安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが現在の世界を読み解き、グローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当する安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

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 ドイツはロシアのウクライナ侵攻以来、戦後最大の安全保障の危機に晒されている。独誌「シュピーゲル」に掲載されたメルケル前独首相へのインタビューで、彼女は「ウクライナ侵攻が起きたのは驚きではなかった」と述べたが、退任後の評価は非常に厳しいものだ。

 16年の在任中、米英仏を初め多くの民主主義国でポピュリズム政治家や腕力を誇示する人物が政権トップに就く中、安倍元首相と並びメルケル氏は「民主主義の守護神」と呼ばれ、数々の試練に耐え、危機の宰相として評価された。

 ところが今は、危機を招いた責任者と批判され、同インタビューで「私はロシアの暴挙の可能性を知っていた」と述べ、さらに評価を落としている。

 メルケル氏は、ヨーロッパの宰相の中で最もプーチン露大統領に近く、天然ガス依存ではノルドストリームの2本のパイプラインが象徴するように経済依存度もヨーロッパ1だった。それが仇となってドイツはエネルギー危機に陥り、ロシアはエネルギー供給を戦争の武器として100%利用している。

 さらに中国に対しては、小平の改革開放路線に真っ先に飛びつき、フォルクスワーゲンに始まり、ビジネス拠点の中国移転を進め、かつてシルクロードで味を占めた中国は、大連からハンブルクまでの鉄道輸送ルートを確立し、独中は切っても切れない経済依存を推進してきた。

 私は1990年代、ドイツの政治家や学者、財界人に取材してみて感じたのは、それでもドイツは日本よりはイデオロギーに敏感な国で、ロシアの正体に精通していることを感じた。取材した英仏伊の親日的な政財界人は当時、日本と欧州が協力してロシア復興に取り組むべきと口を揃えていっていたが、ドイツのロシアへの警戒心は強かった。

 ところがロシア語の喋れるメルケル氏は16年間の在任期間に何度もプーチン氏に会い、経済依存度を強化し、今はその依存ゆえにヨーロッパ全体が衰亡の危機に晒されている。今ではウクライナ危機最大の責任者はメルケル氏とする論調はドイツ国内外に広がっている。

 同じ敗戦国のドイツと日本は戦後封じ込められ、世界の安全保障への関わりが自発的にせよ、強制的にせよ、封じられた。誰もその封じ込めの終了を明確にしていない中、東西冷戦終結は戦後レジュームの終焉のシグナルになった。

 ただ、長い冷戦期に戦いの前線から遠ざかった日独の国民は平和ボケし、「政治と経済は別物」として権威主義の独裁国家に対する甘い考えが横行し、結果的に今、ウクライナ危機で首を絞める結果となっている。あれだけ防衛費増額に後ろ向きだった日独世論は今、前向きになっている。

 何年も怠ってきた防衛力強化のつけは大きく、増強するにも何年もかかる状況だ。ドイツのランブレヒト国防相は、防衛能力向上に長い歳月が必要なことを懸念する世論に対して「外国から買えばいい」と軽率な発言をして批判を浴びた。日本も同様な課題を抱えている。

 最近、駐日米国大使のエマニュエル氏が米ウォールストリートジャーナル(WSJ)に寄稿し、日本は欧州のエネルギー政策の失敗を教訓とすべきと書いた。彼はエネルギーといった安全保障に直接関わることでは、友好国との関係を深めるべきと強調した。

 無論、大使という立場上、アメリカとの経済依存度を高めるべきという主張は、言い換えればアメリカのイノベーション力、効率性、原子力、天然ガスの売り込みと繋がる内容だが、だからといって日本はウクライナ危機で露呈したロシア依存の弊害を否定することはできない。

 そこで脳裏を走るのが、第1期安倍政権が掲げた戦後レジュームからの脱却、積極的平和主義だ。戦後、自虐的懺悔外交を展開した日本は東西冷戦終了後、外交で主体性を取り戻し、自国の掲げる価値観を明確にし、第2期安倍政権では自由と民主主義、法治国家を掲げる国々との連携強化を推進した。

 ウクライナ危機発生後、その方向性はまったく間違っていなかったことが明確になり、アジア太平洋地域の安全保障で日本が主導的役割を果たしたことは先見の明のある外交戦略だった。同時にそれは平和ボケした日本が目を覚ますことに繋がった。

 ところが今、日本を貫く保守戦略は風前の灯状態に陥っているように見える。日本人の弱点でもある全ての人と仲良くすることが優先され、自分の立場を明確にすることなしに中国やロシアにおもね続けている。冷戦時代の悪い癖で商人根性丸出し状態に戻りつつある。

 むしろ、リベラル派、特に中国共産党とも繋がる左翼弁護士や人道活動家が自分たちの正体を隠しながら、反共勢力潰しで一貫性を見せていることに危機感を感じる。それに比べれば、ドイツは緑の党でさえ、軍事力強化、対ロシア強硬路線を支持している。価値観を先立てる国とそうでない国の違いが明確になりつつある。

 いずれにせよ、八方美人的商人根性は卑しいだけで褒められたものではない。冷戦時代に身についた対立する大きな勢力の間で漁夫の利を得るような態度は、結果として誰からも信用されなくなる可能性の方が高い。ドイツ同様、日本も金で平和は買えないことを再確認して欲しいものだ。


 

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   ワルシャワでロシア侵攻に抗議するデモ

 ウクライナへのロシア侵攻以来、ウクライナ難民を最も受け入れてきた隣国ポーランドは、欧州連合(EU)の対ロシアの東の最前線です。今はEUと北大西洋条約機構(NATO)の加盟国ということでロシアの脅威に強気の姿勢をとっていますが、過去にはロシアとドイツに挟まれ、絶滅の危機に晒された経験もしています。

 ポーランドはヨーロッパで最も親日の国といわれ、日本語熱もヨーロッパで最も強い国です。日露戦争で宿敵ロシアに小国日本が勝ったこと、シベリア収容所送りの政治犯やロシア軍兵として前線で戦わされたポーランド人が捕虜となり、日本で厚遇されたこと、その後、シベリアで餓死寸前のポーランド人孤児たちを救い出し保護したことなどを、今でもポーランド人は忘れていません。

 それに、その当時救出されたポーランド孤児2人が「命のビザ」で約6,000人のユダヤ人らの救出を助けた杉原千畝・リトアニア共和国在カウナス日本領事館領事代理の秘書だったことは、あまり知られていません。

 ポーランド人にとっては大国ロシアと戦った極東の小国、日本が不屈の精神でロシアに勝ち、なおかつ捕虜になったポーランド人を厚遇し、死にかかったポーランド孤児を救出して日本で健康にして帰国させた行為に対して、今も感謝の念を持っているわけです。

 そんなポーランドが今回、ロシアに侵攻された隣国ウクライナを放っておくはずもありません。ポーランドの作家、ボレスワフ・プルス氏(1847〜1912年)は日本人の特質について「個人の尊厳といった偉大なる感性を持つ民族」と指摘しました。

 ポーランドはEU加盟国の中でも非常にカトリックの強い国です。キリスト教は本来、絶対的価値を持つ神が創造した人間は、社会的地位や男女の差、金持ちかどうかなどに関わらず、1人1人に絶対的価値があるとの考え持ち、それが基本的人権思想を生み、人道主義を生んだことは知られています。

 ところがキリスト教徒でもない日本人に「個人の尊厳を守る精神」が深く根差していたという話は、キリスト教の西洋人には不思議な話です。たとえば家族を大切にする国は世界に山のようにありますが、他国人を助けた過去はポーランド人だけでなく、トルコにも残っています。

 明治天皇に謁見にしたトルコの親善使節団の船、エルトゥールル号が帰途で台風に遭遇し、紀伊半島の突端、串本町大島樫野崎沖で遭難した時、村人が不眠不休で波間に漂うトルコ人を救出した美談をトルコは忘れていません。

 ポーランドにせよ、トルコにせよ、5,000キロ以上離れた異文化の異国ですが、わがことのように助けた歴史は、人権や人道的観点から高く評価されるものです。無論、今の日本人にそんな心が残っているかは疑問ですが。

 今、対ロシアのEUの東の前線にあるポーランドやハンガリーは、EUが定める法律とは異なる法律を運用しているとして敵視されています。中身はたとえばLGBTに対する厳しい姿勢です。さらに個人より家族重視の価値観です。その姿勢はキリスト教から来ているものですが、今のEUの建付けは世俗主義の個人の自由と人権最優先のリベラリズムです。

 これに対して旧ソ連邦だったポーランドやハンガリーがルベラリズムを警戒している背景には、彼らが無神論の共産主義の圧政の中でキリスト教信仰を守ってきた筋金入りの信仰者だからです。一方、EU最大の大国ドイツのキリスト教民主同盟のメルケル前首相は、西側最後のキリスト教民主主義政治家といわれています。

 英国では、2021年に実施された国勢調査の結果、英イングランドとウェールズで「自分はキリスト教徒」と答えたのは46.2%で10年前の調査より10ポイントも下がり、半数を割り込んでいます。フランスでは教会の建物が毎年、数百棟単位で民間に売却されています。

 近年ヨーロッパで台頭するポピュリズム政党も、あからさまにキリスト教を持ち出す政党はほとんどありません。そんな中、キリスト教の伝統的価値観を守ろうとするポーランドやハンガリーがフランスやドイツ、イタリアから敵視されているのが今のヨーロッパです。

 私から見れば、カトリックの国の人々が仏教や神道を信じる日本人を尊敬し、絆を保っていることの方が貴重に思えます。ヨーロッパ西側諸国には、何でもありのリベラリズムによる腐敗が進み、深刻です。それも過激なリベラル勢力が持つ違いを認めないキャンセリングカルチャーの浸透には恐怖を感じます。


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 今回、狐の襟巻をモチーフにしたパステル画を描いてみました。これは2度目の挑戦で、本当の目的は狡猾さなどを表す狐を愛くるしく描いてみたかったからです。狐をペットにしている人は少ないのでしょうが、亡くなった愛しい主人の靴に体を巻き付けて居眠りする狐がテーマでした。相変わらず背景はウクライナ色です。

 今ではミンクの毛皮のコートを初め、動物愛護の観点で動物の毛皮は控える傾向もありますが、動物と人間の関係が大きく変わったわけではありません。人間にとっては貴重なたんぱく源であり、人間の生存と深い関係にあるのは太古の時代から続いています。

 ヨーロッパ人は狩猟民族、東洋人は農耕民族とよくいわれますが、ヨーロッパは確かに狩猟が文化として定着していることを実感します。私のフランス人妻の父親、つまり義父の唯一の趣味は狩猟でした。主にウサギ、野生のハトを狩猟用のライフル銃で撃って家に持って帰り、家族で食していました。

 持って帰った動物は家の地下で義母がさばくのが常でした。私の妻は子供のころから、地下室に行くのは怖かったといっています。私の子どもが小さい時、妻の実家で飼っていたウサギを可愛がっていたのですが、ある日、食卓に出てきたウサギ料理がそれだと知らされ、しばらくショックで何も言葉が出てこなかったことを覚えています。

 実は数か月間住んでいたパリ南西郊外のイシ=レ=ムリノーの丘の上にあった地区100年の家は、戦前は狩猟のために使われた家で、地下に獲物を保存したり、解体したりする場所が残っていました。ハンニバル映画の「羊たちの沈黙」に出てきそうな雰囲気で、そこに行くのは勇気が入りました。

 仏教では、基本的に動物を殺して食べることは、禁欲的観点から禁じられていました。驚くべきはニンニクも人間の欲を刺激するとして禁じられていたそうです。無論、ヨーロッパのカトリックの修道院でも肉を控える習慣はあっても仏教ほど明確に禁じているわけではありません。


 このブログで紹介したヨーロッパ最大の広さを誇るパリ南郊のフォンテーヌブローの森も500年以上広さを保ってきたのは、その領地を所有する王族の狩猟の場だったからです。それも森が広ければ広いほど、大きな鹿が育つということで、その広さが保たれてきたというのは驚きの発見でした。

 ヨーロッパで最も高貴な趣味といわれた狩猟は、大革命で王侯貴族が排除された後、庶民に狩猟文化は広がったといわれています。だから庶民である義父も狩猟の季節になると、お金を払い、狩猟を楽しんでいました。部屋の中に鹿の頭を飾る習慣も庶民に広がりました。

 仏教の自然観と違い、キリスト教では神が創造した全ての被造物は人間のためにあるという考え方ですから、狩猟に心も痛まなかったのかもしれません。サッカーというスポーツも遠くの獲物を狙う闘いという意味で、東洋では生まれそうにないスポーツです。

 一方、興味深いのは人間は食べるものや飼うものに似るという説です。科学的立証がされているわけではありませんが、動物の血を流す狩猟から得られた食べ物を主食とする人間はアグレッシブになるという説、農産物を育て食料にする人間は穏やかというのは、あながち的外れとも思えません。異文化理解の一助に放っています。

 犬を連れて歩く人が何となくその犬の容貌に似てくるというのも、注意深く観察するといえる話のようにも思えます。動物愛護とベジタリアンが増える21世紀ですが、人間と動物の関係はどうあるべきか再考を迫られているのかもしれません。



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 アメリカを公式訪問中のフランスのマクロン大統領は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が11月30日に、フランスパン「バゲット」を無形文化遺産に登録したと発表したのを受けて、バゲットを握りしめて「世界がバゲットを羨ましく思っている」と自慢しました。

 登録内容は「バゲット作りの伝統とそれをめぐる生活習慣」で、マクロン氏は「私たちの日常生活における250グラムの魔法と完璧さ」と自画自賛しました。個人的に世界中を旅して食べたパンの中で、バゲットは群を抜いて味わい深いと思っているのでうれしい知らせでした。

 早朝、パリ市内の近所のパン屋(ブランジェリー)で、まだ暖かいバゲットを買って、家にたどり着くまでに我慢できず、一口かじる香ばしい味わいはなんともいえません。フランス生活の至福の時です。大きな陶器のボールになみなみと注いだカフェオレにバゲットを浸して食べる朝食も満足度の高いものです。

 南ヨーロッパは習慣として朝食で卵やハム、チーズは一般的に食べず、せいぜいバゲットにバターやジャムを塗る程度です。後は果物やヨーグルトを食べる人もいます。昔は高級ホテルでもフランスの場合は質素でしたが、今は日本人やアメリカ人、中国人の旅行客が多くバイキング形式も増えています。

 とにかく、一汁三菜が基本の日本とは大違いで、母親が台所でまな板でキュウリを切る音でみんなが目覚めるなどという習慣はありません。だからフランスでは主婦が朝食の準備をする習慣もありません。コーヒーメーカーで作られた大量のコーヒーを自分で注いで、バゲットを各自が2つわりに切ってトーストする程度です。

 ユネスコのオードレ・アズレ事務局長は、バゲットを登録することは「フランス人の生活様式を称えるもの」であり、「バゲットは毎日の儀式であり、食事の構成要素であり、分かち合いと陽気さと同義だ」と述べ、「これらのスキルと習慣が将来も存在し続けることが重要だ」と述べました。

 フランスでは1日約1,600万個のバゲットが生産されていると言われますが、工場で冷凍の生地から大量生産されたバゲットが売られる大都市周辺の大型スーパーの台頭と、健康ブームで人気の高まるサワードウに押され、家族経営のブランジェリーは毎年平均400軒も店を閉めている状況です。

 フランス全土に55,000軒あったブランジェリーは現在、35,000軒に減少しています。原因の1つは大手スーパーでまとめ買いし、家で冷凍する人が増えているからです。忙しい朝にわざわざ近所のブランジェリーにバゲットを買いに行く習慣は衰退しているわけです。

 この問題は10年以上前から問題視され、伝統的製法で作られたバゲットについて特別な認定証を与えたりしていますが、それでもブランジェリーの衰退は止められないのが現状です。今年はウクライナ紛争で小麦粉の価格高騰、エネルギー危機でブランジェリーの経営を圧迫しています。

 バゲットの由来は諸説あり、ナポレオンが注文したパンが、兵士が持ち運びしやすかったからという説、1830 年代のオーストリアのパン屋がその原型を作ったという説もあります。いずれにせよバゲットという名が正式に命名されたのは、1920年とされ、20世紀半ばまでに全国に広まったそうです。

 パン職人連盟のドミニク・アンラクト会長は「バゲットは、小麦粉、水、塩、酵母、そして職人のノウハウです」と述べ、政府によって価格が抑えられていることもあり、富裕層から貧困層まで食べることができるフランスの平等精神が表れている象徴的存在と指摘する人もいます。




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 「イーロン・マスク氏が新しいオーナーになったツイッターは、ヨーロッパの新たな規則を守らなければ、禁止される可能性がある」とヨーロッパの複数のメディアが伝えました。これはマスク氏にとって大きな挑戦であり、マスク流の言論の自由は厳しい試練に直面していると言えます。

 欧州連合(EU)のティエリー・ブルトン委員は11月30日、「SNSサイトは、コンテンツの有害の有無のモデレーション、偽情報、ターゲットを絞った広告などの問題に対処する必要がある」と述べました。

 EUがマスク氏に直接伝えた理由は、2023年よりSNSのサービスに対して新しい法律が施行されるからです。EUは、世界で影響力を拡大してきたビッグテック(GAFAM)に対して広範な規制を課す「デジタル市場法(DMA)」を2023年に施行する予定です。

 企業が規則に違反していることが判明した場合、企業は世界の売上高の最大 6% の罰金、または深刻な違反が繰り返された場合は運営の禁止に直面することになる。ブルトン氏はマスク氏との会談後の声明で、マスク氏がツイッターにDMA法遵守の準備をさせると約束したとして歓迎する意向を示しました。

 マスク氏が手にしたツイッターは今後、透明性のあるユーザーポリシーを実装し、コンテンツのモデレーションを大幅に強化し、言論の自由を保護し、偽情報に断固として取り組み、ターゲットを絞った広告を制限する必要があるとして、大きな作業が待ち受けていることが明確になったと報じられています。

 ブルトン氏は「これら全ての作業には、量とスキルの両面で十分な人工知能(AI)の活用、人的資源が必要。これらすべての分野で進歩することを楽しみにしており、ツイッターの準備状況を評価するつもりだ」と述べました。EUは、より広範な監査に先立って、2023年に「ストレステスト」の実施を予定しているとしている。

 ブレグジットした英国もオンライン安全法案を議会で審議中で、英BBCはオンラインで自殺や自傷行為のコンテンツを見た後に命を絶った10代のモリー・ラッセルさんの例などを紹介しています。法案審議が熱を帯び、特に大規模なネットプラットフォームから「合法的だが有害なコンテンツ」を削除する措置が法案から除外されたことで、ラッセルさんの父親を含む被害者の親が激怒しています。

 SNSが垂れ流してきた有害サイトは、未成年者を死に追いやる決定的悪影響をもたらすことを初め、世論を間違った方向に動かし民主主義に決定的ダメージを与える内容まで広範に及びます。問題発生の理由の1つは、アメリカ発のGAFAM創設者たちの稚拙さです。

 規制の目的は、犯罪行為やわれわれの実生活で常識として受け入れられないものをSNSから排除することですが、そこには大人と未成年者の境界、言論の自由、企業活動の自由や公正さの規制など、さまざまな問題が絡み合っています。

 ただ、EUが恐れていることの1つは、SNSが言論をミスリードした結果、たとえば、ポピュリズムが爆発的に拡大したり、EU加盟国間を分断するヘイトスピーチが拡大し、ガバナンスが不可能になることです。その兆候は選挙がある度にすでに表面化しています。

 EUは米大統領選でトランプ前大統領支持者が連邦議会に乱入した姿を見て、ヨーロッパでもSNSが1部の過激な勢力によって悪用されれば、民主主義を破壊する言論が形成されるリスクは十分あり得ると見ています。

 過去に全体主義の嵐が吹き荒れ、共産主義によって東西が分断された経験を持つヨーロッパは、言論が分断と対立をもたらす悲劇を身を持って体験しています。未成年者への悪影響もさることながら、SNSの政治利用が深刻な結果をもたらすことをEUは無視できません。

 さらに近年のイスラム過激派によるテロの頻発にも、SNSによるイスラム聖戦主義の拡大、テロリストのリクルートへの利用は目を見張るものがあります。これも国家と社会に決定的ダメージを与える無視できない問題です。無論、ヨーロッパはキリスト教民主主義の衰退とともにモラルというブレーキが利かない状況にあります。

 ヨーロッパは今、言論の自由、企業活動の公正さを守りながらも、21世紀の新しいコミュニケーションツールを有効活用するため、そこに忍び寄る有害性をどう排除するのかに取り組んでいます。これはツイッターを手にしたマスク氏にとって大きなストレステストになるでしょう。



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 カタールW杯の現地時間29日に行われたイラン−アメリカ戦は、すべてのチームが決勝進出の可能性を残すグループBの第3戦、引き分け以上で初の決勝トーナメント進出が決まるイラン、勝たなければ後がないアメリカの緊張した試合でした。結果はアメリカが1−0で勝利しました。

 そんな緊張感のある試合を前にして、米国サッカー連盟が26日にW杯の成績表についてイランの国旗から中央の紋章を消し去ったかたちでSNS(交流サイト)に掲載したことでイランが強く反発しました。紋章は親米政権が転覆した1979年のイラン革命後に加えられたもので、イランのイスラム化を嫌うアメリカの戦闘的な姿勢を表したものでした。

 イランは今、スカーフ着用の仕方が悪いとして逮捕された女性を当局が死亡させたことに端を発し、全国各地で反政府運動が起きており、特にイスラムの厳しい戒律からの自由を訴える運動が盛り上がっています。自由主義の先頭に立つアメリカとしてはイランからイスラム勢力の影響を奪いたいところです。

 W杯は平和の祭典と呼ばれ、スポーツを共有することでギクシャクする外交関係を修正する効果があるといわれていますが、実はそんなに成功した例はありません。仏日刊紙ラ・クロワはそのあたりのことを伝えています。

  フランスを始め、ヨーロッパはカタールW杯そのものを批判しており、主に南アジア諸国出身のW杯の建設現場で働く外国人労働者が酷使され、死者まで出ていること、LGBTQや女性蔑視、3つ目は大規模インフラ整備工事や巨大会場の冷房で大量の化石燃料が使われ、温暖化対策に逆行していること、さらにはW杯決定プロセスで巨額の不明瞭な資金が動いたことでした。
日本人が頭傾げるカタール批判 謝らない欧州が持ち出す人権非難に説得力はあるか 

 そもそも今回、イランの選手は試合前にイラン政府に対してイラン女性への連帯を示す抗議のため、国歌斉唱を拒否しており、政治の持ち込みを禁止している国際サッカー連盟(FIFA)のルールを破っていました。そこに今度は、SNSに「アッラー」という言葉を表すイラン国旗の紋章を削除したアメリカ連盟にイラン側が制裁を要求しました。

 W杯の過去を辿ると、冷戦時代の東西ドイツの有名な「兄弟殺しの戦い」がありました。1974年の西ドイツ開催のW杯で東ドイツが参加したことで厳しい対立がありました。結果は西ドイツに東ドイツが勝つという驚きの結果で、東ドイツは名将ベッケンバウアー率いる西ドイツに勝利しました。

 唯一の東ドイツの得点王ユルゲン・スパルワッサーは、東ドイツで英雄となりましたが、数年後、西ドイツとの元選手のためのトーナメントへの参加を利用して、東ドイツから亡命しました。

 2010 年のワールド カップ予選中の北朝鮮と韓国の間の死闘もありました。未だ休戦状態にある南北朝鮮の一歩も譲らない両国の戦いは、アジア予選では北京で死闘を繰り広げました。この時、北朝鮮に全世界の視線が注がれましたが、国境を接する 2 つの国の間に明らかな進展は見られませんでした。

 イギリス政権とアルゼンチンが対立したフォークランド紛争から4年後の1986年のメキシコ開催のW杯では、2 つの国が再び対戦しました。マラドーナは、ゴール前で明らかにハンドとわかる違反を犯しながらゴールを決め、「神の手」と呼ばれましたが、英国人の怒りを消えていません。

 W杯だけでなく、親善試合でもフランス対アルジェリアのの2001年の試合で、試合中、スタッド・ド・フランスのピッチに多数のアルジェリアのサポーターがなだれ込み、試合の突然の終了につながりました。

 歴史を辿れば、1938 年にフランスで開催されたW杯で、フランス・イタリア戦で観衆の大半は反ファシストで構成され、イタリア代表に大ブーイングしましたが、結果はイタリアが勝利し、 ムッソリーニは、自国の勝利を利用して、彼の社会モデルを称賛しました。

 越えがたい2国間の対立と緊張を一瞬和らげる効果はスポーツにあっても、勝ち負けを争うのがスポーツの常で、場合によっては対立を助長することもあります。誰もが楽しめるスポーツを通じて対立の愚かさに築くような時代になることを願うばかりです。


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 カタール開催のサッカーのW杯では、日本対コスタリカ戦で日本が敗北したことで、決勝トーナメント出場が危うくなっています。勝てばべた褒め、負ければ徹底して批判することの多いスポーツの性質上、選手も監督も取り巻く環境は厳しい。しかし、勝ち負けを争うスポーツは基本的に結果重視なので仕方がないともいえます。

 プロセス重視の日本は、勝てば勝因に選手や監督、さらには選手の家族の苦労話まで取り上げられ、特に逆境に勝てたことが取り上げられ、勝つまでのプロセスが称賛されます。一方、結果重視(世界のほとんどがそうだが)の国では、負ければ帰国する空港で非難の大合唱になったりします。

 すでに28日の試合でモロッコに負けたベルギーでは、ブリュッセルでサポーターが暴徒化し、警察が出動する事態となりました。どんなキツイ練習を重ねていたとしても、どんな逆境があっても、結果を出さなければ評価はゼロというのが結果主義。日本以外では「負けたけど、頑張ったね」などというサポーターやメディアもいません。

 当然ながらスポーツのみならず、ビジネスの世界でも政治の世界でも結果主義の緊張感は想像を絶します。だから、普通は勝てば自分が勝利に導いたことを強調し、負ければ謝罪しないだけでなく、敗因は自分ではないと責任転嫁も始まるのが常です。

 だから、日本は生ぬるい湯に浸かった甘えと無責任体質が指摘されることも少なくありません。とはいえ、サッカーのようなチームスポーツでは、監督の責任は大きい。会社でもチームの最終責任はチームリーダーが取るのが当然ですが、日本企業は不祥事に際し、個人の責任を徹底追及することは少ないのが常です。

 つまり、プロセス重視のデメリットである上から下まで無責任体質で緊張感がなく、結果に対してのコミットメントが薄く、任期が過ぎるのをじっと待つリーダーも多い傾向があります。日本的経営の研究者でフランスの元日仏経営大学院学長だったデュラン教授は「日本のリーダーは羨ましい」と私にいったものです。

 それはともかく、サッカーは有名クラブグチームが世界から大枚をはたいて選手を調達している最もグローバル化したスポーツの1つ。サッカー人口は世界に広がり、2億6,000万人はいるといわれ、世界で5番目に多いスポーツです。

 W杯は国別の戦いなので、日頃、他国のクラブチームで活躍していてもW杯では自国の代表に加わるしかありません。そのため、世界的スター選手でもチームスポーツなので、自国チームのレベルが低ければ実力は発揮できません。

 逆に豊富な資金力とファンの多さで世界から有名選手を集めていても、W杯では自国に帰るので、有力選手が抜けたナショナルチームは弱い場合もある。フランスもかつては、その1国でした。一方で他国の強豪チームで実力を磨いた選手がナショナルチームに加わることで得をするチームもある。カメルーン、コスタリカはその典型です。

 いずれにせよ、スポーツはルールや技術で普遍性があるにせよ、人間がやっている以上、グローバル化したスポーツでも選手同士、国同士でも異文化理解は欠かせません。ダイバーシティマネジメントに慣れた監督率いますナショナルチームは有利になるのは当然です。

 中でも相手チームのコンテクストを読むことは重要で、たとえば日本チームがコスタリカと戦う上で監督も選手も「7−0でスペインに負けたコスタリカは後がないので必死になるのは間違いないから前半から激しく点を取りに来るだろう」といっていました。

 これを異文化理解ではコンテクスト(文脈)といい、日本人は日本人のコンテクストで相手チームの心理を理解しようとします。ところがコスタリカのスエレス監督は日本チームに勝った後、「スペイン戦は事故だった。日本に勝ったのが本来の実力」と語った。同監督は中南米諸国で多国籍チームを率いた経験豊富な監督です。

 だから、通常通りの構えでコスタリカは日本代表を分析し、戦略を練った上で自分たちのサッカーを実行したように見えました。結果、日本戦の前半のまったり感は日本を戸惑わせました。

 つまり、「必死で点を取りに来るだろう」という日本的文脈による読みが外れたことで、相手ペースに日本ははまってしまったように見えました。専門家はこぞってスピードが足らないと懸念を示しました。

 さらには、異文化でまずいのは空気を読むことを最優先する姿勢。この独特の日本人の慣習は異文化では通じません。異文化では空気を読みこのとはほぼ不可能だからです。むしろ、空気は自分が作るもので、そうしなければ相手のペースに巻き込まれるだけです。

 異文化の相手に勝つためには、日本の常識、日本のコンテクストをいったん横に置いて、相手についての情報収集、分析を徹底して行い、冷静に判断する必要があります。特に戦略を立てるにあたり、コンテクストの読み込みは勝敗を左右します。これはビジネスでも同じで、さらに選択肢は1つではないので柔軟性さ重要です。

 その意味では森保監督の国際経験のなさは、代表選手の多くが海外チームで活躍する現在、限界を感じざるを得ません。異文化のコンテクストを読み込む能力や異文化耐性は経験に左右されます。個人的に日本チームも個々の選手が実力を上げてきているだけに、国際経験豊富な日本人監督が必要なステージに入っていると私は密かに思っています。

La quercia Bodmer nella foresta di Fontainbleau
 
 「フォンテーヌブローの森の樫の木」クロード・モネ 1865作、メトロポリタン美術館所蔵 cWikimedia Commons / Claude Monet
 
 今年の夏の熱波による度重なる森林火災が発生するまで、パリ首都圏にヨーロッパ最大の森林があることは知りませんでした。確かにヴェルサイユ宮殿の周りには広大な森林がある程度の知識は、毎日車を運転していて知っていましたが、実はフォンテーヌブローの森こそヨーロッパ最大の森でした。

 歴代フランス王室が所有したフォンテーヌブローの森の広さは17,000ヘクタールを超える広さで、この広さは長年変わっておらず、度重なる権力闘争を絶え、大革命後も産業化の荒波の中で生き残ったのは驚くべきことです。

 実はフォンテーヌブローの森は、フランスでは歴代王室の狩猟の場でした。狩猟はヨーロッパの歴史の中で「最も高貴なもの」とされ、フォンテーヌブローを王室が所有する特別な狩猟の森にしたのは、フランソワ1世(16世紀)の手によるものでした。

 17世紀から18世紀にかけて国王だったルイ14世(17世紀ら18世紀)は鹿の角を掴んだ狩猟の女神像を制作させ、フォンテーヌブロー城ディアーヌの庭に設置されています。歴代国王が狩猟を愛したことを物語るものです。そういえば今年9月に亡くなった英国のエリザベス女王も狩猟が重要な趣味だったのもヨーロッパ王室の伝統だったことに由来したものです。

 ヨーロッパ人を狩猟民族と呼ぶのも、神が人間に与えた自然を支配する象徴が狩猟にあったことが伺えます。肉を食べることが禁じられてきた仏教を信じる日本ではありえない話です。フォンテーヌブロー城には鹿のギャラリーがあり、何頭もの鹿の頭が壁に飾られています。より大きな鹿はより大きな森が必要だったのも森が守られた理由でした。

 この狩猟の慣習が、実は西欧の風景画の発展に大きな影響をもたらしたことは、あまり知られていません。フランスでは、実はフォンテーヌブローこそ風景画の出発点でした。

 狩猟を楽しんだ王侯貴族が日常目にした森の自然は宗教画からの移行期にあったルネッサンス絵画に反映されたのも当然の流れでした。

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 かつて聖書に登場するイエスや聖人たちの人物像を描く背景でしかなかった自然は、17世紀には光が注目され、18世紀にはロマン派以降の風景画の全盛期を迎え、19世紀には自然の変化や時間軸まで含めて描き出す近代風景画に変化しました。

 歴史的には風景画の起源は東洋の方が古く、中国の山水画は西欧の風景画より1,000年以上も早いといわれています。それだけでなく、山岳に霊性・精神性を求める中国人の自然観が反映された東洋の風景画は、自然を神が人間に与えたものとするキリスト教の自然観とは大きく異なったものでした。

 今は、行きすぎた産業化社会が生態系や気候に悪影響を与えたとして、西欧でも自然回帰の運動が高まっていますが、西欧には自然崇拝や全ての物に霊魂が宿るというアミニズムの考えはありません。とはいえ、風景画は近代以降、西洋美術の独立したジャンルとして確固とした地位を得ています。

 今、パリのマルモッタン・モネ美術館で開催されている「太陽に向かう芸術界のスター」展は(2023年1月29日まで)は、風景画を好んで描いたフランス印象派の巨匠、モネ、英国の風景画の巨匠、ターナー、さらには「エトルタの崖、嵐のあと」で知られるフランス19世紀の画家、クールベの作品を通して芸術家と太陽の関係を探求しています。

 今年は「印象派」の名前の由来となったモネの「印象、日の出」(1972年作−本当は1973年ともされる)が発表されて150年が経ちます。今でも美術市場で不動の評価と高額取引がされている印象派絵画の出発点の作品は、ルアーブルの港を描いた風景画です。1985年に美術館から1回盗まれたことで、さらに有名となった同作品は本当は日の出ではなく、日没という議論も終わっていません。

 同展は芸術が太陽と向き合った古代エジプトから現代アートに至るまでの作品で、まばゆい太陽の光と芸術の関係を紐解いています。太陽は自然の1部で同時に人間と自然の生存に欠かすことができず、時にはミステリアスで、ギリシャ神話に太陽神アポロンとしても登場します。

 そして、狩猟が大好きだったフランス国王ルイ14世は国民を照らす太陽王と呼ばれました。結果的にフランスの風景画の発展にルイ14世は欠かせない存在となりました。その舞台となったのがフォンテーヌブローの森でした。

 今では観光地となり別荘地帯となっている森の中にバルビゾンがあります。コローやミレーなどのバルビゾン派の画家たちが名作を残したことがフランスの風景画の地位を固めることに貢献しました。
 風景画は宗教画で聖書の登場人物中心に描かれた絵画の添え物だったのが、東洋と西洋が接近した19世紀、長年、自然に注目し独立した価値を付与してきた日本画と接近しました。自然への感性の鋭い日本人の北斎や広重の風景画は、西洋絵画に大きな影響を与えたのは時代の必然だったのかもしれません。



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 欧州連合(EU)のヨーロッパ議会は24日、サッカーW杯が開催されているカタールに対して人権状況を非難する決議を採択しました。理由はW杯開催に向けた関連施設整備の建設現場で働く外国人労働者が劣悪な労働環境で多数死亡し、人権が著しく侵害されたからだとしています。

 さらに国際サッカー連盟(FIFA)に対しても開催国選定のプロセスが不透明だと指摘し、「国際スポーツイベントは基本的人権が侵害されている国で開催すべきではない」と主張しました。

 これに先立ち、23日に行われた日独戦について、ドイツの敗因を伝えるドイツの公共放送ZDFが、FIFAにLGBTQ擁護の腕章をドイツチームのキャプテン、ノイアー選手が着けることをFIFAによって禁じられたため、選手らが落ち込んでいたことが敗因の1つと大真面目に指摘しました。

 同報道では、スタジアムで観戦していたドイツのフェーザー内相が抗議の腕章を着けていたのが唯一の救いだったとまで報じ、人権へのこだわりを示し、まるで負けるはずのない日本にドイツが敗北したのは、カタールとFIFAのせいと言わんばかりの見苦しい報道でした。

 日本のメディアの中には「自分の主張をきっちり行うヨーロッパは立派」という評価の声も聞こえますが、実はEUの決議を含め、背後には複雑な事情もある話です。

 西側のカタール批判の要点は3点で、主に南アジア諸国出身のW杯の建設現場で働く外国人労働者が酷使され、死者まで出ていること、LGBTQや女性蔑視、3つ目は大規模インフラ整備工事や巨大会場の冷房で大量の化石燃料が使われ、温暖化対策に逆行しているとの批判です。

 さらにEU議会が主張するように、そもそもカタール開催が決定された時のプロセスが不透明で、巨額の金が動いた可能性が指摘されています。当時のプラッターFIFA会長は、今になって「カタールで開催すべきでなかった」と後悔を口にしています。

 ところが、イスラム圏である湾岸諸国での開催には、FIFA及び、最もFIFAに影響力のある欧州サッカー連盟(UEFA)には複雑な事情があるのも事実です。偽善とFIFA会長は喝破、欧州「カタール批判」の矛盾

 それは中東湾岸諸国が近年、ヨーロッパのクラブチームに巨額投資をくり返し、大スポンサーになっていることです。豊富な資金力で世界中からスター選手を集め、ヨーロッパのサッカーを活気づかせています。とくにロシアがウクライナに侵攻したことで、ロシアの富豪の投資が打ち切られる中、湾岸諸国の投資はさらに勢いづいています。

 フランスのクラブチーム、パリ・サンジェルマン(PSG)はカタール・スポーツ・インベストメントがオーナーになって以来、豊富な資金力に物を言わせ、ネイマール、メッシ、エムバペという世界トッププレーヤーを擁し、フランスのサッカーファンに恩恵をもたらしています。
 アラブ首長国連邦(UAE)のシェイク・マンスール氏は、欧州サッカー連盟(UEFA)クラブランキング1位であるイングランドのマンチェスター・シティのオーナーです。マンスール氏は現在、マンチェスター・シティのほか、アメリカのニューヨーク・シティ、オーストラリアのメルボルン・シティ、日本の横浜F・マリノスなどにも出資しています。

 サウジアラビアの政府系ファンドは昨年、イングランドのニューカッスル・ユナイテッドを買収し、シェフィールド・ユナイテッドもサウジの王子が所有しています。イラン人実業家のファルハド・モシリ氏は、2016年にエバートンの主要株主となっています。

 また、中東系のエミレーツ航空、エティハド航空、カタール航空はいずれも、ヨーロッパのサッカークラブと大型契約を結んでいるので、サッカーといえばこれらの航空会社が登場しています。

 化石燃料依存が地球温暖化で先細りな中、湾岸諸国は手元にある巨額の資金を元手に他のビジネスへの投資に積極的です。中でもヨーロッパのサッカービジネスの営業収益はわずか8年間で65%も増加したサッカービジネスへの投資は有望視されています。

 結果的に湾岸諸国は過去13年間にわたってヨーロッパのサッカーチームに多額の投資を行ってきたことでヨーロッパとの関係を深めました。イギリスの経済誌『エコノミスト』の2020年のレポートによると、湾岸諸国の今後10年間の観光開発における重要な手段として、サッカーを含むスポーツ投資が非常に有望と分析しているほどです。

 スポーツビジネスは収益だけでなく、国威発揚にも繋がります。湾岸諸国が所有するPSGやマンチェスター・シティが、スター選手とともにチーム練習で定期的に湾岸を訪れ、施設も充実し、地元を活気づけ、観光スポットとして世界的にも宣伝効果を上げています。

 つまり、湾岸諸国にとって、サッカービジネスは国際社会での評価を高め、国民を活気づける1大国家プロジェクトとなっているわけです。ところがそのマネーを受け取るヨーロッパ人の心は複雑です。1つは自分たちが見下してきたイスラム文明の支配への警戒感です。

 人権を口にするのも、イスラム圏によるヨーロッパ支配を嫌悪していることの表れです。肝心のヨーロッパは衰退に向かっており、クラブチームを維持する経済力もなく、ヨーロッパ域外の富裕層に買収されているのが実情です。

 ヨーロッパの批判は織り込み済みのカタールは、ある程度の改善をすることで評価を高め、国際社会で次のステップにのぼりたい強い意志を持っているのは確かです。

 しかし、ヨーロッパの中東批判にも矛盾はあります。イスラムの伝統を守るカタールでの大会で多様性軽視を批判していますが、足元の域内でイスラム教の価値観を批判し、差別しているからです。

 FIFAのインファンティーノ会長が大会開幕前日に想定外の長時間の演説の中で、ヨーロッパのイスラム世界に対する独善的態度と、過去の植民地支配で人と物の略奪行為を謝罪しようとしないヨーロッパの姿勢について「偽善」と言及したのは、湾岸諸国に安心感を与えているといえるでしょう。
 


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 カタールのサッカーのW杯は異例づくめです。イスラム圏での開催は初めてで小国での開催も初めて。さらに暑さを回避するため開催時期を11月にずらしたのも初めてです。中でも最も特徴的なのは、同性愛を禁じ、LGBTを排除するイスラム法が存在する国での開催ということです。

 宗教教義が服装など人々の生活様式を厳しく規制するカタールは、自由世界から見れば、理解不能です。それもただ生活習慣が異なるレベルではなく、特に西洋の自由と人権重視の価値観とは相いれないものが多く、ヨーロッパの代表選手はユニホームやアームバンドにLGBTを支持する印を入れて抗議の声を上げ、FIFAは着用を禁じました。

 西側メディアのカタールW杯批判の主な要点は3点で、インドやパキスタンなどW杯の建設現場で働く外国人労働者が酷使され、著しく人権が無視されていることと、性的マイノリティー差別、さらに暑さ対策の巨大会場の冷房で大量の化石燃料が使われ、温暖化対策に逆行しているとの批判です。

 特に外国人労働者事情では英ガーディアン紙が、6,500人が死亡したと報じ、外国人労働者搾取が問題視されています。フランスのこの件で国内の都市のパブリックビューイングを中止しました。

 大会に水を差す批判に対して、国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長がかなり厳しい反論を展開し、注目を集めています。カタールW杯批判の急先鋒に立ったガーディアン紙はさっそく、インファンティーノ会長の発言を詳しくファクトチェックしています。

 インファンティーノ氏の反論の中で目立つ発言は西側先進国の「偽善」です。特に外国人労働者搾取問題について、欧州諸国は植民地の人々を奴隷化した過去があるにも関わらず、旧植民地に謝罪もせずにカタールを批判しているのは偽善と批判しています。

 彼は3000年前からヨーロッパは外国人への蛮行をくり返しており、今では難民受け入れも拒否しているのに比べれば、自国の人口の10倍近くの外国人労働者を受け入れているカタールを批判する資格はないと主張しています。

 ガーディアン紙のこの発言に対して、3000年前にはヨーロッパという概念は存在せず、帝国主義が始まった300年前なら理解できるとして、欧州委員会によれば、欧州連合(EU)の外国出身者は2,160 万人で総人口の 4.2% が第三国国民で、英国では2021 年の国勢調査で、イングランドとウェールズに住む 1,000 万人が国外で生まれ、総人口の 16.8%に達すると指摘しています。

 また、ガーディアン紙が指摘した6,500人の死亡者という数字に対しては、カタール政府は大会に関わる事故死は数人レベルと反論しています。インファンティーノ氏はカタールが同問題でも努力し、劣悪の外国人労働者の宿泊施設の改善にも取り組んでいると擁護しています。

 インファンティーノ氏は貧しいイタリア移民で差別を受けた経験者であることを持ち出し、「私は今日、強い思いを抱いている。カタール人、アラブ人、アフリカ人、ゲイの人、障害者、移民労働者の気持ちを感じている」と述べ、W杯の世界を一つにする使命の大きさを強調しました。

 ウクライナ紛争でカタールの天然ガスに頼る国は非常に多いにもかかわらず、W杯でのカタールの化石燃料大量消費を批判するのは矛盾しているとインファンティーノ氏は指摘、これも偽善の一部という論点です。

 FIFAの腐敗に取り組んできたインファンティーノ氏の実績はガーディアン紙もある程度認めています。同時にスポーツを通して人類が一つになるというヴィジョンからもブレていないように見えます。

 本人自身、イスラム教の価値観が大会を難しくしていることを認めつつ、「時間がかかること」として「一緒にやろう」という行動を通して互いにいい影響が与えられえるとの確信を持っているインファンティーノ氏は主張しました。

 インファンティーノ氏の想定外の長時間の演説は世界に波紋を広げていますが、ヨーロッパのイスラム世界に対する上から目線、過去の歴史を恥じない偽善について考えさせられるものでした。

  

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 エジプトのシャルムエルシェイクで開催していた第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)は20日、会期を2日延長し、途上国への支援基金を設立することで合意し、ようやく閉幕しました。支援基金設立は初めてのことで「歴史的合意」などといわれる一方、具体化は次回に持ち越されました。

 途上国の主張は、地球温暖化で海面上昇、異常気象による洪水や干ばつ被害など損失と損害をもたらされている原因を作ったのは、産業化のために先に温暖化ガスを大量に排出して豊かな国となった先進国の責任なので、先進国こそ温暖化対策への経済負担のほとんどを担うべきというものです。

 先進国は長年、この理屈に抵抗した一方、2020年までに官民で年1000億ドル(約14兆円)の途上国支援を実施すると2009年に約束しましたが、その約束も守られませんでした。しかし、問題の本質は米中にあり、特に最大のCO2排出国の中国が温室効果ガス削減に協力的でないことです。

 中国は世界で第2位の経済大国と豪語しながら、COPの会議では途上国のふりをして炭鉱の新規開発を認可し続け、温暖化対策にも非協力的です。本音はアメリカを抜いて中華思想による世界支配を果たすまではCO2を排出しながら経済発展を止めるつもりがないということでしょう。さらに産油国も化石燃料消費が減る懸念から非協力的です。

 そんな理不尽な現実を抱える世界ですが、18世紀、19世紀の産業革命と帝国主義時代に残した古傷が完全に癒えていないことも問題です。私が教鞭をとったフランスの大学で長年、学生たちを調査した結果、フランスの植民地政策の間違いを正面から検証したことがないことを知りました。

 多くの未開の途上国を植民地化し、資源を奪い、人を奴隷化して物のように売りさばいた歴史への贖罪意識が今も希薄ということです。奴隷化され世界中に売り飛ばされ、家族が離散したままのルーツを持つ人間が、今も世界には山のようにいます。彼らの恨みは想像を絶するものです。

 アフリカに近いフランスに長年暮らした結果、理解したことは、植民地争奪戦に加わったヨーロッパ諸国には2つの目的があったことです。1つは国力増強のための資源と人の獲得という経済目的であり、2つ目はキリスト教の宣教でした。この2つは傲慢な植民地政策を反映するものになりました。

 興味深いのは経済目的は多くの恨みを残したのは当然ですが、宣教ではアフリカや南米にキリスト教が広まったことです。彼らは口を開けば「植民地は文明が遅れている」と蔑む一方、だからといって文明を発達させるための投資はせず、資源や人を奪い、同時に宣教も続けました。

 結果、経済目的で略奪をくり返したことで失敗に終わり、恨みだけが残り、COP会議で先進国の責任追及が続いています。一方で略奪をくり返すヨーロッパ諸国が持ってきた普遍性のあるキリスト教は受け入れられ、広まっていき、今ではフランスのカトリック聖職者に黒人が急増中です。

 ヨーロッパ人はキリスト教と自分たちが築いた高度な文明をセットで考えていますが、旧植民地でとった態度は矛盾に満ちていました。キリスト教の精神からすれば、資源の強奪も人の奴隷化も許されない行為のはずです。これらの悪行は商人たちがもたらしたものでした。

 つまり、野蛮な国と植民地を蔑む傲慢な商人や政治家たちが恨みを残し、彼らは未だに贖罪意識すらないという状況です。この態度は日本も過去に植民地で行った経緯があり、他民族を蔑む傲慢な態度は西洋ほどではないにしろあったことは事実です。

 日本の植民地政策が西洋と異なるのは、植民地を自国の領土と見なし、自国同様な投資を行ったことで、ヨーロッパの植民地政策は自国と同じレベルに引き上げることではありませんでした。その一方で普遍性を持つキリスト教の伝搬を行った点は日本は農業を基盤とした神道を押し付けた程度でした。

 この宗主国と植民の間に生じた問題の解決の本質は「奪うか与えるか」ということだと思います。それも経済的支援では贖罪効果は望めず、別の意味での恩恵をもたらすことしかないと私は見ています。今、日本を含む先進国の途上国支援は知財を提供することにシフトしています。

 企業も進出した途上国でのローカリゼーションを進めています。「その国の発展のために」という基本姿勢が問われているわけです。綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、長い目で見て恨みを残すのか、感謝されるのかの違いは非常に大きいと思います。


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 ローマ・カトリックのフランシスコ教皇は、かつてアメリカを訪問した時、「宗教は過激化する性質も持っている」と発言しました。背景にはイスラム聖戦主義のようなテロを何度も引き起こし、最後は過激派組織イスラム国(IS)がシリアからイラクにかけて残酷な手段で支配したことがありました。

 平和をもたらすはずの宗教が、真逆の宗教対立による残酷極りない戦争を過去の歴史において何度も引き起こしています。それを見て1神教ではなく無宗教の日本人は「やはり宗教が問題だ」といったりします。旧約聖書によれば、神が国や民族を滅ぼすよう命令したりしています。

 しかし、その日本でも明治初期、国家神道が勃興し、廃仏毀釈で仏教弾圧があったり、キリスト教弾圧がありました。とはいえ1神教の世界のような血で血を洗う内戦に発展したことはありません。理由は国家統治に与える宗教の影響は限定的だったからです。

 特に戦後の知識人の多くは「宗教は人間が作ったもの」という、およそ1神教では考えられない認識が広がりました。理由は宗教がそもそも人生そのものを根底から規定する世界観を持つとは考えていないからです。その一方でキリシタン弾圧のように国の統治に脅威を与える宗教は徹底排除したのも日本です。

 では、自由と民主主義、法治国家を国是とする国においての宗教の役割はといえば、それは民主主義が人々の良識によって支えられているからです。その良心を育むことに宗教は大いに役立つというのが基本的考え方でしょう。宗教法人に納税義務を課さない等の優遇をするのも、そのためです。

 逆にいえば、殺人や破壊行為を行い国家の支配を画策するような宗教は、法治国家として刑法や民法で取り締まればよく、最悪、宗教法人格をはく奪し、さらに危険ならば破壊活動防止法を適応して強制的に活動を完全に封じることもできるというのが日本の構えでしょう。

 フランスのようにイスラム聖戦主義のテロに悩まされている国でも、1部のイスラム教徒の過激化を持ってイスラム教そのものを禁じることはせず、聖戦主義に傾倒し過激化の疑いのある人物をテロ防止の観点で監視しているだけです。ただ、その数は1万人を越えています。

 それに人権への影響も考慮されています。精神的あるいは身体的に弱い立場の人間に極度の恐怖を与えて高額献金を強いる行為もフランスでは違法です。しかし、実際には既存のカトリックでさえ、過去には地獄絵図を見せて信仰を迫っており、多くの宗教は希望と恐怖が表裏一体なのも事実です。

 タイの上座部仏教では、人生で徳を積めば輪廻転生で生まれ変わった時、より素晴らしい人生が待っていると説くと同時に、もし悪を行えば、次回は貧しい人生が待ち受けているだけでなく、動物や昆虫になる可能性もあると恐怖を与えています。

 基本的に人間が完全で、生きることに何の問題もなければ、宗教は必要ないわけで、不完全で未熟だからこそ、少しでもいい人間、すなわち良心を持った人間になるため宗教は存在していると解釈すべきでしょう。特に民主主義を成熟させ、平和を実現するためには宗教は不可欠といえるでしょう。

 法律は何をすれば犯罪と見なし罰するかに重点が置かれているのに対して、宗教は最初に「人間どうあるべきか」を説いているといえます。逆にいえば、宗教的正義をもって犯罪を正当化したりする行為は許されないというのが近代社会の原則なはずです。

 今、イエス・キリストが民主主義の国に現れたら、死刑になることはないでしょう。自由な信仰が認められ、自由に信念を主張することが許されているからです。

 では、世界の4大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教が存在し続けてきたのは、果たして国や人々の役に立ったからなのでしょうか。まず、宗教は基本排他的です。私のオーストリア人のカトリックの友人は「プロテスタントを信じても天国には行けないのに彼らは可哀そう」といいます。

 ユダヤ教徒は選民意識が強く、他の宗教を見下してきました。イスラム教徒の1部は異端を殺害すれば天国に行けると信じています。結局のところ宗教が平和をもたらすとはいえず、独善的で排他的性質は拭い去れません。

 イエスをメシアとして受け入れないものは天国には行けないと言明する牧師も少なくありません。宗教は互いを異端視し、排他的で超内向きで、時には社会貢献にも関心が薄い場合もあります。それでも宗教が人間どうあるべきかを説いている以上、民主主義を機能させる存在です。

 たとえば、日本の一般常識からすればありえない教義を持つ宗教でさえ、それが国家や社会に甚大な被害を与えない限り、排除はできないでしょう。自由や人権を最重視するアメリカでアーミッシュやクエーカーのような極端に人間の選択の自由を制限した聖書原理主義者を排除しないのも彼らが武器を持って国家に歯向かわないからです。

 われわれが排除すべきは、良心を育てるどころか、違法行為や家庭破壊に何も感じない良心のない人間を生産したり、利益を他国に移し国家に不利益をもたらす存在でしょう。民主主義の恩恵を得ながら利用し、民主主義を本当は否定し、多くの人々の人生を奪うのは偽善的な犯罪行為のはずです。