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12世紀から建つ僧院を改装したサン・ポール・ド・モゾル精神病院

 

昨年5月、ゴッホが精神錯乱から自分の耳たぶを切り落としたとする説に異論を唱えるドイツ人歴史家の著書が出版された。その歴史家は、ゴッホの耳は、友人ゴーギャンに切り落とされたと主張している。新説ではゴッホと揉み合いになったゴーギャンが、フェンシングの剣でゴッホの耳を切り落としたとしている。

 

ゴッホが事実を黙っていたのは、ゴーギャンとの同居を強く望んだためと説明しているが、専門家たちは強く反発している。この事件は、アルルの「黄色い家」でゴッホが同居していたゴーギャンとの不仲から起きた事件として歴史に刻まれているものだ。

 

「ファン・ゴッホの手紙」という本に残された弟に宛てた大量のゴッホの手紙を読むと、彼の性格や絵画への情熱、そして弟テオへの並々ならぬ愛情で散りばめられている。その文章から汲み取れるのは、あまりにも澄んだ純粋な心と、極端に不安定な精神状態の狭間で苦渋の人生を生きたゴッホの痛ましい姿だった。

 

耳事件があった1888年12月の翌年5月、ゴッホは自らアルル北東20キロにあるサン・レミ・ド・プロヴァンス郊外にあるサン・ポール・ド・モゾル精神病院に入った。アルルからサン・レミに向かう街道沿いは、夏にはあたり一面にひまわりが咲く。そのうしろのアルピーユ山脈の麓にはオリーブ畑が広がり、糸杉が青空にそそり立っている。

 

ゴッホは、ひまわりをアトリエに持ち帰り描いた。ひまわりも糸杉も、彼の代表作である。そのひまわりと糸杉の風景が見える街道を通り、彼はサン・ポール精神病院に入った。そして、特別に与えられたアトリエで絵を描きながら、一年を過ごした。

 

サン・レミからアルル一帯は、アルプス山脈からローヌ渓谷を吹き下ろすミストラルと呼ばれる強風の季節風が吹き荒れることで知られる。ゴッホもイーゼルを立てて描いている時、ミストラスに悩まされたが、それゆえに彼の描く風景は、糸杉も草花もミストラルになびいてうねり、燃え盛る太陽の下で生き物のようにうごめいている。

 

その様子は、精神を患い、発作に悶えるゴッホの姿にも重なる。弟テオは、愛する兄のために何もできない無力感を兄への手紙のなかで何回も表現している。ピレネー山脈から吹き下ろすスペインのコスタ・ブラバのトラモンタナにせよ、ミストラルにせよ、地中海に吹き下ろす風には、天才を育む秘密があるようだ。

 

ゴッホの描いた風景に囲まれるサン・レミ・ド・プロヴァンスは現在、高級別荘地帯となり、プロヴァンスの魅力をたたえている。プラタナスの並木道の大通り、ルネッサンス様式の古い建物を吹き抜ける風は、心を癒してくれる。この町には予言者ノストラダムスの生まれた家も残されている。

 

19世紀以来、修道院を精神病院として使うサン・ポール病院は、今でも療養施設として使われている。画家として歩んだのは10年足らずで、生前売れた絵は1枚だけだったゴッホは、アルルとサン・レミでほとんどの名作を描きあげた。その風景は、いまもなお残り、ミストラルにそよいでいる。