異を持って尊しがカギを握る 異から和を生み出す普遍性の追求とは
だいぶ前の話ですが、本を執筆していた時にビジネス系の方が出版社の方から本のタイトルの打ち合わせで「異」という言葉が入った本は売れないという話を聞いて驚かされました。その出版社に限ったことかは未だに不明ですが、日本社会にとって「異なる」という表現は敬遠されるということでした。
和を持って尊しの日本では、違うということ自体が何か悪いことと捉えられていることに驚かされ、同質社会、村社会で思い当たることは多くありました。満州大連から18歳の時に引き揚げてきた母は、日本社会の様々なルールに神経を尖らせていました。外地の常識が通じないカルチャーショックに苦しんでいたことを後で知りました。
そういう母に育てられた私自身も日本社会の常識が身についておらず、何度も人から違和感を持たれた経験があります。フランスに住んで安心したのは、フランス人が他の人に干渉しないことや、様々な文化的背景のある人が生活しており、日本のような目に見えない暗黙のルールが少ないことでした。
同時に日本で違和感を持たれた経験が何を意味していたのか、客観的に理解するようになりました。特に保守的な日本人は、日本が世界で最も優れているとか、日本の常識以外(アンチ西洋とか)は受け付けないとか、暗黙の了解で伝わらない人間は排除するということを理解できるようになりました。
私が、こブログを書いている理由の一つは、グローバルな時代、ダイバーシティが求めらる時代に役立つために、海外からの視点や情報を提供することで視野を広めてほしいと思ったからでした。しかし、時代はグローバルどころか超内向きで、海外に無関心な若者が増え、少々戸惑っています。
一昔前までは、西洋は日本より優れているという意識が強く、特にアメリカを向いていた時代がありましたが、そんな時代は過ぎ去り、日本は世界の中でも非常にうまくやっている国という思考を強く持つようになり、海外に学ぶものなしという日本人も増えています。
しかし、明治維新以降、西洋コンプレックスもありましたが、実際、多くの日本人が大学で学んでいる学問のほとんどが、西洋で確立した科学的アプローチによる普遍性の追求で、理由は科学的に体系化されているからです。それを価値あるものと判断した日本は近代化に成功し、アジアで唯一主要7か国(G7)のメンバーになったわけです。
今や教えた方より、教え子の日本の方が結果を出していることを誇るべきで、フランスの東洋で和辻哲郎の研究者でもあるオーギュスタン・ベルグ氏は「日本人は優等生だ」と私に言ったことがあるくらいです。戦後、アメリカの統治を受けて様々な改革が進んだ結果、アメリカ以上の成果を出せたことで1980年代、ジャパンバッシングが起きました。
ただ、日本は多文化社会でなかったことが成功のカギを握っていたというべきで、そうもいかなくなった今の状況では、大きな壁にぶち当たっているといえそうです。
そこで重要さを増しているのが異を持って尊しという精神です。ところが日本人は経験したことのない未知の領域なだけに抵抗感も強く、その領域に入っていくことは時間と労力とリスクもあります。リスクとはダイバーシティマネジメントで発生するミスコミュニケーションや混乱のことです。
ただ、ダイバーシティ=何でも受け入れるのは間違いです。そのために明確な普遍的ヴィジョンが必要です。女性活躍の時代といいますが、女性が男性化することではなく、男性の持っていない発想や思考が必要だからです。外国人と協業するのも同様な目的を明確化する必要があります。
ダイバーシティというと女性の権利やLGBTの人権と受け止める人もいますが、寛容さは大切ですが、普遍的価値観も必要です。共生を破壊する価値観は意味がありません。
その一つは異文化への関心です。アジアの技能実習生の逃亡が相次ぎ、うまく活かされていない理由は、彼らが日本という異文化でどう生きているのか、課題は何かに関心がないからです。しかし、日本の経営者は日本人従業員がどんな課題を持って働いているかにさえ関心がないのが現実でしょう。
つまり、人権意識が低いために個人をリスペクトする文化が薄いために、それが外国人にも出てしまっているということだと思います。そう考えると多文化環境で働くことは、日本人の人権への意識を高めることに繋がるメリットもあることです。
つまり、日本人だけで仕事をしていると気づかないことに気づかされるメリットがあるということです。これが異を持って尊しの1例です。
環境活動家チャールズ国王訪仏 仏議会演説でスタンディングオベーションの訳
今月20日から、即位後初となるフランス公式訪問の日程をこなす英国王チャールズ3世は21日午前中、仏上院議事堂で上下両院議員約300名を前にスピーチを行いました。同国王は自由と民主主義の価値観を死守するための団結を訴え、ウクライナの勝利を強く支持しました。
さらに、国王が最も力を入れる気候変動対策を訴え、スピーチに対して、スタンディングオベーションを受けました。
今回のフランス訪問でもチャールズ国王はライフワークの環境活動家としての顔を見せ、訪問最終日にはボルドーを訪問し、昨年の熱波による大規模な森林火災を受け、気候変動による森林の研究を行っているフロワラックの実験林訪問が最終日に組み込まれました。
英国で注目されたのは、環境活動家の国王が訪問先で、最近、スナク英シュシュが発表したガソリン車製造販売を2030年までに停止する期限を2035年に延長した政策について何を述べるかでしたが、外交の場では政治的中立を守る国王は政権批判はしませんでした。
さらに母、エルザベス前女王がどれほどフランスを愛していたかにも触れ、過去の100年戦争を戦った仏英関係は女王の親仏姿勢が両国の良好な関係維持発展にいかに貢献したかを印象付けました。
英国はブレグジットで小国になったように見えますが、チャールズ国王はコモン・ウエルス(通称、英連邦)56か国の上に今でも君臨しており、その人口は約26億人で世界の4分の1の人口を占めています。英国の世界に与える影響は今でも強く、その象徴的統治者がチャールズ3世国王です。
最近、5人のロシアのスパイ容疑者が英国で起訴され、それ以前にもスパイの逮捕が続きました。英国は対ロシア強硬派というだけでなく、世界に影響力を与えている国とロシアは考えているということです。
最近、英政府は世界の先進国に先駆けてロシアの民間軍事会社ワグネルをテロ組織に認定しました。対ロシア外交で弱腰なバイデン氏に代わり、ウクライナ支援で影響力を発揮しているのは英国です。議会制民主主義を世界に先駆けて確立した英国には、自由と民主主義を守る主張に説得力があります。
君臨すれども統治せずの英君主ですが、とかく母親と比べられるチャールズ国王は、ダイアナ元妃を差し置き、浮気に走る貞操感のない人物と国外では思われがちです。しかし、皇太子時代から地味な人道支援活動を継続してきたことは国内では広く知られています。
特に貧困に苦しむ若者支援では成果を出しています。そのため、若者層に一定の支持者がいるのは確かといわれています。
上院議場でのスピーチで、第2次世界大戦で仏英が一体となって対ナチス・ドイツ戦争で戦ったことを引き合いに出し、ウクライナ紛争で不安定化するヨーロッパで両国が協力して戦い、勝利することを訴えたことは、フランスの国会議員たちの心に響いたように見えました。
いじめ加害者逮捕で教室に警察介入 仏政府の断固とした姿勢だが、学校は聖域との違和感も
パリ市に隣接する南東郊外のアルフォーヴィルの中学校の教室に、警官が現れ、いじめ加害者容疑の中学生が逮捕されるという前代未聞の出来事が起きました。おりしも政府がいじめとの断固として戦いを表明し、9月の新年度から校長と自治体首長に加害生徒の強制転校の権限が与えられた同じ月に起きました。
嫌がらせをした学生を逮捕するために警察が中学に突入したことは、「学校は社会の中でも閉ざされた聖域と考える一部の保護者や学校管理者に衝撃を与えた」(仏週刊誌レクスプレス)と報じました。
日本なら少なくとも担任が校長室に連れて行き、生徒の目に触れないところで逮捕したかもしれません。フランスもかつてはそうでしたが、校内暴力が激化し、高校では凶器をもったテロに関わる生徒が出現し、学校と警察は連携を取るようになっていましたが、いじめでは初めてのケースとなりました。
実は今回のいじめ加害者と被害者は別の中学校に通っていました。クリテイユ検察当局によると、被害者の15歳のトランスジェンダーの女生徒に対して、加害者の14歳の男子生徒はトランスジェンダーに対する嫌悪から「彼は性的指向を理由に、殺害の脅迫と意図的な精神的暴力の容疑で送致された」との説明がありました。
同件はすべて基本、ネット上で起き、被害者の親が学校長に直接相談していました。警察の対応は非常に迅速だったとされますが、背景には9月の初め、パリ西部郊外のポワシーで15歳の生徒ニコラ君がいじめを苦にして自殺した事件があったことが考えられます。
この自殺が注目されたのは長期に渡るいじめに苦しむ両親が学校に何度も訴えたにも関わらず、教育委員会から非常に冷淡でむしろ両親を脅迫するような文面の手紙が教育委員会から送られていたことでした。この手紙が公開され、アタル国民教育相は「恥ずべき手紙」と強く非難しました。
いじめをないことにしようとする姿勢は日本も似ていますが、教育委員会は休み時間中に校庭でしばしば起きた肉体的暴力を伴う被害届を、基本的に学校の責任と認めませんでした。
フランスは昨年3月、急増するいじめによる自殺が政治問題化し、いじめを刑事犯罪と位置づけ、罰則として実刑の刑務所収監や罰金を定められました。教育委員会が隠ぺいしようとしても警察が迅速に対応する法改正が行われました。フランス、いじめ厳罰化「加害者を転校させる」背景
果たして警官が授業中の教室に入ってきて生徒を逮捕するのが適切かどうかは意見が分かれるところですが、少なくともいじめ抑止に繋がるのは確かです。時には命を絶つまで追い込み、いじめのトラウマが一生消えない行為は、整えられた環境で教育を公平に受ける権利を奪っているのは事実です。
日本では加害者の将来を考え、加害者の名前を公表することも少年法で守られ、結果的に被害者が泣き寝入りするケースは本人が自殺しても見過ごされるのがほとんどです。成長途中の未成年者とはいえ、犯罪者として責任を問うのは被害者から見れば当然といえるでしょう。
フランスも日本同様、いじめに蓋をしてきた過去はありますが、今、フランス教育界は過去にない本腰を入れているといえます。
米大統領選は高齢者の泥試合か 法廷が待つバイデン、トランプに日本は一喜一憂する時ではない
バイデン大統領の次男のハンター・バイデン氏は、故意に所得税を支払わなかった2件の連邦法違反の罪について認めることで司法省と合意した。一方、薬物の使用を申告せずに銃を購入して不法に所持していたことについては刑事訴追され、起訴された。
さらにハンター氏は、外国企業から多額の報酬を得ていたとされる問題で、ハンター氏が中国のビジネス相手に対して父親の後ろ盾をほのめかして恫喝(どうかつ)する内容のメッセージを送った利益相反の疑惑も、バイデン氏を追い込む要素となっている。
マッカーシー米下院議長は12日、共和党がジョー・バイデン大統領の弾劾訴追に向けた調査を開始すると発表し、「職権乱用や捜査妨害、汚職の疑いがある」と述べた。
大統領の弾劾といえば、トランプ前大統領もウクライナの大統領との電話会談を巡り、2019年、民主党が当時のトランプ大統領を弾劾訴追した経緯がある。トランプ氏は現在、起訴されており、前回の大統領選直後の連邦議事堂襲撃事件を扇動したかどうかの罪状を含め、裁判を待っている。
その裁判は共和党指名争いが始まる時期と重なる。民主党にとっては好都合だが、肝心のバイデン氏も弾劾裁判になる可能性がある。共和党だけでなく、民主党もバイデン氏を候補者に選ぶにはマイナス要素が少なくない。
二人は高齢であり、長く生きれば、たたけば埃が出るのは常という意味では、クリーンとはいえないだろう。もっと深刻なのは、アメリカ政治が2人の疑惑まみれの高齢者に頼らざるを得ない現実だ。若い国と高齢大統領の構図は、信念重視の国の新しい現象といえるかもしれない。
米メディアは、この2人の高齢政治家の動向を追うことに追われ、国外に他の有力大統領候補や新人候補の話は聞こえてこない。アメリカを取り巻くカオスのような状況に正しく対処できる実力を持つ政治家が見当たらないとすると、時代遅れの専制主義の国々が覇権争いをさらに激化させることは目に見えている。
簡単にアメリカの衰退と分析するのは安直すぎると思うが、はっきりしていることはアメリカ追随の歴史は終えんを迎え、それぞれの主権独立国家が自立した外交を展開する時代に入っていることも事実。
周囲を見ながらバランスを取ることが得意な日本は、東西冷戦終結以降、自律外交という不得意な課題を突き付けられている。主体的アジア太平洋外交を展開していた安倍元首相を失った現在、アメリカの顔色ばかりを窺う時代は終わっており、明確なヴィジョンと強い信念が求められている。
歴史の古い日本はアメリカと違い、高齢者に頼る必要はないのに、未だに老練な政治家が先輩風を吹かせているのが心配だ。政治が政策ではなく、人間関係の力学だけでしか動かない悪習を、ぜひ一掃してほしいものだ。
主客転倒はなぜ起きるのか 安易な目標設定、現実にのめり込むことで優先順位を見失う
私の身近な人で、とても外見を気にし、人が自分や自分の家族をどう見ているかを異常なまでに気にし、虚勢を張ることで有名だった人がいます。彼女はお中元やお歳暮などに神経質で、相手にどの程度のものを送るかもリストアップしており、お返しも卒なく行っていました。自分の子供がお年玉をいくら貰ったかもの報告させ、それで相手との関係も決めていました。
私は、そんな姿を見て、贈答品の行き来の虚しさを感じ、早くこんな慣習なくなればと思った時期もありました。理由は心を感じないからでした。日本には義理と人情、本音と建て前という言葉がありますが、その背景には世間体という者が厳然として存在しました。日本で葬式の簡素化が止まらないのも世間体を気にしない人が増えたことも大きな要因と思われます。
立派な葬式をしたから周囲の人間との関係が向上するわけでもなく、簡素な家族葬をしたら、人間関係が崩壊することもなくなりつつあります。原因は人の死について宗教的な意味を感じなくなったことで、丁寧に人を送る慣習そのものが消えつつあるともいえます。つまり、世代を超えて共有できる価値観そのものがなくなりつつあるのかもしれません。
価値観が弱まれば優先順位を決めることも困難になり、結果的には劣化していくのが歴史の常です。幸福論も過去には物質的豊かさから得られる欲望を満たす快感が重視されていましたが、今では不便で物が乏しい田舎暮らしに満足感を得る人が増えています。その傾向はコロナ禍後、日本よりヨーロッパの方が顕著になりました。
私は長年、日本を観察して思うことは、物事が主客転倒していったことが劣化の原因の1つと見ています。前出した女性の例は、本来、人間関係を結び、心の結びつきを強くする目的のための手段としての贈答が、その手段が目的化し、人間の結びつきから得られる喜びや満足感を忘れ、見栄という自己中心の道具と化してしまったことにあるといえそうです。
贈答品のやりとりは人間関係構築の手段、心のコミュニケーションの手段の1つでしかないのに、目的を忘れ、手段が目的化すれば、なんの意味もありません。
手段が目的化するパターンは日本社会には多く散見されます。その主客転倒が及ぼす悪影響は甚大で、時には目的を破壊してしまう事態に至ることもあります。贈答におけるお返し重視には、負債を帳消しにする効果もあります。物をもらってもお返ししないと負債になり、人間関係のバランスが崩れるという懸念です。
私は、あらゆることで主客転倒を警戒すべきと考えています。私は日本人に貧しさが残っているとすれば、この損得勘定が人間関係を支配していることだと思います。お返しにこだわるのは、裏を返せばお返しをしなかった相手に対して自分が不快感を持つという理由も考えられ、そこにあるのは心の関係ではなく、損得勘定です。
主客転倒を防ぐ第1は、目標設定を明確にすることから始まります。様々な情勢変化にも柔軟に対応し、手段に支配されない強靭さが必要です。贈答は人間関係を深める道具の1つでしかないように、手段はいくつあってもいいわけですが、目的は変えるべきものではないということです。
手段が目的化する原因の一つは、間違った完ぺき主義です。なんでも卒なく完璧でありたいという日本人の性格は、手段を目的化する大きな原因です。完璧にするために現実にのめり込み、いつしか目的を忘れるパターンは多く散見されます。
IT,、AI、EV化時代など、新しいテクノロジーがわれわれの生活を大きく変えようとしていますが、すべては手段であって目的にはなりません。アリストテレスは「いつか手段でしかない貨幣が目的化し、人間を支配する時が来る」と予言しましたが、今、まさにそんな時代といえそうです。
砂漠化に気候変動襲う北アフリカ 地震も加われば本腰を入れた支援が急を要する
リビアを襲ったメディケーン(地中海で発生するハリケーン)による大洪水で、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)によると、確認されている死者はすでに5,000人を超え、1万人以上が行方不明になっていると報道されています。モロッコの大地震に次ぐ大規模な自然災害です。
両者ともに前代未聞の経験したことのない想定外の災害で、なんの備えもない中で起きたため、その被害は甚大です。モロッコは今回の規模の地震は歴史的に経験したことがなく、リビアも合意による洪水はまったく想定されていませんでした。
リビアの悲劇は気候変動による温暖化が強力なハリケーンを生んだと指摘されていますが、最初に襲われたのは地中海対岸のギリシャでした。ギリシャもリビアほどではないにしろ、洪水への備えはぜい弱です。今後も地球温暖化が進めば、山火事と大洪水は止むことがないと予想されています。
砂漠化が進む北アフリカは、ますます、人が住みにくくなっています。今回地震が直撃したモロッコのマラケシュ周辺では、この30年間だけでも干ばつが進み、緑に覆われていた丘は砂漠化し、農業や牧畜業を営めなくなった住民が都市に職を求めて移動している状況です。
アフリカは最も砂漠 化 の危機 に瀕した大陸で、全面積 の約34%が 砂漠 化の脅威にさらされているといわれています。農耕地 ・草地の砂漠化率は80%ともいわれ、特に北アフリカ・マグレブ諸国は深刻です。モロッコも例外ではなく、過 去50年間 に農地 ・放牧地は砂漠に転じています。
しかし、砂漠化は残念ながら、干ばつのような気候的影響だけでなく、土地管理 など人為的要因が拍車をかけているといわれています。そもそもア フ リカの土地は環境的に脅威人ではなく慎重な管理が必要とされていますが、管理する技術もなく、度重なる内戦などの人災が重なっています。
最近、モロッコは政治的に安定していることから、ビジネスで世界的注目を集めていましたが、一方で最も砂漠化が進むマグレブの国の一つです。そこに襲った大地震はモロッコの将来を暗くしています。
リビアは2つの政権が対立する国としての統治ができていない国で、そこに想定外の洪水が発生し、なすすべもない状態です。本来、マグレブはアフリカで最もヨーロッパに近いわけで、ヨーロッパからの支援が望まれるところですが、マグレブにとっては、例えば旧宗主国フランスとの関係が悪く、モロッコは救援部隊も拒否しています。
ただ、いずれ今回の自然災害で生活できなくなったマグレブの人々が、ヨーロッパに難民として流れてくることは必至です。ところが今、フランスはイスラム圏からの渡航ビザを制限しており、不法移民が急増することも懸念されています。
実はイスラム教が勢力を持つ国は砂漠化している国が多く、例えばアフガニスタンも殺害された医師の故中村哲さんが取り組んでいたのが灌漑事業です。アフリカも全く同様で、一方で痩せた砂漠化した土地と闘いながら、リビアで起きた大洪水は新たな試練も生み出しています。
貧困が進む弊害はイスラム過激派の拡散にも繋がり、各地でクーデターが起きる事態に発展し、ますます出口が見えない状況です。そのため、自然災害に強い建物やインフラ整備、土地の改良、灌漑などは国連規模で取り組む大規模な復興事業が求められています。
男性化する女性管理職不要論 競争心と面子に支配される男社会脱却に貢献する女性たちとは

一昔前の日本では政治家、官僚、企業幹部になる女性たちの多くは男性化し、中性的でした。地味なダークスーツで身を固め、ショートヘアか、長い髪をしっかり括っていた。それより何より性格が男性と見まがう女性が多かったし、権力志向だったり、高圧的だったり、独裁的な女社長が一般的なイメージでした。
女性自身がそれに苦しんできたはずが、悲しいことにミイラ取りがミイラになった感もあったし、昇進するには男になるしかなかったという話はよく聞きます。管理職になるには女性であることは捨てるしかないとも言われます。
背景には仕事で成果を出すには性別による能力差がないことを示す必要があるからという意見もあります。
それに、逆に「女性らしさを有効活用するべき」といって女性らしさを押し付けられるのは迷惑だし、ストレスを感じるという女性も多いといわれます。そもそも世界1の男性中心社会を続けてきた日本ならではの特有の問題があるのは事実です。
日本のジェンダー問題を研究する複数のフランス人や英国人が、男性が妻子を養うのが当然という慣習がある以上、男性に養われる方が楽だし、子育てや家事で空いた時間を好きな趣味に使う選択の方が満足度が高い人生を送れるという知恵が散見され、利口な考えかもしれないと指摘しています。
しかし、そもそもやはり、男女の性別による違いは歴然として存在し、一般的には男性は仕事中心に生きる性質が強く、女性は生活を豊かにする才能に秀でているといわれています。ワークライフバランスは、その意味で男女のバランスにもつながる考えかもしれません。
職場で見かける男性化した女性に正直違、強い和感を持ってきた私は、そもそもの責任は男性にあると考えています。日本社会が男性が作ったルールや常識で動いているのは確かです。
実際、中国をはじめ、アジア地域で出会う女性管理職の多さに驚かされることがあります。タイなどは男性より女性の方が勤勉といわれ、女性を採用したがる企業が多いのが実情です。バングラデシュのイスラム教スンナ派の信仰を持つシェイク・ハンナ首相は女性で「強い意思と信念の人」といわれています。
日本は先進国でありながら、女性活躍が最も遅れた国であり、これが日本社会の硬直化に繋がっていると何度も指摘されながらも、大きく変わる気配はありません。ただ、はっきりしていることは女性が国や組織のトップに就いたことで生産性が落ち、士気が下がった例はほとんどありません。
すでに結論は出ており、仕事と子育てがストレスなくできる社会の仕組みの構築が急務ですが、現状維持の保身に走る人は逆に増える一方のようです。
子育て支援を防衛強化と並び、最優先課題といいながら、予算も財源も定まらず、その責任を担う子ども家庭庁は省ではなく庁扱いで、主要閣僚にも入っていません。これが自民党の意識です。
仕事病の日本はライフワークバランスを回復し、価値観そのものを仕事ではなく、家庭やプライベートにバランスシフトすることは、日本再生の鍵を握るものです。その明確なヴィジョンがあれば、女性活躍社会実現を難しく考えることはないはずです。
岸田内閣改造に求める4つの要素 世代交代、女性閣僚3倍増、教育拡充、利権政治排除
「永田町の論理」という言葉が聞かれるようになって40年以上が経つといわれています。その政治プロセス特有の文化は、官僚主義、利益団体との癒着、内向き文化、閉鎖的な透明性のなさ、合意形成型の政治意思決定、男の論理などが影響しているといわれ、民間企業が先駆けてその改善に取り組んできたテーマです。
岸田内閣の改造が行われるようですが、課題は見えていても人間の意識が切り替わることは容易なことではありません。ジャニーズ事務所の深刻なセクハラ事件も、事務所、芸能界、広告業界、テレビ界、マスコミ関係者は、「噂は聞いていたが深刻に受けとめたことはなかった」と口を揃えて証言しています。
情けない話ですが、BBCに指摘され、国連まで乗り込んできた外圧がなければ、被害者は泣き寝入りし、業界の自浄能力は向上しないままに古い暗黙の慣習が続いていたでしょう。
ハリウッド映画業界も有名女優がセクハラ被害を次々に訴える国際的な#Metoo運動が起き、超有力プロデューサー、ワインスタイン被告に有罪判決が下されなければ、悪習は続いていたのは確かです。
その意味で日本政界に感じる閉鎖性は今でも変わっていません。原因の1つは政治家の問題意識の低さでしょう。当然、彼らを選んだ有権者にも問題があるというしかありません。大胆な改革による変化を恐れ、現状維持を好む保守派が権力を握る日本の状況は世界的には世界の7不思議の一つです。
それでも先進国を続けられているのは、秩序を保つための国民の社会道徳に対する意識が高く、自己利益を最優先する社会悪がはびこりにくい文化的体質があり、勤勉に働いているからでしょう。つまり、有能な政治リーダーがいなくても恵まれた国民性が日本を支えているといえます。
とはいえ、日本の存在感は薄れつつあり、アジアでは中国、韓国、台湾、インドなどに押され、今は経済力だけでなく外交力も試されています。その一方、特に少子化対策を含む30代までの若い世代が希望を持てない今の社会の将来は明るいとは言えないでしょう。
今はヨーロッパ先進国で、マクロン仏大統領、スナク英首相などが率いる平均年齢の低い閣僚、政治指導者が活躍しているのは、デジタル化によって19世紀の産業革命以来の変化が訪れているからです。過去のアナログ時代の経験だけでは前に進めない時代に突入しています。
私個人は、今回の岸田内閣改造に臨むとすれば、まず、大幅な世代交代でしょう。自民党が気づいていないだけで、高齢大臣の失言や不祥事にはうんざりしているはずです。年功序列の悪習を完全に一掃し、リーダーは地位や権力ではなく、役割に過ぎない考えに切り替え、内閣の半数以上が40代以下にすべきでしょう。メディアも大臣経験者を実力者として扱う慣習を辞めるべきです。
さらに女性閣僚を内閣の3分の1を占める段階に引き上げるべきでしょう。特に子ども家庭庁などは子育て経験のある女性が適任です。主要閣僚ポストに据えるべきでしょう。ダイバーシティといいながら60歳以上の男性が閣僚の大半を占め悪習も打破すべきです。
さらに教育だけでなく、子育てしやすい環境づくりを政府の最優先課題として、そこに実力を持つ閣僚を置くことが需要です。少子化対策は小さな問題ではないし、国の財産として有能な人材を育成するだけでなく、道徳面の強化も不可欠です。成熟社会にとって文部科学省の地位向上は急務だと思います。
そして長年、自民党がこだわってきた利権政治を終わらせることです。1部の利益団体に誘導される政治が続いていることは、誰もが知ることでしょうが、良いことはありません。
自民党は今、過去の保守本流の支持基盤も失いつつあり、有権者に説得力を持つ実効性を伴った新しいヴィジョンの提示がなければ、政界再編が進むのは必至でしょう。永田町の論理を突き崩し、古い殻から脱皮し、次の段階に向かう勇気があるかが問われているように見えます。
SDGsの普及を妨げる要因 気候変動を止められない影のイデオロギー闘争、企業の論理
今年の夏の北半球は、熱波による猛暑、干ばつ、山火事が各地で発生し、大きな被害が発生している一方で、豪雨による洪水被害で家やインフラが崩壊する事態に発展しました。メディアは口を揃えて原因は増え続ける温室効果ガス排出による地球温暖化現象と報じています。
しかし、そうであるなら、CO2最大の排出国である中国が途上国として認められ、先進国の2050年までのカーボンニュートラルの目標期限が2070年に設定されている現実は素人が考えても妙です。世界第2位の経済大国だと豪語し、一帯一路の莫大な資金を投入する国が途上国というのは合点がいかない話です。
CO2排出量が世界で2番目のアメリカの2倍を排出する国を野放しにする理屈は、経済発展に化石燃料は不可欠ということですが、世界にとってその恩恵の方が地球へのダメージを上回るという論理は成り立つのでしょうか。中国に先進国同様の目標を課したら、14億の中国人が急に飢え、世界経済は傾くというのでしょうか。
一方、中国の半分のCO2を排出する石油産油国のアメリカでは、長い間、地球温暖化理論が科学者によって否定され、本腰を入れた取り組みは足踏みしてきました。CO2削減推進派は、リベラル左派の民主党議員が中心で、彼らの理屈は環境活動を隠れ蓑に不人気の左翼思想を浸透させるための道具と見られてきました。
逆に保守勢力は、温暖化対策より、その裏に潜む左翼リベラルのイデオロギーへの警戒感から、国連が進める温暖化対策には後ろ向きで、左派からは経済優先の金の亡者のような烙印を押され、彼らのキャンセリングカルチャーの標的になっています。
イデオロギーに無関心な日本企業は、彼らのビジネスを妨げなければ温暖化対策に抵抗しない一方、左翼の正体である大企業や富裕層、政治的、社会的権力者への批判が頭をもたげれば抵抗するのが今の現状でしょう。ビジネスは現実しかなく、観念的で利益にまったく繋がらない理論に関心はありません。
日本の大企業に対するSDGsの研修を担当してきた感触として、いまいち彼らの原落ちが悪いのは、このイデオロギー問題が影を差しているのも1因です。企業にとって社会的評価は重要なので、掛け声としては企業理念やヴィジョンに掲げていますが、現実の社会の風を読んでいる段階です。
私個人はSDGsは正しい進化を遂げ、その対象範囲は広範に及んでいますが、左派のイデオロギーが巧妙に侵入している匂いも感じます。何とか世界が自分たちが望む方向に進むように仕掛けられた罠もあるということです。
科学は科学者の良心に従って、様々なテクノロジーを生み出し、代替えエネルギーへのスイッチ切り替えが進んでいますが、そのテクノロジーの悪用もされています。
中国はソーラーパネルを安価で大量生産し、輸出していますが、ドイツではそのためにドイツメーカーが次々に倒産し、フランスでは不良品で個人宅に被害が広がっています。
自国の温暖化対策より、自国製品の輸出に熱を入れる中国は、結果的に大量の温暖化ガスを排出しながら代替えエネルギーの機器を生産し、輸出する矛盾を抱えています。中国が世界の工場であり続けるだけで、CO2の排出を中国から減らすことは不可能なことが分かります。
中国を途上国に留め置いた方が、安価な生産コストで競争力を得ている先進国企業には都合がいいのでしょうが、結果的には地球温暖化は止まらないということになります。
そういった自己矛盾を抱える企業がSDGsに消極的なことは理解できますが、それでは年々進む深刻な地球温暖化を止めることはできないという結論に達するでしょう。ただ、できることから始めることもSDGsには重要です。また、温暖化対策に貢献するテクノロジーを生み出すことも重要でしょう。
さらにはSDGsに忍び寄る資本主義や自由貿易を否定するイデオロギーの侵入を警戒することも重要で、耳障りのいいコンテクストには常に偽善が潜んでいることも注意すべきでしょう。
経営コンサル辰本好庸氏哀悼 高度経済成長を陰で支えた男の辞世の句は愛、学び、伝えること
妻、故英子叔母さんとともに
個人的な話だか、日本のコンサルの草分け的存在だった叔父、辰本好庸が亡くなった。89歳だった。戦中生まれで満州からの引揚者だった叔父の晩年は、パソコンで執筆する一方、スマホはうまく使いこなせなった。何でもスマホに回答を求める安易さとは真逆に、毎日、全国紙5紙を時間をかけて丁寧に読み、生涯学び続ける姿勢を貫いた。
簡単にプロフィールを紹介すると、大学卒業後、家電メーカーに就職するも日本経済は急速な高度成長期に入り、アメリカから入ってきた経営コンサルティングのサービスを大企業が活用し始め、周囲の勧めもあって、脱サラし、経営コンサルタント会社を起業した。
自動車メーカー、本田技研からの知遇を得て、本格的なコンサルティングサービスを始め、特段、営業することなしに半世紀以上、仕事が絶えることはなかった。特に人材育成に特化したサービスで高い評価を得て、大企業で働く社員教育で企業を陰から支えた。
外資系コンサルに日本企業経営者が抵抗を感じていた1970年代から、日本の経営スタイルとの融合に取り組み、アメリカ仕込みの経営スタイルを押し付けることなく、日本人に合った経営で大企業を支えた。加えて日本人の弱点でもある主体性、自律性を人材教育に取り込んだ。
ただ、1980年代、圧倒的資本力を持つ外資系コンサルファームが日本で勢力を伸ばす中、その流れに乗ってビジネスモデルを変えることはなかった。あくまで個人として活動し、優秀な若い人材を雇って規模を拡張することもしなかった。
父親は満州・大連関東州警察の中国語の通訳官を務め、日本人職員に中国語を教える役割も担う一方、儒者でもあった。叔父は父親譲りの努力家で広範囲の膨大な書物を読み、学ぶことに時間を惜しまなかった。さらに満州引揚者は日本人とは異なった文化的視点を持ち、日本を客観視する能力に秀でていた。
ただ、満州の日本人学校で育まれた日本の優れたポジティブなイメージが、敗戦後に生まれて初めて定住した日本で多くが裏切られ、幼少の頃に培われた愛国心と、権力者への反発が複雑に絡まり、政治的には生涯、自民党嫌いの左翼リベラル派だったが、視野の狭い左翼ではなかった。
1度、保守系政党支持者が圧倒的な大企業経営者のコンサルを職業としながら、左翼リベラルは矛盾しないか尋ねたら、「そこは使い分けている」と答えた。本心では左翼リベラルにはない非常に強い愛国心を持っていたし、反米でもなかった。
そんな叔父が近年、問題視していたのが、自由と民主主義の成熟を妨げる要素として、ジャーナリズムと教育を上げていたことだった。私も共感するテーマで、自戒を込めて言えば、ジャーナリストの不勉強、教養のなさは酷くなるばかりで、教務に追われる学校の教師の不勉強も危機感を覚えるレベルと思っている。
叔父は、1冊の著書『「幸福人生の実現」に欠かせない27の基礎知識』を晩年書き残した。分厚い本にはコンサルの知識と学んできた教養が詰まっている。この本が書かれる以前から、叔父は「日本人は幸福実現を人生の最重要テーマと考えていないことが問題だ」と私に繰り返し語っていた。
私は30年以上に渡るフランス体験で、同様なことを痛感していたので、その意見に共感するものが多かった。それを詳しく解説し、本にして執筆したことは親族の1人として大きな誇りといえる。自叙伝に取り掛かっている矢先に他界してしまったのは残念というしかない。
叔父は生涯、時代の変化に左右されず、人生を探求し続けた人間だった。そのために人を愛すること、学ぶこと、伝えることを実践しながら、たった1人で真実を追い求めた人生だった。世の中に媚びへつらうことや時流に乗るよりも、人生どう生きるべきかを追い求めた人間だったといえる。
戦中、戦後、21世紀を生き抜いてきた足跡を、どう評価するかは今後の世代が決めることだが、戦中派が、それも海外で生まれ育った人間の数は数えるほどしか今残っていない。
日本を複眼的視点に見る能力を備えながら、真摯に生きてきた貴重な存在だったと私は思っている。今こそ個の考え抜く力が重視される時代に残したものは大きいだろう。
個人的な話だか、日本のコンサルの草分け的存在だった叔父、辰本好庸が亡くなった。89歳だった。戦中生まれで満州からの引揚者だった叔父の晩年は、パソコンで執筆する一方、スマホはうまく使いこなせなった。何でもスマホに回答を求める安易さとは真逆に、毎日、全国紙5紙を時間をかけて丁寧に読み、生涯学び続ける姿勢を貫いた。
簡単にプロフィールを紹介すると、大学卒業後、家電メーカーに就職するも日本経済は急速な高度成長期に入り、アメリカから入ってきた経営コンサルティングのサービスを大企業が活用し始め、周囲の勧めもあって、脱サラし、経営コンサルタント会社を起業した。
自動車メーカー、本田技研からの知遇を得て、本格的なコンサルティングサービスを始め、特段、営業することなしに半世紀以上、仕事が絶えることはなかった。特に人材育成に特化したサービスで高い評価を得て、大企業で働く社員教育で企業を陰から支えた。
外資系コンサルに日本企業経営者が抵抗を感じていた1970年代から、日本の経営スタイルとの融合に取り組み、アメリカ仕込みの経営スタイルを押し付けることなく、日本人に合った経営で大企業を支えた。加えて日本人の弱点でもある主体性、自律性を人材教育に取り込んだ。
ただ、1980年代、圧倒的資本力を持つ外資系コンサルファームが日本で勢力を伸ばす中、その流れに乗ってビジネスモデルを変えることはなかった。あくまで個人として活動し、優秀な若い人材を雇って規模を拡張することもしなかった。
父親は満州・大連関東州警察の中国語の通訳官を務め、日本人職員に中国語を教える役割も担う一方、儒者でもあった。叔父は父親譲りの努力家で広範囲の膨大な書物を読み、学ぶことに時間を惜しまなかった。さらに満州引揚者は日本人とは異なった文化的視点を持ち、日本を客観視する能力に秀でていた。
ただ、満州の日本人学校で育まれた日本の優れたポジティブなイメージが、敗戦後に生まれて初めて定住した日本で多くが裏切られ、幼少の頃に培われた愛国心と、権力者への反発が複雑に絡まり、政治的には生涯、自民党嫌いの左翼リベラル派だったが、視野の狭い左翼ではなかった。
1度、保守系政党支持者が圧倒的な大企業経営者のコンサルを職業としながら、左翼リベラルは矛盾しないか尋ねたら、「そこは使い分けている」と答えた。本心では左翼リベラルにはない非常に強い愛国心を持っていたし、反米でもなかった。
そんな叔父が近年、問題視していたのが、自由と民主主義の成熟を妨げる要素として、ジャーナリズムと教育を上げていたことだった。私も共感するテーマで、自戒を込めて言えば、ジャーナリストの不勉強、教養のなさは酷くなるばかりで、教務に追われる学校の教師の不勉強も危機感を覚えるレベルと思っている。
叔父は、1冊の著書『「幸福人生の実現」に欠かせない27の基礎知識』を晩年書き残した。分厚い本にはコンサルの知識と学んできた教養が詰まっている。この本が書かれる以前から、叔父は「日本人は幸福実現を人生の最重要テーマと考えていないことが問題だ」と私に繰り返し語っていた。
私は30年以上に渡るフランス体験で、同様なことを痛感していたので、その意見に共感するものが多かった。それを詳しく解説し、本にして執筆したことは親族の1人として大きな誇りといえる。自叙伝に取り掛かっている矢先に他界してしまったのは残念というしかない。
叔父は生涯、時代の変化に左右されず、人生を探求し続けた人間だった。そのために人を愛すること、学ぶこと、伝えることを実践しながら、たった1人で真実を追い求めた人生だった。世の中に媚びへつらうことや時流に乗るよりも、人生どう生きるべきかを追い求めた人間だったといえる。
戦中、戦後、21世紀を生き抜いてきた足跡を、どう評価するかは今後の世代が決めることだが、戦中派が、それも海外で生まれ育った人間の数は数えるほどしか今残っていない。
日本を複眼的視点に見る能力を備えながら、真摯に生きてきた貴重な存在だったと私は思っている。今こそ個の考え抜く力が重視される時代に残したものは大きいだろう。
英国がワグネルのテロ組織認定 米国が二の足を踏む中、英国はワグネル潰しでプーチンに迫る
英国内務省は6日、ロシアの民間軍事会社ワグネルをテロ組織と認定すると発表、今後、英国人が同組織のメンバーになることやワグネル支援に関与することを違法とすると説明しました。通常、このようなケースでは米国が真っ先にテロ組織やテロ国家に認定するのが常ですが、米国はテロ認定していません。
英内務省は「組織の活動の性質と規模、および海外の英国国民に及ぼす脅威」を理由に、同国が2000年に定めたテロ法に基づき、同組織を非合法な犯罪組織だと認定しました。
ブレイバーマン英内相は「ワグネルは暴力的で破壊的なテロ組織であり、海外ではプーチン露大統領のロシアの軍事手段として機能してきた」と述べ、「ワグネルは略奪、拷問、野蛮な殺人に関与してきた。ウクライナ、中東、アフリカにおけるワグネルの作戦は世界の安全保障に脅威を与えている」との認識を示しました。
現在、アフリカのサヘル地域などで起きている、特にフランスの旧植民地だった国が、フランスべったりで既得権益で莫大な富を築いてきた国の指導者を追い出し、次々にクーデターが起きている背後に、ワグネルの存在が大きいことが指摘されています。
本来なら、フランスへの敵意を露わにし、フランス駐在大使や駐留フランス軍の追放を進めるクーデターの首謀者の背後にいるワグネルに対して、フランス政府がテロ組織認定にすべきなように見えますが、今のところはウクライナ紛争終結後のロシアとの関係を心配するマクロン政権は宥和策のスタンスです。
ヨーロッパでは、英国以外はロシアの報復を恐れ、ワグネルの犯罪組織認定の動きはありません。これもブレグジット効果で、英国が独立した独自の外交政策を取れる結果といえます。
そもそも対ロシア強硬派の英国は、ウクライナへの武器供与も米国に次いでヨーロッパでは最も積極的で、アンチ・ロシアの姿勢を明確にしています。今回の決定は米国に影響を与えるのは必至で、ある意味でウクライナ戦争の潮目を変えるほどの効果があるとも見られています。
今回の英国のテロ組織認定で今後、ワグネルの資産の差し押さえ、送金を含む資金援助などの活動に関わった場合、刑事犯罪として最長14年の刑を科すことができると見られています。さらに英国司法を通じて、ワグネルに対してウクライナ人被害者が賠償を求めることも可能になると司法関係者は指摘しています。
2014年にワグネルはそれまで香港に拠点を置いていた「スラブ軍団」と呼ばれる民間軍事会社の構成員であったロシア連邦軍参謀本部情報総局の退役中佐であるドミトリー・ウトキンらによって設立されました。その創設にビジネスで成功したプリゴジン氏が深く関与をし、事実上の創設者であると考えられています。
プリゴジン氏は今年6月にウクライナ戦争を国防省上層部が大統領と国民を欺いて始めたものとし、ショイグ国防相をはじめ国防省上層部を打倒するためにワグネル戦闘員を率いてモスクワに向かう「正義の行進」の武装反乱を宣言しました。
プリゴジンの乱は失敗に終わり、その後、8月29日、モスクワ北方でプリゴジン氏を含む10人を乗せたジェット機が墜落し、プリゴジン氏は死亡したとされています。ただ、未だに生存説が世界を駆け巡ています。ワグネルは解体され、ロシア軍に吸収される過程にあるともいわれますが、アフリカでの活動は健在です。
ただ、今まではワグネルがアフリカで何をしようがロシアの民間軍事会社のしていることで、プーチンと関係ないと突き放していました。今後、ワグネルがロシア軍に組み込まれれば、責任がないと突き放すことはできなくなるでしょう。
その意味で、ワグネルをテロ組織と認定したことは、プーチン政権がテロ組織を直接管理しているとみなされることになります。その意味では米国のみならず、他の西側先進国もテロ認定すべきだと思います。
最近、国防相を辞めたベン・ウォーレス氏は、ロシアがウクライナに侵攻した当初、「ミュンヘン会議の匂いがする」と述べました。ミュンヘン会議とはチェコスロバキア(当時)のズデーテン地方のナチス・ドイツへの割譲を許した1938年のミュンヘン協定の時期に似た兆しを指摘したものでした。
ドイツの東方宥和外交の挫折 平和ボケが欧州安全保障を脅かすリスクの大きさ
英国はヨーロッパ内で戦争に対して最も敏感な国の一つで、ドイツ、フランス、イタリアは平和ボケしています。米国は今、歯切れの悪い内向きのバイデン政権だけに、英国だけがしっかりしたスタンスを持っているといえそうです。
日本には縁遠い宗教的緊張 信教の自由と政教分離、フランスの公立学校のアヤバ着用禁止の波紋
日刊紙ル・フィガロより
フランスでイスラム女子生徒が公立学校でスカーフ(ヒジャブ)を着用することが禁じられたのは2004年でした。今年9月の新年度からはイスラムの伝統衣装といわれる全身を覆う男女の衣装、アバヤ、男性が着用するカーミの着用を学校で禁じる規制が施行されました。
日本ではイスラム教の服装は、それほど見かけませんが、アバヤもカーミもイスラム伝統衣装でフランスが守る公共の場での信仰の強調を禁じる政教分離の世俗主義(ライシテ)により排除されました。このことがフランスで社会的緊張を生んでいます。
すでに同国ではイスラム女性が着用するスカーフ(ヒジャブ)だけでなく、全身を覆うニカブやブルカ着用は公立校だけでなく、路上でも禁じられています。この数年、今度はアラブ系の学生の間でアバヤ着用が増え、公立校で議論になっていました。
アバヤもカーミはヒジャブやブルカと異なり、ファッション性が強調され、基本的に肌の露出が禁じられているイスラム教徒が、緩やかに全身を覆うファッション性と信仰の妥協の産物ともいえるものです。中東でヒジャブやブルカ着用が義務ではなくなる中、アバヤは広く普及しています。
そのため、フランスのイスラム系の若者を中心に広まり、学校に着てくるケースが増えているわけですが、学校側が神経を尖らせ、政府は着用禁止を決めたわけですが、アバヤ着用の生徒たちは「信仰を強調するつもりはない」と着用禁止に強く反発しています。
アタル仏国民教育相は先月末「教室に入った時に、見た目で生徒の宗教を特定できてはならない」と説明し、マクロン仏大統領は今月に入り、「世俗主義への攻撃」「何事も見逃さない」として曖昧な態度はとらない考えを示しました。
この数か月間の論争は保守派が学校でのアバヤ着用に強い不快感を示した一方、左派はムスリム女性の人権擁護の観点で禁止に反対してきました。昨年はフランスで問題になっていたビーチやプールで、ムスリム女性が全身を覆う水着「ブルキニ」着用を政府が禁止したことを行政の最終判断を下す仏国務院が支持した事例もあります。
2004年にヒジャブ着用が公立校で禁止された後、ヒジャブでの登校を拒否された女生徒の親が学校を訴え、学校の遠足に同伴する親たちのヒジャブ着用をめぐっても学校ごとに判断が分かれています。アバヤがイスラム教徒関係ないという主張に対して、イスラム教徒以外にアバヤを着用する生徒はいません。
30年間、フランスを見てきた筆者にとって、フランス社会におけるアラブ系移民2世、3世の立ち位置は過去のいかなる時期よりも強くなっていると感じます。つまり、過去には社会の隅でひっそり暮らしていた彼らは今、大手を振って生活しています。
フランスのアラブ化というまでには至っていませんが、着実に発言権を増しているのも事実です。アラブ系の政治家も英国におけるインド系政治家ほどではないにせよ、増えています。あまり知られていませんが移民排撃で知られた極右政党と言われた国民連合の党首も実はアラブ系です。
その一方、反発する一般フランス人の保守化が進み、政府が恐れる社会の分断が進み、今回の規制措置の施行での反発も懸念されています。フランスの保守層はカトリックの価値観を維持したい勢力から、革命後の無宗教の政教分離のリベラルなフランスを誇示する勢力まで、様々です。
一口にダイバーシティのメリットが強調される時代ですが、特に価値観に触れる場合は、今でも共存するのは非常に困難です。ビジネスの世界でも異文化の相互理解で最も困難なテーマであり続けています。
フランスでイスラム女子生徒が公立学校でスカーフ(ヒジャブ)を着用することが禁じられたのは2004年でした。今年9月の新年度からはイスラムの伝統衣装といわれる全身を覆う男女の衣装、アバヤ、男性が着用するカーミの着用を学校で禁じる規制が施行されました。
日本ではイスラム教の服装は、それほど見かけませんが、アバヤもカーミもイスラム伝統衣装でフランスが守る公共の場での信仰の強調を禁じる政教分離の世俗主義(ライシテ)により排除されました。このことがフランスで社会的緊張を生んでいます。
すでに同国ではイスラム女性が着用するスカーフ(ヒジャブ)だけでなく、全身を覆うニカブやブルカ着用は公立校だけでなく、路上でも禁じられています。この数年、今度はアラブ系の学生の間でアバヤ着用が増え、公立校で議論になっていました。
アバヤもカーミはヒジャブやブルカと異なり、ファッション性が強調され、基本的に肌の露出が禁じられているイスラム教徒が、緩やかに全身を覆うファッション性と信仰の妥協の産物ともいえるものです。中東でヒジャブやブルカ着用が義務ではなくなる中、アバヤは広く普及しています。
そのため、フランスのイスラム系の若者を中心に広まり、学校に着てくるケースが増えているわけですが、学校側が神経を尖らせ、政府は着用禁止を決めたわけですが、アバヤ着用の生徒たちは「信仰を強調するつもりはない」と着用禁止に強く反発しています。
アタル仏国民教育相は先月末「教室に入った時に、見た目で生徒の宗教を特定できてはならない」と説明し、マクロン仏大統領は今月に入り、「世俗主義への攻撃」「何事も見逃さない」として曖昧な態度はとらない考えを示しました。
この数か月間の論争は保守派が学校でのアバヤ着用に強い不快感を示した一方、左派はムスリム女性の人権擁護の観点で禁止に反対してきました。昨年はフランスで問題になっていたビーチやプールで、ムスリム女性が全身を覆う水着「ブルキニ」着用を政府が禁止したことを行政の最終判断を下す仏国務院が支持した事例もあります。
2004年にヒジャブ着用が公立校で禁止された後、ヒジャブでの登校を拒否された女生徒の親が学校を訴え、学校の遠足に同伴する親たちのヒジャブ着用をめぐっても学校ごとに判断が分かれています。アバヤがイスラム教徒関係ないという主張に対して、イスラム教徒以外にアバヤを着用する生徒はいません。
30年間、フランスを見てきた筆者にとって、フランス社会におけるアラブ系移民2世、3世の立ち位置は過去のいかなる時期よりも強くなっていると感じます。つまり、過去には社会の隅でひっそり暮らしていた彼らは今、大手を振って生活しています。
フランスのアラブ化というまでには至っていませんが、着実に発言権を増しているのも事実です。アラブ系の政治家も英国におけるインド系政治家ほどではないにせよ、増えています。あまり知られていませんが移民排撃で知られた極右政党と言われた国民連合の党首も実はアラブ系です。
その一方、反発する一般フランス人の保守化が進み、政府が恐れる社会の分断が進み、今回の規制措置の施行での反発も懸念されています。フランスの保守層はカトリックの価値観を維持したい勢力から、革命後の無宗教の政教分離のリベラルなフランスを誇示する勢力まで、様々です。
一口にダイバーシティのメリットが強調される時代ですが、特に価値観に触れる場合は、今でも共存するのは非常に困難です。ビジネスの世界でも異文化の相互理解で最も困難なテーマであり続けています。