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 新型コロナウイルスの接種証明証の活用は、今や世界に広がっており、それに伴う不満の声も上がっています。フランスはワクチン接種完了や抗体検査陰性を証明する健康パスの運用拡大を9日から開始しました。さらに医療・介護従事者へのワクチン接種義務化も実施の流れです。

 自由と平等を大切にするフランスのような国で、なぜ、個人の行動を強制的に選別するような不平等なことが行われるのかと疑問に思う人もいるでしょう。

 案の定、7日には4週連続で抗議デモが起き、仏全土で25万人が参加したと報じられています。それとは反対に、マクロン大統領がこの方針を発表した7月12日にテレビ演説の形で発表した後の24時間に、100万人の国民がワクチン接種予約に殺到しました。

 実は来春の大統領選をにらみ、マクロン政権の追い落としを狙う左派と極右は、健康パス問題を露骨に政治利用し、大統領選の前哨戦としたい考えです。反マクロン政権の左派、特にこれまで政権を担ってきた社会党は、マクロン政権発足後、すっかり影を潜め、黄色いベスト運動も息切れ状態の中、健康パス問題で起死回生中です。

 来春の大統領選で決選投票に残ると見られるル・ペン党首を抱える極右・国民連合は、6月の地方選で期待通りの結果を出せなかったことで、なんとかマクロン政権追い落としに加わる必要があります。抗議行動で弾みをつけたいところなので、左派の運動家とは距離を取りながら抗議デモに加わっています。

 今回、政府の新方針を支持したのは、マクロン政権を支える中道の共和国前進党と中道右派の共和党です。野党の共和党が反対に回らなかったことが国会では大きな影響を与えました。共和党はマクロン氏が昨年3月にロックダウンに踏み切った時の演説で「これは有事だ」という認識を示したことには賛同の立場です。

 人権、個人の選択の自由、平等の価値観を国家理念とするフランスですが、実はアメリカと違い、公益性重視という価値観も持っています。フランスでは私権が公益性を前に犠牲になることもあります。近代市民社会を世界にもたらしたフランスですが、安定した市民社会の実現には公益性は欠かせません。

 それが最も顕著に表れているのが都市計画です。ヨーロッパの街づくりの伝統は、統制されたトータルな計画です。家の壁や屋根の色、住宅の形状を含め、厳しく統制されています。道路計画で最後まで私権を盾に立ち退きを拒否することもできません。居心地のいい街づくりによって個人な住みやすい町に住むことができるという理屈です。

 パリでは私が住んでいた15区のボーグルネル地区の再開発には多くの市民の意見が反映されました。そこは住民が私権を主張し合う場ではなく、いかに美観を含め利便性、効率性、公共性、さらには持続可能な開発に適っているかが検討されました。

 コロナ対策の公衆衛生対策は、まさに公益性の問題であって、個人の損得が先にあるわけではありません。そこに有事が加わるわけですから、私権の侵害問題は大きいとはいえません。

 健康パス問題は、ヨーロッパでは昨年来議論されてきたテーマです。理由は観光産業への依存度の高いギリシャやイタリアが、免疫パスを発行するように欧州委員会に要望していたからです。

 まず、ワクチン接種による免疫獲得証明書には、欧州の感染症の専門家が懸念を示していました。法的にパスポートの発行は可能だとしても、ワクチン接種による免疫がどのくらい続くのか、変異種に有効なのかは医学的証拠が得られていないからとしていました。

 ワクチン接種は個人の判断に委ねるという基本的考えとは矛盾するという批判もありました。免疫証明を見せなければ美術館やスポーツイベントの観戦もできないのは公平性に欠けるという批判でした。それにパスポート所持者は、ロックダウン(都市封鎖)や夜間外出禁止令を守る必要があるのかという議論もありました。

 スイスの非営利団体「コモンズプロジェクト」や世界経済フォーラムなどが推進する旅行者の健康データの世界共有システムも、どこまで個人情報を守れるか疑問視されていました。さらにはパスポートの偽造も懸念され、実際にフランスでは健康パス偽造に関わった当局の職員が起訴されています。

 実は世界保健機構(WHO)は昨年4月、各国政府に対し、新型コロナウイルスについていわゆる「免疫パスポート」や「安全証明書」などを発行しないよう呼びかけた経緯があります。新型ウイルスによる感染症から回復して血液内に抗体を獲得しても、もう二度と感染しないという証拠もデータもないというのが理由でした。

 英国は4月にワクチンパスポートの試験的導入を行った時、70人の議員が反対の書簡を政府に渡しました。反対派は、ワクチンパスポート導入は、人々が差別されることにつながる可能性があるというもので、たとえば、医師や看護師、介護施設のスタッフ、CA、教師が証明書なしには働けなくなる可能性があると指摘しました。

 このような長い議論の末に欧州各国は時限立法のような形でパスポートを導入しています。イタリアは今月6日からレストランの店内での飲食などについて、新型コロナウイルスのワクチン接種を証明する通称「グリーンパス」や48時間以内のPCR検査の陰性証明などの提示が義務づけられました。観光名所の入場にも提示は義務です。

 フランスは憲法評議会が政府方針を合憲としました。憲法評議会は、病院や介護施設職員などへの接種義務について、10月15日まで猶予期間があることを踏まえ、「合憲だ」とし、接種や陰性証明などを記録した「健康パス」を飲食店などの利用条件にすることは、個人の自由と感染対策の「釣り合いが取れている」としました。

 個人の自由と政府感染対策のバランスは、今や世界中のコロナ対策の中心的議論です。個人の自由がもたらすリスクと感染対策がもたらす公益性のバランスでは、今の流れは健康パスや職種によるワクチン義務化は認める方向にあり、それで不利益を被る人々の救済が今後の課題といえそうです。

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