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 伝統を守ることと、時代の変化の中で進化することの両立の難しさを見せつけているのが、秋篠宮家の眞子様と結婚相手の小室圭さんの騒動です。結婚内定から4年間の紆余曲折を経て結婚に至る最終段階にあるわけですが、前代未聞の儀式ゼロになる流れです。

 中身はともあれ、儀式という伝統を守る重要ツールが軽視される事態は、令和皇室内にも大きな波紋を呼んでいるはずです。このニュースに触れるフランスは、伝統を守る権力者の王族や貴族、聖職者を処刑した国ですから、真子様の行動は個人の選択の自由を尊重し、古臭い伝統を抜け出すいい機会というのが一般的です。

 一方、王室批判で金儲けするハリー、メーガン騒動に揺れる英王室は、実は王(今はエリザベス女王)がトップに立つイングランド国教会自体が、16世紀の国王ヘンリー8世の離婚をローマ・カトリックの教皇が認めないことから分裂してできた経緯もあり、男女問題は英王室に常に付きまとっています。チャールズ皇太子、ヘンリー王子も踏襲しています。


 英国のような歴史がなく、昭和天皇時代に側室が廃止された日本の皇室では、男女問題が表面化することはなく、今でも不道徳という見方が優勢です。真子様は夫のいる身で浮気したわけでもなく、一般人男性と恋に落ち、普通に結婚したいだけですが、その男性の母親の金銭トラブルが日本の常識に違反するとして不快感を与えています。

 無論、親の不透明で不道徳的行動は、基本的に本人とは関係のない話ですが、それ以上に真子様の行動が間接的に批判されてきました。特に生まれた時から皇室の1員として公人の立場に置かれた彼女が結婚して皇室を離れるまで公人を貫くとすれば、儀式は受け入れたはずだからです。

 なぜ、ここまでこじれてしまったのかは憶測にしかすぎませんが、実は私が専門とするグローバルマネジメントや異文化理解とも大いに関係するテーマです。それは異文化接触が日常化している現代、異なった文化、異なった価値観を持つ人間が協業し、ダイバーシティ効果を出すことが求められる時代と関係があるからです。

 その鍵を握るのが眞子様が通って国際基督教大学(ICU)です。アメリカ型リベラル教育で知られる同校の卒業生は、かつては優秀だが「公務員としては使えない」「愛国心がない」「組織への忠誠心がない」「協調性がない」などといわれ、組織ではなく個人で活躍している卒業生が多いことで知られていました。

 理由は米国の自由主義の根幹でもある個人の自由が重んじられ、組織に隷属すること自体が蔑まれていたことによるものです。つまり、日本の高等教育を受けた優秀な人材の中で最も個人主義的と見られてきたわけです。

 これはグローバルに活躍する日本の一般的なビジネスマンが日々、欧米で遭遇するカルチャーショックを同国人がもたらしている問題でもあります。このテーマは2021年のノーベル物理学賞を受賞した日本出身で米国籍の研究者・真鍋淑郎氏の発言にも表れています。

 真鍋氏は「日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。彼らはとても調和的な関係を作っています」「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません」といい、日本に帰りたくない理由について「私は他の人と調和的に生活することができないからです」と答えました。

 日本のリベラルメディアは、彼の言葉に飛びついて「だから日本は問題だ」と批判していますが、そう単純な問題ではないはずです。

 個人の成果を重んじるための結果重視が求められる欧米です。一方、集団で結果を出すことが重視される日本ではプロセスが重視されます。無論、それはチームワークの結果です。進捗管理にこだわるのはプロセス重視だからです。

 ICU教育は馴染みのない個人主義を、無私の精神を何より重んじる、まったく異なった伝統文化にさせられた皇室に持ち込んだことだと考えられます。

 たとえばメーガンがハリーとの結婚を受け入れたのは、誰もが手にはできない超ステイタスブランドだったことが考えられます。それは決して英国王室への尊敬でも使命感でもなく、成功者のシンデレラストーリーを味わうためで、それがなぜ分かるかといえば、皇室内の人種差別に対してすぐに批判を初め、国を出たことです。

 女王は人種のダイバーシティの必要性もあってハードルの高い黒人の血を引く女性を受け入れたわけですが、メーガンにはその期待に応える使命感はなかったために、すぐに悲鳴を上げて逃げ出しました。英国人がメーガンに嫌悪するのは黒人だからより、英王室をコケにされたことです。

 とはいえ、私は個人主義=悪といっているわけではありません。自由主義、個人主義のリスクは自己中心に陥ることです。自分を先立てて考えることが行きすぎれば利己的になり、他の人を傷つけ、周囲との不協和音が生じます。一方、保守主義のリスクは形骸化し易く、既得権益に固守しる腐敗が生じやすいことです。

 リベラルと保守主義が出会った時、両者のリスクを回避するポイントは、目的の共有化と道徳的アプローチです。個人の自由を優先するとしても、社会道徳や公益性を無視すれば、単なる伝統破壊の利己主義で何も生み出しません。

 伝統主義と自由主義は優劣を競うものではなく、自由主義が伝統主義を破壊したフランスも、その後国王が復活したりしました。その上、伝統の中にあったキリスト教道徳まで破壊したことが、その後のフランスに深いダメージを与えました。

 私は、自分のDNAにない価値観を消化するのは極めて難しいと見ています。昔、アメリカかぶれという言葉がありましたが、個人の権利を強調する態度は日本では歓迎されませんでした。私は何でもアメリカ式リーダーシップやマネジメント手法が正しいという考えは持ち合わせていません。

 同様に日本人がICUで学ぶリスクは、もともとキリスト教道徳がDNAにない人間が表明的な自由主義、個人主義だけ学ぶと、利己的になりやすいリスクがあるといえます。その一つが私の個人的体験からして、ICU卒業生の多くに報恩の考えがないことです。

 恩は売るもではないにせよ、恩に報いる良心は東西を問わず重要です。異文化が接触した場合、メリットばかりがあるわけではなく、高いリスクもあります。日本は明治維新を西洋文明の力を借りて成功させましたが、実は芥川龍之介や夏目漱石のような優れた文人は、西洋化の危険な部分も察知していました。

 文明は非常に複雑な様相で成り立っており、自由主義や個人主義の背景も複雑です。アメリカのようにピューリタニズムで人工的に作られた国も、徐々に伝統が作られていくものです。そのピューリタニズムの背景を知ることなく自由主義、個人主義を学べば、目には見えない道徳性の希薄な利己主義に陥るリスクは高いといえます。

 皇室が今後の伝統保守の本流を守りながら、グローバル時代に耐えうる存在になるのは、子供がICUで学べばいいという発想ではリスクの方が高いでしょう。むしろ、内からの改革に本腰を入れ、グローバル時代にふさわしい日本的あると同時に普遍的価値を追求すべきでしょう。

 実は日本におけるキリスト教弾圧の歴史は、天皇と神の優劣を中心的テーマでした。天皇以上の存在を認めないキリスト教を根幹に持つICUに皇室の子弟が通う意味は大きく、天皇が敗戦後、人間天皇になったこととも関係していますが、相性がいいとはいえません。

 西洋文明を形作ったキリスト教の教えにも、イエス・キリストが「だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」と語った記録があります。幼子とは自分がない純粋な心を持った人間を意味しており、私は東洋の私心や我欲のない無私の精神に通じるものがあると思っています。

 個人的な体験からすれば、現在の西洋にはイエスのいう幼子の精神の重要性はありません。子供は単に半人前であり、不完全な存在というのが一般的認識です。私は日本の皇室に普遍的な価値観として無私の精神を体現してほしいと願ってやみません。

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