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 日本の人気ドラマ「相棒」の主人公、杉下右京には「悪い癖で細かいことが気になるんです」という決まり文句があります。これは日本人と特徴である世界一細かい性格という意味ではなく「気づき」の能力が人の何倍も優れているという意味でしょう。目的は事件の全体像を解明するためで、案外、真相は細かい所に隠れているからです。

 日本には「木を見て森を見ず」ということわざがあります。意味は細かいことに目を奪われて全体像を見据えることを怠るといったことですが、フランスで日本との欧米のビジネス慣行の比較研究をする中で、欧米諸国、とりわけフランスは「森を見て木を見ず」という傾向があると思えます。

 まあ、ことわざの多くは教訓だったり、言い当てて妙ということが多いわけですが、木を見て森を見ずは、細部にこだわり過ぎて全体を見ることを怠ってはいけないという教訓ともとれます。

 今回の衆院選で各党候補者がコロナ禍で傷んだ国民の生活を救済するため、有権者に受けのいい現金を配ることを強調していますが、そこからは各党の政治信条は見えてきません。さらにあまりにも弱い野党が政治信条を無視し、政権奪還目的で野党共闘するのも同床異夢でしかありません。

 木に例えれば共有できる枝葉の政策で有権者に訴えているだけで、根は相いれないのは明白というのは偽善的にも見えます。1度それで保守革新の寄り合い所帯の民主党が政権を取ったら、決められない政治になりました。ドイツのように一党独裁を極端に嫌う国なら、右派と左派の連立もあり得ますが、それは国の特殊事情といえるでしょう。

 政治もビジネスの世界も国の文化が大きな影響を与えているわけですが、意思決定に至るアプローチの違いは興味深いものがあります。

 たとえば、フランスでは事業コンセプト・目標設定に非常に時間をかけ、市場やデータを取捨選択しながら、一定の法則や構造を見つけ出し、それによって綿密な事業コンセプト(フレームワーク)を具体的に構築するのが普通です。

 日産とルノーが資本提携を始めた当時、日産での研修を担当させてもらっていた時に、日本の幹部からフランス側との幹部会議で、事業コンセプトを決める議論が長く続くことに辟易しているという話をよく聞きました。答えは幹部の仕事の役割は事業コンセプト、ヴィジョンを決めることにあり、具体化する話し合いは次の階層のリーダーに委ねられるというものです。

 つまり、幹部は決まったコンセプトに従って達成水準を設定し、達成に最適な技術、人材、必要な費用、期間など実施に関する項目をフレームワークに従って個々に当てはめていくまでが仕事ということです。そこに参加する日本側幹部は具体化することばかりが気になって、なぜ、早くそこに議論が移らないか苛立つという構図です。

 この意思決定プロセスで決められた事業コンセプトや達成水準は、事業がスタートとしても最後まで絶対視されます。それをトップダウンの意思決定とか、マニフェスト的発想というわけです。この前提が真理ならば結果もよいという演繹的発想は、フランスでは至る所に見られます。

 文化的背景は、キリスト教、イスラム教など一神教世界では、真理は一つしかなく、前提が真であれば、結果も必然的に真となるという発想の影響が強いことで、何かと普遍性を求める習慣があるということです。政治、経済のリーダーは、まずは自分の信念を明確に表明しようとするのもそのためです。

 この演繹的アプローチのメリットは、目標設定に時間をかけ、管理者が共通認識を持ちやすく、プロジェクトへの高いコミットメントが期待できることです。全体の目標達成に向っての職位による役割・権限・責任の棲み分けを明確化しやすく、結果に対する評価も容易な点にあります。

 一方、デメリットは、設定したコンセプトそのものが間違っている場合、成果が得られないのも当然ですが、予測している前提が変化した場合の対応に柔軟性が持ちにくいことも弱点です。それに演繹思考に関わるのは少数の意思決定者であり、組織の下部では全体目標への関心が薄くなり、進捗状況のチェックも甘くなるのが常で、モノづくりには向きません。

 モノづくりで評価の高いドイツの意思決定は、一見、強烈なトップダウンに見えますが、末端の工員レベルと幹部の意見交換もあって、現場を無視したコンセンサス軽視ではありません。ギルドという職人制度は日本と似たものもあります。

 それはともかく、演繹的アプローチは、まさに全体像の根幹をなす木の根を決める作業で、幹も枝も葉も実もその根に左右されるわけです。1980年代に評論家の故竹村健一氏などが、盛んに事業コンセプトの重要性を強調し、コンセプトという聞きなれない言葉が普及しましたが、日本に定着したともいえません。

 日本は「事情優先」なので、事情によって何でも変更、変化し、その変更は、むしろ柔軟性があるとして評価されたりします。前提となる目標に柔軟性を持たせ、進行過程での新たな発見、改善などを取り入れやすく、状況変化への対応がしやすい強みはあります。

 しかし、細部に目が行きすぎて、手段が目的化し、優先順位も決められず、目標へのコミットメントが弱くなるリスクもあり、まさに木を見て森を見ずの状態になる弱点もあります。そんな目で見ると、今回の衆院選は木を見て森を見ずに陥っているように見え、危うさも感じます。

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