フランスでは今、政府が出した警官の顔をSNSで拡散させることを禁じる条項を含む包括的治安法案の撤回を要求する抗議デモがエスカレートしています。抗議する側は、アメリカから世界に広がった警官の黒人への暴力や殺害などに抗議するブラック・ライブズ・マターに賛同する人たちです。
フランスではデモ隊には毎回、デモの目的はまったく関係のない景観への攻撃、商店の破壊と略奪、自動車への放火だけを目的とした暴徒が紛れ込み、デモを荒らしてきました。5日のデモでも暴徒が暴れ、あちこちで火の手が上がりました。
メディアは普通に日常に起きている平凡なことは無視し、耳目を集めるスキャンダラスなこと、極端なことを扱うのが昔からの常です。ただ今は、刺激的ニュースが面白おかしくSNSで拡散される時代になり、公器として事実に基づく客観報道や規範を持つメディアも注目度を増すために刺激的で極端な事象に報道の重心を置くようになりました。
例えば、性的マイノリティ(LGBT)については、差別という人権問題として扱うのは当たり前のことですが、LGBTに対する理解、市民権を与えることとは別に宗教的価値観や社会規範として様々な意見がある問題です。その議論を封じ込め、過度に支持する報道は意図的というしかありません。
ブラック・ライブズ・マター運動も、アメリカで何度も流された映像は、確かに警官の高度には非難されるものもある一方、手に負えないほど法を無視し、盗みやドラッグ、暴力事件を繰り返す黒人たちに手を焼く警官の実情は無視されています。
メディアが不当な扱いを受ける超マイノリティに焦点をあてること自体は間違っていないにしても、単に同情させる報道には事実の一部が封印されたりしています。そこには権力者=悪、金持ち=悪といった単純な観念があり、彼らを袋叩きにしようとする意図も見えています。
つまり、今、世界は刺激的で耳目を引く超レアで超マイノリティの事象に人々が振り回され、肝心のマジョリティの動きが封印されているかのようです。背景にはSNSの登場で既存メディアが経済的に追い込まれ、コマーシャリズムに走っている問題もあります。
例えば、4年前のアメリカの大統領選挙で、もともとリベラル系だった米CNNは強力にクリントン候補を支持し、クリントン・ニュース・ネットワーク(CNN)と揶揄されました。結果はクリントンが敗北したわけですが、その後、反トランプ報道に徹することで視聴率を上げ、利益を倍増させました。
そうなると政治信条の問題ではなく、儲かる路線をとるという判断がメディアでも先行する動きが加速してしまい、正確な客観報道はおろそかになっています。結果としてリベラル系の人々はリベラルメディアしか相手にせず、保守系は保守系メディアしか見ないという現象が起き、これがアメリカの社会的分断を加速させています。
この単純な色分けや極端な違いに耳目が集まることに振り回されてのことです。その結果、メディアは信頼を失い、経緯も失墜しています。本来、いいか悪いかは国民が判断すべきものでメディアが国民を誘導するものではないはずです。
ダイバーシティをポジティブに捉えようとする動きとは真逆にもので、対立を煽っているだけです。共感は重要でも共感できないことを無視したり、封印するのは分断を深めるだけです。トランプがアメリカを分断させたのではなく、メディアが分断を煽った部分が圧倒的に大きいといえそうです。
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