完ぺきなアングルで、プロというしかありません。当時のアメリカの大都市の生活が生き生きと蘇ってきます。

 彼女は亡くなる2年前の2007年、シカゴのノースサイドに借りていた倉庫の支払いを滞納した結果、彼女のネガ、プリント、オーディオ録音、8ミリフィルムがオークションにかけられ、コレクターの手に渡り、やがて高い評価を得るようになったというわけです。

 最後は貧しさのあまりアパートを追い出されたところを、自分がかつてベビーシッターとして世話した兄弟が提供したアパートに住んだといいます。私の想像では稼いだ金は老後も考えずに全部写真に費やしていたのでしょう。

 大事にしていた作品も自分の手を離れ、寂しく亡くなったヴィヴィアンの作品は今、パリの上院議会が所有するリュクサンブール美術館で大回顧展を開催しているのは奇跡のような話です。

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