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 ルルドの泉はカトリックの聖地

 行方不明になった2歳の男の子を救出して話題になった尾畠春夫さん(78)の困った人を全て自前で助け続ける行動は、多くの人々の胸を打っています。先祖代々、筋金入りのカトリック教徒のフランス人の私の妻は「やっと日本にも本当のボランティアが表れた」といっています。

 妻は日本で子育てした時、学校の行事の手伝いで「これはボランティアです。でもお食事と飲み物は出ます」と聞いて強い違和感を覚えた。なぜなら、ボランティア先で何か受け取れば、それはフランスではボランティアとは呼ばないから。

 彼女の父親は、40年間に60回、フランス南西部にあるルルドに通い、ボランティア活動していました。カトリック教徒にとって奇跡の泉のあるルルドは、難病をも治す世界的聖地で1年中、巡礼で多くの人々が訪れています。義父は車椅子を必要とする難病の子供たちの世話をするのが仕事でした。

 フランス西部ブルターニュ地方の自分の家から約1,000キロの距離にあるルルドに最低年1回は通い続けました。その時の長距離バスの往復の交通費、現地での宿泊費、食費は全て自前でした。妻は「父が牛乳1杯でも受け取ったら、ボランティアにならない」といっていました。

 フランスの有名な人口学者、エマニュエル・トッドは、フランスはパリを中心に非科学的なカトリック信仰が薄まり、近代化が進み、中心から離れたブルターニュやアルザス・ロレーヌ地方、フランス南部などは近代化が遅れ、国民の間に近代に対する大きな認識の差が生れたと指摘しています。

 いわゆるドーナッツ理論で、ドーナッツの外側に属するブルターニュは近代化に取り残された地方である一方、中世以来のカトリック信仰が息づいていました。私が最初に訪れた妻の故郷は、まるで中世の町を歩いているようで心がウキウキしたのを覚えています。

 丁度、日本人が忘れ去ったような古い場所に外国人が押し寄せるように、フランスの原型を見たような感動がありました。義父はそれを象徴する存在で、寡黙で質素倹約、勤勉が取り柄で、趣味の菜園で取れた野菜や花を近所の人に配り、知人の畑の手伝いにも熱心でした。

 誤解されると困りますが、何も私の妻は日本人がフランス人より劣るなどと考えているわけでなく、むしろ信仰を失った今のフランス人の精神については嫌悪しており、日本人の方がモラルが高いといっているくらいです。

 実は尾畠春夫さんは、私の郷里、大分県別府市で鮮魚店を営んだ過去があり、今は隣町の日出に住んでいるようですが、同郷ということもあり、誇りに感じています。その尾畠さんの座右の銘が「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め」(刻石流水)です。

 もともとは長野県上田市の真言宗叡山派の古刹前山寺の参道脇にある石柱に刻まれた言葉だそうで、仏教経典にある「懸情流水 受恩刻石」がもとになっているようです。英語やフランス語にも近い言葉はあるのですが、見返りを要求しない犠牲をともなう無償行為が本当の愛というキリスト教の教義によるものです。

 そこで思い出すのは、アンパンマンの作者として有名なやなせたしさんに30年前に取材でお会いした時、当時、絵本になっていたアンパンマンを使用した保育園から「自分の頭をちぎって人助けするのは残酷」とクレームを貰ったそうです。そこでやなせさんは「人助けに犠牲が伴うのは当たり前だということを子供たちに伝えたい」と答えたそうです。

 最近、この刻石流水の人生哲学が話題になり、ビジネスの世界でもリーダーシップとして座右の銘にしているという経営者が名乗り出ています。しかし、俗世では、労働に対する見返りとしての報酬を受け取ることで社会は成り立っており、特に損得の計算の速い日本人には誤解もあるようです。

 それに仕事は情けをかけることとは異質で、大きな意味で企業活動が社会貢献に繋がり、その一役を担ったという意味合いはあるかもしれませんが、それでも報酬という見返りなしにやることではありません。東日本大震災で国から巨額の復興予算が出た時に、それに群がって利益をあげた企業は少なくありません。

 世の中は、利潤追求で企業が成り立ち、それでテクノロジーも発達し、多くの人々が労働の対価を受け取って生活しているわけですから、刻石流水とは異質なものです。刻石流水の哲学で倒産覚悟で困った人々を助ける企業はありません。

 それは私たちが暮らす資本主義社会の発展法則に反しており、せいぜい企業は収益の一部をメセナに使う位ですが収益が落ちれば、メセナはしぼみます。欧米では富裕層が人道支援団体に巨額の寄付をする習慣があり、資本主義社会の負の要素を薄める作用をしています。

 いずれにせよ、刻石流水の本質は、与えて忘れる高邁な精神で、見返りどころか感謝もされないかもしれないのを覚悟でやることで、誰もが簡単に実践できることではないと思います。それでも生きている間に徳を積むためには素晴らしい精神だと思います。

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