331976

 脳科学の世界では、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN=Default Mode Network)は脳の神経活動一つで、「心がさまよっているときに働く回路」といわれ、脳のアイドリング状態ともいわれています。研究ではDMNが活性化している状態は脳疲労に繋がることも分かっています。

 一方、不活性状態が長期化すると思考に柔軟性がなくなり、脳内の混乱や記憶力低下につながるといわれています。そのため、DMNのオンオフが重要というわけです。通常、DMNの活性化は、創造性や多様なアイディアを生み、リラックス効果もあるといわれ、多様なアイディアが必要な現代社会では活性化は重要に思われがちです。

 ところがDMNのエネルギー消費量は、脳の全エネルギー消費の60〜80%を占めるとも言われ、脳への負担はかなり大きいといわれます。そのためDMNを不活性化させ、脳を休息させるためにマインドフルネスなどが有効などといわれ、瞑想効果が注目されたりしています。

 DMN活性状態のデメリットにはネガティブ思考があり、過去の失敗を反復的に後悔することによるダメージも指摘されています。今、コロナ禍後のレジリエンスが重要な時期、DMNの扱いは結構重要なテーマといえそうです。

 米ハーバードビジネスレビュー(HBR)に掲載された論文、「畏敬の念が個人と組織のレジリエンスを高める」を書いた心理学者のデイビッド P. フェッセルと カレン・ライビッチは、「 畏敬の念を覚える映像を見るといった経験は、(中立的な映像や楽しい映像と比べて)自己注目や反芻に関連する脳のDMNの活動を低下させることがわかっている。その結果、心の中のおしゃべりが減る」とあります。

 結果的に「畏敬の念がもたらす効果は、ストレス軽減だけではない。研究によると、自分より大きな何かを経験すると、頭の中でイメージを描くメンタルモデルが広がり、新しい思考方法が刺激されて、判断や行動の枠組みを超えやすくなる。これにより創造性やイノベーションがうながされ、科学的思考や倫理的な意思決定がしやすくなる」と指摘しています。

 昔は多くの人が宗教を持ち、教会や寺、神社に通っていました。実はDMN管理に今の時代は瞑想の有効性が強調されていますが、信仰が人間生活の中心にあった時代、畏敬の念をいだくことは日常にありました。だから、脳のリフレッシュ、DMNのオンオフが日常生活にあったともいえます。

 ところが過去のないレベルで科学が発達したことで、畏敬の念を抱く場は失われていき、瞑想効果だけが独り歩きしている状態です。HBRの論文は畏敬の念を持つことは「自己を捨てて意識が他人に向かい、寛大さや思いやりなど社会性のある行動を促される」「畏敬の念を経験することによって、協力関係やチームビルディング、社会的な結びつきをもたらす」とも指摘しています。

 では、現代社会で畏敬の念を抱くにはどうすべきなのか。私は個人的なライフワークとして絵を描いているのですが、40年間絵筆を折っていた後に描くことを始める時、自然を観察し描くことに徹することを決めました。すると昆虫から動物、草花、果物、野菜などをじっくり観察すると、その美の素晴らしさと奥の深さに圧倒され、畏敬の念を持たざるを得ません。

 これがDMNの異常な過活性を抑えてくれることに繋がっていることをHBRの論文を読んで、改めて確信しました。実は自然はレジリエンスそのものです。東日本大震災で完全に破壊された自然も瓦礫の中から植物は芽を出し、花が咲き、昆虫や鳥が戻ってくるわけですから、その回復力は想像を絶するものです。

 音楽にも池の念を抱かせる音楽があり、日々流されるニュースの中にも常人ができないような素晴らしい美談もあります。クエーカー教徒は指導者を置かず、礼拝は信仰告白を共有する場で感動的な証を共有しています。アルコールや薬物依存症の治療に畏敬の念を抱くような体験をシェアする集まりを繰り返す手法が使われています。

 DMNの一時的な不活性化は、別の表現では癒しに繋がるという話です。ストレスやプレッシャーの多い時代、われわれは効果的に脳を休め、生き生きとした人生を送るためのメリハリをつける方法をそれぞれが見い出す必要があるということだと思います。

ブログ内関連記事
自由意思を育てるチーム 消耗する師になるよりクリエイティブな職場環境を整えるリーダーへ
重要さ増すメンタルヘルス コロナ禍で「誰もが下僕ではなく人間だ」という意識が芽生えている
デュアルライフから完全移住 都会と田舎のギャップはなくなる時代がくるかも
オキーフが愛読した岡倉天心 米現代アートの先駆者の影に日本の伝統美術と精神文化