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 今年の日本の初詣は、新型コロナウイルスで混雑を避けるため、1日の参拝者は激減し、参拝日は分散しています。海外から見れば正月は初詣で神社に行き、結婚式はキリスト教式が圧倒的に多く、葬式は仏式という世界に稀に見る不思議な国です。
 
 30年以上前、バブル経済全盛期に米タイムズ紙の「ジャパン特集」で「この国の文化理解を遠ざけているのは宗教だ」と書いていました。当時、先進国といえばキリスト教の欧米諸国をさし、新たに登場したアジアの経済大国は、一神教の国からはあまりにも読めないものがありました。

 実は今もそれは変わっていません。強いていえば、欧米諸国の世俗化が進み、人々が教会から離れたことで日本を身近に感じるようになったのは確かです。とはいえ、宗教が残した価値観は定着しており、基本的人権、自由、平等、人道主義などはキリスト教のコアバリューで、その普遍性を多くの西洋人は信じています。

 同時に個人の選択の自由は民主主義の国々の基本ですが、特に言論の自由、宗教の自由は非常に重視されているルールです。日本でも同じことが保障され、宗教に至っては世界で稀に見る新興宗教のオンパレードです。キリスト教圏の国々では新興宗教は警戒の対象です。それはなぜか。

 ローマカトリックのフランスシスコ教皇は、イスラム聖戦主義の過激なテロについて「宗教は過激化する恐れを抱えている」と宗教の持つ危険な側面を認めています。キリスト教も多くの戦争を起こしてきたし、ボスニアヘルツェゴビナ紛争ではイスラム教徒を大量殺害したのはカトリック教徒でした。

 改革開放に舵を切った中国に対して、中国は共産主義を捨てたという見解を持つ人は少なくありません。しかし、世界の宗教関係者はそうは見ていません。理由は中国が宗教弾圧をやめていないからです。最近ではイスラム教徒の多いウイグル族に対して中国共産党が掲げる価値観に従うよう強制収容所で教育を行った事例があります。

 確かに中国が大きな方向転換した文化大革命後を見ると、文化大革命の終わりに推定300万人いたとされるプロテスタント教徒の数は現在、1億人を超え、カトリック教徒は推定1000万〜1200万人いると見られています。無論、政府発表はその3分の1程度ですが、実は増加の一途をたどっていることがアメリカの大学の研究機関などから発表されています。

 米パデュー大学中国宗教・社会研究センターの調査では、2010年以降にキリスト教は大幅に増加しており、2030年には米国を上回って中国が世界最大のキリスト教徒人口を抱える国になる可能性もあるとしています。中国政府にとっては頭の痛い問題です。

 なぜなら治世者にとって宗教は、道徳的な意味では社会の安定や秩序に貢献するだけでなく、治世者を上回る存在を信じることで国家のガバナンスが危険にさらされる側面もあるからです。かつて日本でも秀吉の時代からキリスト教は弾圧され、明治維新まで隠れキリシタンとして生き延びた過去があります。

 これは実はイエスキリスト自身が遭遇したことでもあり、当時のローマの治世者の代表であるピラト総督が、イエスに対してローマ皇帝以上の存在であるという主張を問題視し、結果的にユダヤの指導者の希望もあり、処刑した歴史があります。

 日本では神と神の子イエスを天皇に以上の存在としたことが、天皇崇拝を国に伝統的価値観とする治世者にとっては脅威と映ったことが弾圧の理由でした。中国も同様に中国共産党を超える存在はありえず、もともと共産主義で「宗教はアヘン」としてきたわけですから、脅威と感じないわけはありません。

 愛国教育を強化し、海外からの評価より、国内の引き締めに躍起な習近平政権は、その動きをますますエスカレートさせています。今年は中国で増え続けるキリスト教徒への引き締めが強まると見られています。新興宗教デパートの日本では考えられないことです。

 多くに国では宗教は心の支えだけでなく、世界観を意味します。つまり、人生観に大きな影響を与えています。仏教国タイでは輪廻転生を信じているので、生きている時に善を積まないと次に生まれると時は家畜や虫になると信じられ、自分の不幸は生まれ変わる前の人間が悪いことをしたからというわけです。

 八百万の神が御利益を与えると信じる日本人の宗教観の方が、はるかに世界的には異質です。リベラルな日本人は「人間が宗教を作った」といいますが、まったく世界的に受け入れられない考えです。今年は信教の自由をめぐる問題も世界の動向の注目点だと私は見ています。

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