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 コロナ禍で他国に比べれば感染者数も死者数も少ない日本ですが、政府がGotoトラベルキャンペーンをやるやらないで揺れ、結果的に感染拡大と経済危機の両方をもたらし、菅政権の支持率は急降下しています。どの国も健康被害と経済危機の両方に対処することに苦戦中なのは確かです。

 では、日本の国のトップの支持低下の原因はどこにあるのでしょうか。最近、コロナ対策と窮地に追い込まれた接客業や失業問題、医療のひっ迫問題ばかりが報道され、来年夏に開催予定の東京五輪の話を政府もメディアも取り上げなくなりました。

 確かに今月15日にNHKが明らかにした世論調査の結果によれば、「開催すべき」が27パーセント、「中止すべき」が32パーセント、そして「さらなる延期」が31パーセントとなり、残りは「分からない・無回答」で、開催に消極的な人は63%と半数を超えています。

 たとえば、政府もメディアも国民の多くがオリンピックは無理と思っているのに、五輪の話を続けるのはいかがなものかと自粛しているのかもしれません。しかし、果たしてその判断は正しいのでしょうか。それとも手段が目的かしやすい日本人は、2021年最大のイベントをコロナ禍で忘れたのでしょうか。

 ある自民党幹部は「わが党の伝統として、内閣府と各省庁の官僚が熟慮を重ね、首相が最高の選択をできるようにするスタイルをとってきた。首相に手を煩わせないようにするのが正しいやり方だ」と胸を張った。

 失策と批判されるGo to travelキャンペーンもそのような決定プロセスで決まったとすれば、大きな矛盾です。なぜなら、非の打ちどころのないコロナ禍での経済対策を関係閣僚や官僚、政府幹部が熟慮して決めたのなら、それで菅首相が追い込まれたのはおかしな話です。

 「お前たちがいいというから決めたのに、国民から批判され、引き下げることになったじゃないか」と菅首相は政権幹部にいえるかもしれませんが、国民の前で責任を取るのは首相のはずです。中には「コロナ対策は経験が浅く、試行錯誤はしょうがない」という人もいます。

 確かに正体不明のウイルスとの戦いで世界各国は試行錯誤を繰り返し、はるかに日本より悪い結果が出ています。しかし、完全にコロナを抑え込んだはずの台湾で感染者が見つかり、韓国は感染対策優等国と自負していたのが、感染再拡大に襲われています。日本もどうなるかわかりません。

 とはいえ、コロナ禍はフランスのマクロン大統領が「有事」という言葉を使ったように非常事態であることは確かです。日本は戦争アレルギーで有事は75年間もなく、絶対に避けたい表現ですが、リーダーたちも国民も有事の経験の記憶があるのは80歳以上の人たちだけです。

 果たして非常事態になっても、自民党の政治スタイルである政権中枢スタッフが知恵を駆使し、首相が「良きに計らえ」といって物事が進むとは到底思えません。日本はかつて天皇を神と崇め、天皇の裁可で戦争も決定したとされますが、実際には違っていました。

 日本の行方を左右する意思決定は、実際には. 軍事作戦に関する天皇の命令は. 参謀総長らが起案し. 天皇の裁可を経て. 奉勅. 伝宣 と添え書き. 副署 されて軍隊に伝達され、 天皇は統帥の実質的な権限は持たされていなかったとされています。自民党政権の意思決定にも似たものを感じます。

 このシステムのリスクは、トップリーダーを幹部がマインドコントロールし、自分たちに都合のいいような意思決定をしてしまうことです。その判断が偏ったものであってもトップは選択の余地がないということです。逆の例がフランスです。マクロン氏の口癖は「決めるのは自分だ」です。

 日産のゴーン元会長も同じ意思決定スタイルでした。権限と責任は表裏一体というのが欧米の常識ですが、その違いの根拠は、リーダーにはそのポジションでしか見えないものがあるからです。菅氏は官房長官時代と首相になってからでは、見える風景は違うはずです。

 その風景はトップにしかわからず、政権幹部や官僚にもわからない風景です。だからこそ、どんな案があがってきたとしても、最終的に決めるのは首相であり、責任を取るのも首相です。「良きに計らえ」とは到底いかないものです。

 となるとトップの判断能力が問われます。そのための豊富な知識も必要です。しかし、何よりも重要なのは、国民が納得し、共感でいるヴィジョンを提示し、信念を曲げないことです。そしてそれはコロナ克服と東京五輪の成功のはずです。

 東日本大震災の時は、民主党政権の失策が目立ちましたが、なんとか苦境を脱しようという国民の心に訴えかけるメッセージは多少なりともあったと思います。コロナ禍を克服し東京五輪を成功させるというメッセージは今のところ何も聞こえてきません。

 有事という表現は適切でないとしても、国民が一つとなって国難を乗り越え、世界から尊敬される国づくりをしていこうという気概が日本政府には感じられません。

 トップには調整能力や落とし所以上に明確なビジョン、強い意志と信念が必要なはずです。自分にしか見えない課題の本質を見据えて、周囲の反対を押し切ってでも決めるのがリーダーなはずです。日本の開戦も戦争自体より、現人神の特異な意思決定プロセスに問題があったと私は見ています。

 コロナ禍は平和ボケした日本には多くの問いを投げかけているのであり、世界に稀にみる良識の高い従順な国民に甘えるのではなく、リーダーの大きな意識変革が必要だと私は見ています。

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