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 10年前の東日本大震災の時はフランスにいました。テレビで映像が連日映し出され、あまりの規模の津波を最初は理解できないほどでした。ちょうど、妻の郷里のブルターニュの小さな町に義父を訪ねた時で、たまたま行った薬局で「日本の親族は大丈夫か」と知らない薬剤師に聞かれ、驚きました。

 義父はチェルノブイリ原発事故を思い出し、当時、ソ連政府が情報開示しなかったために放射能がフランスの農作物を汚染した話をしながら、「今回は大丈夫らしい」といったのを鮮明に覚えています。義父の家に来ていた近所の女性教師が「日本人は政府に騙されている。安全なはずはない」といって議論した思い出します。

 当時、フランスの田舎だけでなく、パリでも娘の結婚式でいったロンドンでも、多くの人々から心配と慰めの言葉をかけてもらい、こんなに世界は狭いのかと思いました。

 人は自分の力ではどうすることもできない戦争や災害、疫病に襲われることによって、精神に大きな影響を受けるのは歴史の常でしょう。20世紀は2つの大戦の戦場となったことは、戦後のヨーロッパ人の心を大きく変え、実存主義が流行り、ヒューマニズムが強まりました。

 日本も多数の犠牲者を太平洋戦争で出したことで、戦後の復興期には若い有能な人々が国の再建に関わり、東京五輪までに戦後は終わり、急速な経済発展の時代に差し掛かったことを世界にアピールできました。そして今、東日本大震災から復興した日本をアピールする東京五輪・パラリンピックを控えています。

 人間は残念ながら、強い悲劇的体験をしないと気付かないことも多くあります。東日本大震災後、数年間続いたがれきの除去に始まるボランティア活動に関わった人の話に共通していたのは「励ますために行ったのに元気をもらって帰ってきた」でした。

 全てを失って意気消沈しているはずの被災者が、何か不思議なポジティブな力を持っていることを感じ、人間には逆境を乗り越えるスキルやパワーが備わっていることを改めて認識させられた思いでした。瓦礫の中に咲く一輪の花のように人間も含めた自然には命の再生力があるということだと思いました。

 最も内心、いい意味で驚いていることは、東日本大震災で灯ったボランティアの炎は、多くの若者の間に人の絆の大切さと、何かために生きたいという心が自然な形で育ったことです。いわゆる今流行りのレジリエンスの耐性が身につきつつあるのかも知れません。

 日本はけっして弱者にやさしい国ではありませんでした。それは弱者救済思想を持つキリスト教の精神文化がないこととも繋がっていました。

 30年前の仏日刊紙リベラシオンは、日本のホームレスの現状を取材し、フランスでは当たり前のホームレスへの食糧援助や冬に寒さを防ぐ施設への収容などを組織的、積極的に行っていないこと、仏教組織に弱者救済活動がそれほど見られないことを紹介した記事を思い出します。

 戦後、日本では働かざる者食うべからずという考えが強く、弱者への思いやりは希薄だったように思います。イタリア・フィレンツェにある欧州大学院で教鞭をとっていた法学者のスナイダー教授は私に「私は社会主義者ではないけれど、人間の不幸はその人のせいだけでもたらされるものではない」といった言葉を深く記憶しています。

 アメリカ人のスナイダー氏はハーバード大学で法学修士、パリ大学で博士号を取得した優秀な学者でしたが、自分にとって非常に深い意味を持つ話でした。働かざる者食うべからずという考えの貧しさを痛感し、助け合い支え合って生きていくことの重要さを学んだ思いでした。

 無論、日本は戦後、途上国に対して多大な貢献をし、世界的な評価を高めてきました。国民の税金がODAに使われ、感謝されたことも事実ですが、結果的に支援で日系企業が潤った感もあります。

 若者の間でボランティア精神が欧米に比べ育たなかった日本では、過去にはボランティアを積極的に行う若者に対して「何、格好つけているんだ」とか「どうせ自己満足のためでしょ」といった批判までありました。それが東日本大震災後、消えたのではないかと思っています。コロナ禍も意識を変えることでしょう。

 それに人との繋がりも希薄になり、隣にいる人とも会話せず、メールを送るような人間関係が広がっていましたが、今は繋がることを求める動きはきわめて盛んです。ビジネスの世界もSNSの「いいね」マークに象徴される、どれだけ多くの人たちの共感が得られるかがカギになっています。

 つまり、人との繋がりを強く求め、何か役に立ちたいという心が、東日本大震災を機に芽生え、日本の復興を支えてきたのかもしれません。私は海外に赴任する日本人ビジネスマン、特に途上国に向かう人たちに贈る言葉として、利益追求は当然だとしても、その国の役に立ちたいという心がなければ、ローカリゼーションは成功しないといっています。

 役に立ちたいという心さえあれば、自分が何をしたらいいか分からないとはならないはずです。世界には助けを必要としている人は山ほどいるわけで、先進国に住んでいるだけで身についたもので役に立つことは多くあるということです。

 日本人は苦労話が大好きでフランス人の妻は呆れていますが、逆境を克服するレジリエンスは、本来、人間に備わっており、それがなければ人類はとっくの昔に滅んでいたでしょう。涙ながらの苦労話にするより、ポジティブアプローチに変えて生きていくことの方が遥かに重要だと思います。

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