Dipromacy

 日本政府が原発処理水の海洋放出方針を決定したことを受け、中国、韓国、北朝鮮が非難声明を出し、韓国は国際海洋法裁判所に提訴すると息巻いています。一方、国内では地元福島の漁業関係者が今後の風評被害を恐れ、猛烈に反発しており、地元自治体は相談がなかったと不快感を露わにしています。

 一方、IAEA(国際原子力機関)のグロッシ事務局長は「日本が選択した方法は技術的に可能であり、国際的な慣行に沿ったものだ」と日本政府の決定を支持した一方、周辺国の反発を受け、モニタリング調査など現地に安全性検証のための国際調査団の派遣検討する用意があると表明しました。

 いってみれば、この周辺国からの非難は想定内のことだったのかもしれません。それにIAEAが支持を表明したように、海洋放出自体は厳格な管理のもとで世界の原発で日常的に行われていることです。原発施設が海沿いか川沿いにある理由もそこにあるといわれています。

 ただ、たとえ想定内とはいえ、ただでさえ周辺国である中韓、北朝鮮との関係が微妙な時期に、相手に非難の機会を与えるのは外交上、どうなのだろうかと個人的には違和感を感じました。それに説明がいかにも日本的だなとも思いました。なぜなら海洋は周辺国に繋がっているからです。

 たとえ科学的に放出した処理水が海洋汚染には繋がらないということが証明されているとしても、原発は政治的、外交的考慮が付きまとう問題です。たとえば、中国は香港や新疆ウイグルへの弾圧に対して「内政問題だ」といつも跳ね除けますが、人権弾圧やジェノサイトに繋がる行為は国際社会が容認すべきものではないはずです。

 日本政府は「国の基準を下回る濃度に薄めて海に放出する」と説明しました。正直、周辺国の強い反発が想定される決定にはふさわしい言い方とは思えませんでした。理由は、いかにも内向きな島国的説明の仕方だという印象を受けたからです。

 グローバルビジネスでも同じですが、国際的に影響の大きな決定を説明する場合は、日本人だけでなく異文化でも理解してもらうためには、誰もが受け入れられる客観的根拠を示すことが重要です。「国に基準を下回る」では説明になっていません。

 ここは「国」ではなく、「国際的基準」あるいは「IAEAの定める基準を下回る」というべきでしょう。

 批判や懸念が高まった段階で、周辺国な国内の反発の程度を見ながら、IAEAの支持や調査団の派遣を受け入れることまで事前に想定していたとすれば、外交的誤りというしかないと個人的には思います。日本は国内でも根回しに時間をかける慣習を持っていますが、国外に対してはそうでもありません。

 今回の場合は根まわしをしようにも、周辺国は何をしたとしても批判する状況なので、沖縄の辺野古の新基地移転のように、反対を押し切ってでも強引に実行するというパターンにも似ているようです。

 表向き「丁寧に説明を尽くして」といいながらも、内心では「どうせ反対しかしない連中を相手にしても仕方がない」と思っているパターンに似ています。そこで登場するのが法律ですが、今回は韓国が国際海洋法裁判所に提訴する構えですが、彼らが勝てる公算もまたほとんどないでしょう。

 しかし、目的は従軍慰安婦の問題と同じで、問題を長引かせ、どんな事項にせよ、日本政府を困らせ追い詰めるのが目的です。きっと日本政府は国際裁判所で勝って正当性が認められ、IAEAが安全性を保障しても批判し続け、日本の評価を下げるための言論を展開し続ける可能性が高いと見るべきでしょう。

 それでも国際世論を日本は味方につける努力を続けることは重要です。その意味で科学的で客観性を持った根拠を示すのは極めて重要です。欧米で開発された新型コロナウイルスのワクチンも、ネガティブな症状が出れば、その症状とワクチンの関連性が証明されるまで使用を停止させており、継続的に科学的で客観性を重視しています。

 たとえ放水が始まったとしても、継続的で厳密な監視が必要です。果たしてテロ対策で原発施設に設置された人の出入りを感知するセンサーが故障しても長期間放置した東京電力に監視を任さられるか極めて不安です。それこそ国際的監視が必要かもしれません。

 異文化コミュニケーションでは、言葉を一つ間違えるだけで国内では考えられないような深刻な事態を招くことも少なくないので、国内でしか通じないハイコンテクストの説明は厳に慎むべきと私は考えています。

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