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 東京五輪・パラリンピックの開閉会式の責任者であるクリエーティブディレクターの佐々木宏総合統括が、文春オンラインが報じた五輪開会式で女性タレントの渡辺直美さんの容姿を侮辱するような演出案を提案し、結果、辞意を表明しました。同件について、米ウォールストリートジャーナル(WSJ)やブルームバーグがネガティブ報道をおこなったことが日本のメデャアで取り上げられています。

 私はこの動きには2つの問題を感じています。一つは文春の問題です。文春が要人や有名人のスキャンダルで発行部数を伸ばしていることは知っていますが、そのスキャンダルの騒ぎが国益を損ねている問題です。新聞の3面記事にしかならないような事象に野党が飛びつき、国会が貴重な時間を費やすのは目に余ります。

 原因の一つは、世論が成熟していないことだと思います。世論が「そのスキャンダルは追求すべきだが、優先順位は高くない」と受け止めれば、国会の莫大な時間を費やすことは支持されないでしょう。文春スキャンダルにテレビメディアも飛びつき、面白がって報じる構図は褒められたものとは思えません。

 英国にはイエローペーパーというのがあり、大衆の好奇心や既得権益者への嫉妬を利用して購読者数を伸ばしています。重大事由であれば司法の手に委ねるのが普通ですから、メディアが裁く必要はありません。政治家や官僚、企業トップの違法行為は司法で裁かれるべきもので、世論だけで追い込んでいくのは人民裁判や魔女狩りです。

 もう一つは、海外、特に欧米メディアがからの批判報道に過剰に反応し、自虐的報道に走る傾向があることです。今回の場合は、海外メディアが東京五輪の要人が、森前組織委員会会長に続き、女性蔑視発言したとして、日本は女性蔑視の国とレッテル貼りしていることで「恥ずかしい」と報じていることです。

 中身を見れば、開会式のアイディアで予算を削られ、時間のない中、新たにディレクターに就任した佐々木氏が、関係者とアイディアを出し合うブレーンストーミングの場の他愛ない会話で飛び出したもので、参加者から即座に批判され、本人も謝り撤回したという内容です。

 無論、冗談でも差別は許されないのは事実ですし、気が緩むと口をついて出る差別発言も問題です。その意味では森前会長も同じでしょう。しかし、日本人なら海外から糾弾されなくても昭和世代の男性に男女平等意識が低いことは分かっているはずだし、その是正も進んでいます。

 日本には「世間体」という独特の文化があります。それは自分の関わる共同体内だけでなく、日本人としては海外からの評価も世間体の延長線上に考える傾向があります。無論、「旅の恥は掻き捨て」などというのは、自分の住む共同体以外の世間体を気のする必要はないという考えもありますが、世界が注目する五輪・パラリンピックが近づいている状況では話は違います。

 日本が外国からの評価を気にし始めたのは戦後です。それまで他国同様、国益のみを追求する超内向きでした。敗戦で傷ついた国の評価を回復させることは急務でした。日頃、空気や風を読みうまく立ち回るのが得意なはずの日本は、周辺国を蔑視したためにそれができず、以来、今も中国や韓国から「侵略」の2文字を持ち出され、揺すられています。

 海外、特に国際世論形成に影響力を持つ欧米メディアには過敏に反応するようになり、今回のような女性蔑視への批判報道に日本は過剰反応しています。それは自分で価値観を定められていないことも原因していると思われます。

 たとえば英王室のヘンリー王子の妻メーガン妃が王室離脱後、インタビューで辛辣に王室の人種差別を糾弾したことについて、ニューヨークタイムズを始め、米国メディアはメーガン妃に同情的です。つまり、人種差別への意識の高い米国人を英王室に送り込んだら、王室の差別体質が表面化したというアプローチです。

 しかし、その米国メディアや世論に対して、英国は明確に別のスタンスを取っています。それは伝統ある英王室に適応できなかったメーガン妃の批判は「敗者のいいわけ」と思っているからです。英王室に人種差別があったかは真偽が確定していないだけでなく、「こんなに早く音を上げるなんて」と呆れているからです。

 「嫌なら出ていけばいい。でもロイヤルブランドを持っていくのはやめてほしい」という論調もあります。米国が同情論8割とすれば、英国世論はメーガン批判が5割を超えている状況です。

 仏風刺週刊紙シャルリー・エブドはエリザベス女王が膝で地面に伏したメーガンの後ろ首を抑え込み「なぜ王室を出ていったのか」といい、メーガン妃が「息ができなかったから」と答えている風刺画を表紙に掲載しました。これは米国で起きた黒人のフロイドさんが警官に首を抑えられ、「息ができない」といって死亡した事件を想起させるものでした。

 さすがの英メディアも「笑えないジョーク」と報じました。英メディアは米国のメディア報道に基本的に過剰反応せず、しっかり自国のスタンスを持って報じています。自虐報道は見当たりません。無論、この事例は英王室という英国人にとってコアな存在に触っている問題で、日本の女性蔑視発言の問題と比較するのは無理があります。

 しかし、日本が未だに外圧がなければ問題改善ができないというのは情けない話です。それに日本のメディアは誤解を解くための発信をすべきでしょう。今回の佐々木氏辞任問題では本人が発言直後に謝罪し、発言を撤回しており、そのプロセスは紹介されていません。

 それに、なんでも問題が起きれば謝罪と辞任すればいいというのが日本では習慣化していますが、それで問題が本質的に解決するわけではないはずです。世間体ばかりを気にして自分のアイデンティティが持てないのは問題です。安っぽい正義感で魔女狩りを続ける低俗なメディアに振り回されているのも残念です。

 オリンピックの精神に合致しない日本の現状について批判する人もいますが、実はその精神はめざす目標であって、その精神に合致した国などありません。そのめざす精神に共感し、努力する姿勢を見せることが重要なのに、日本は女性蔑視で平等意識が低いからオリンピックを開催しる資格がないというのは、まったくの的外れです。

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