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 2021年のダボス会議のテーマは「グレート・リセット」でした。戦後75年間の自由主義陣営の経済システムを支えてきた資本主義体制は、極端な勝ち組と負け組を作り、グローバル化の名のもとに途上国や弱者に犠牲を強い、体制の異なる国々とは対立を深めるばかりの状況を作り出しています。

 つまり、現在の資本主義の考えでは、地球上すべての人々を幸福にはできないことにコロナ禍で気づかされたといえます。それを象徴するのが「世界最大の工場」である中国のウイルぐ族が日米欧のグローバル企業の工場で奴隷化して強制労働させられるに至っている事実です。

 たとえば、ベトナムは一方でグローバル企業が中国リスクの回避地として投資し、目覚ましい発展を遂げているようにいわれていますが、日本で技能実習生として働く期限が終了した若い女性が貧しい農家の稼ぎ頭として、英国行きの不法就労貨物トラックに乗り、コンテナ内で死亡する悲劇が伝えられました。

 先進国が自国に利益をもたらす見返りがなければ途上国に支援しない考え方もまた、資本主義経済システムがもたらしたものともいえます。表面的に途上国にマネーが集まったとしても、恩恵を受けるのは1部の国民であり、多くの人々は貧しいままで本質的な問題解決にはなっていないということです。

 2000年に入った頃、パリに拠点を持つ米インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(現インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ)のコラムニスト・故ウイリアム・ファフ氏は、私に「先進国の大企業は途上国の労働力を利用し、成長を続けているが、途上国は利用されるだけに終わっている。これは大きな偽善だ」といっていたのを思い出します。

 彼は「世界の一握りの人口に富が集中し、残りが貧困にあえいでいる状況は異常というしかない」としながら、冷戦後の新しいフレームワークは、この問題に本腰で取り組むことだと主張していましたが、実際には偽善的グローバル化はとどまるところを知らない状況で進んできました。

 トランプ政権の登場で、中国がグローバル化を逆手にとって巨大市場と質の高い労働力を安く提供することで、外国からの投資と技術の盗用によって経済大国に化け、世界覇権に戦略的に乗り出していることに世界は気づかされました。あたかも「ポスト資本主義は21世紀型の中国社会主義だ」といわんばかりです。

 ところが人権弾圧を正当化し、宗教や言論の自由を奪い、反政府勢力は投獄して矯正処遇する習近平指導部の態度は、反革命犯及び刑事犯の矯正処遇政策として労働改造所を展開した毛沢東時代さながらの状況です。自由を奪い、拷問、不妊治療など手段を選ばない方法で21世紀版のジェノサイドが行われているのが実態です。

 「反対する者は処分してしまえ」という失政は、今の中国の後ろ盾を持つミャンマー軍政府が国民に銃を向け、実際に発砲しているのと同じです。つまり、中国が中国型資本主義を正当化し、グレート・リセットの指針となると主張しても、説得力はありません。

 ダボス会議が主張した「より公平で、持続可能で、強靱な未来」のためのリセットには、人間の欲望をどうコントロールするかという倫理的課題があるはずです。キリスト教を始め、多くの宗教が強欲を罪としています。資本主義は個人の欲望を肯定しすぎて制御が効かなくなり、事態を悪化させてきたのは事実だと思います。

 これを避けるために登場した共産主義体制では富の分配で個人の欲望は制御できるはずでしたが、権力と富を握った共産党幹部は資本主義下のビジネスマン以上に富を自分のものにしようと汚職が横行しました。実は共産主義では体制は欲望を否定していますが、宗教を否定したことで個人個人の倫理観もなくなりました。

 アメリカはソ連社会主義を崩壊させたことになっていますが、その後、社会主義で失われた宗教的モラルは無視され、拝金主義にアメリカは拍車をかけました。グレート・リセットに必要なのは、もう一度、自由と豊かさを求める人間の欲望のコントロールをどう行うか、欲望の経済学の徹底的再検証が必要だと思います。

 グローバル企業の経営者は、強制収容所で人権弾圧の強制労働に繋がる生産拠点に投資するかどうか倫理的判断を迫られています。アップルは中国の工場で過重労働で自殺者を出しても、労務状況を改善しようとしませんでした。商売にモラルをいらないという考えではグレート・リセットは無理な話です。リーダーの相当な覚悟が必要でしょう。