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  パラグアイ北部パラグアイ川流域に暮らすインディオたち(筆者撮影)

 あることをきっかけに中南米社会に深く触れるようになって理解したのは、アメリカへの非常に複雑な思いでした。たとえばベネズエラ、コロンビア、ボリビアなどのアンデス諸国は、反米か親米かに分かれ、その現象こそ彼らのアメリカへの複雑な思いを象徴しています。

 反米の理由には、歴史的背景はもとより、アメリカとは反りが合わない社会主義、あるいは独裁政治にあることは明らかですが、それだけでなくアメリカ人の上から目線の態度への反発も反米感情を育てているといえます。

 ある時、南米の最貧国の一つといわれるパラグアイで、アメリカの大学生の視察研究グループに遭遇したことがあります。彼らは首都アスンシオンだけでなく、パラグアイ人も眉をひそめる先住民インディオが暮らす奥地まで行ってフィールドワークした帰りでした。

 彼ら数人と話す機会があり、感想を聞くと「未だに全近代的な暮らしをするインディオは馬鹿だと思った」「こんな国に生まれなくて良かった」「問題解決する意志がないなら、投資しても無駄だと思った」など、ネガティブな意見が大半を占めました。

 私はてっきり、世界一の経済大国に暮らす若者が、逆に南米奥地のプリミティブな生活に憧れる部分もあるのかと思っていましたが、「あんな生活を1,000年以上続けるなんて、本当に愚かだ」という物言いに逆に驚かされました。ただ私の知る限り、大半のアメリカ人は国外に関心はなく、無知だということもあるとは思いますが、その馬鹿にしきった態度に少々呆れました。

 さらに国連の途上国支援プログラムで働くアメリカ人職員とパラグアイで遭遇した時も、上から目線に呆れたことがあります。ホームレス化した人たちの支援活動をしているのに「彼らは無責任で、まともな生き方ができない、どうしようもない連中だ」と侮蔑の本音を語っていました。

 翻って日本は、途上国に対してどうなのか。相手国の復興プロジェクトに日本企業が加わることは多いのですが、インドネシアの政府関係者に話を聞くと「最初から損得勘定が露骨だ」といい、話を持ってくる政府系の日本人に対しても「今度はどんなビジネスできたんですか」と聞き返すこともあるといいます。

 近年、日本企業は、国内市場で成長が見込めないので海外に出るという話は山のように聞きますが、ビジネスの論理としては正しくとも、進出する先の国のことをどこまで考えているか疑問です。賃金が安いから生産拠点を移し、その国の人も雇用して貢献でき、Win Winの関係といいますが、相手国の人にとっては複雑です。

 なぜなら、さらに生産コストを下げられる賃金の安い国があれば移動していくからです。今は急成長する新興国、途上国でのビジネスが盛んで、単に労働力供給国ではなく、市場としても魅力を放っています。そのため進出する外資系企業には、ローカリゼーションが、この10年重要さを増しています。

 その国の国民に愛され、感謝される企業にならなければ、根を張ることはできません。その国の人にとっては、国や地域に継続的に貢献してくれることが重要です。逆に言えば日本市場の逼迫が理由だとしても、よその国に荒稼ぎするために土足で踏み込むことはできないということです。

 ビジネスの基本は信頼関係の構築ですが、信頼関係は共有できるヴィジョンがなければ成り立ちません。飲み食いを繰り返し、ゴルフをいくらしても深い信頼関係はできません。そのヴィジョンは、途上国にとっては豊かで安定した安全な国づくりです。

 上から目線で「発展しないのは、その国の国民が怠惰だからだ」とか「いい加減な生き方しかできないからだ」という態度では、単なる経済植民地と同じです。それに成長する国のおかげで先進国の経済が救われている側面もあります。つまり、支援の波に乗って国内で行き詰まった企業が救われる例も多々あるということです。

 無論、採算が合わずに撤退する日本企業もありますが、中身を見ると、特に大手の中にマネジメントのまずさが目立ちます。いすれにせよ、国を超えるということは、相手の国や地域の役に立つ、貢献するという姿勢が絶対に必要だし、支援を受ける側にもプライドがあり、複雑な心が存在することも理解すべきでしょう。

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