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  ブルターニュ内陸の典型的風景

 もうずいぶん昔の話ですが、初めて訪れたフランスのブルターニュでもう亡くなった妻の祖母の80歳の誕生日に招待されたことがあります。集まった50人くらいだったと記憶していますが、眼前に広がった光景に感銘を受けたことを深く記憶しています。

 何に感銘を受けたかというと、その集まった人々の背後に日本で感じたことのないゆったりとした時の流れを感じたことでした。それに世代間のギャップがなく、まるで若者も年を取れば、集まった高齢者と同じようになるという連続性を感じたことでした。

 パーティーは6時間続き、最初は男たちの数人が会場横にあるバーで一杯飲み、その後、みんなが席についたのですが、席順を決めるのにも時間が掛かりました。それはけっして揉めているというより、誰が誰の近くに座りたいといったほほえましいものでした。

 それから、アペリティフから始まり、食事はなんとパーティー中続きました。その間、皆1人1人が贈り物を持って祖母に私に行き、キスをして言葉をかけ、さらに踊りが始まりました。その時、驚いたのは年齢に関係なくパートナーを選び、おばあさんと20代の若者が一緒に踊る風景にも感銘を受けました。

 皆、祖母の話をして「いい人生を送ってきたよね。自分も年を取ったら、ああなりたい」という若い女性の言葉を聞いて、その光景を見ながら、この人たちは日本人のように親や祖父母とは違った老後が待っているとは考えていないのだと感じ、その背後にある雄大な自然、ゆったりとした時の流れと変わらない過去、現在、未来が繋がった人々の営みを感じました。

 場所はブルターニュの田舎町にあるパーティーにも使われるレストランでした。私は個人的かもしれませんが、自分は親とは違った人生を歩むんだと思い込んでいたのが、そのまるで何千年も前から同じ営みを繰り返してきたゆったりとした時の流れに触れて、人生観を根底から変えさせられたような思いでした。

 特に地方都市から都会に出た人間が、最も忘れてしまいがちなことだと思いました。フランスの歴史人口学者・家族人類学者として知られるエマニュエル・トッドは、人口分布の研究から、ドーナツ理論を考え出し、たとえばパリを中心とした近代化された地域と、その外に広がるドーナツのリング部分にあたる地域があると指摘しました。

 ブルターニュやノルマンディー地方は、まさにドーナツのリングにあたる地域です。産業革命以来の都市化で都市に集まった人々の考えはリベラルなのに対して、その他の地方都市は近代化に遅れ、保守的と軽蔑されました。しかし、彼らはフランスの根底に流れる伝統の体現者であり、人の営みの本質を大切にしている人たちでもありました。

 参加したパーティーは、都会に出てもけっして新しいものを手に入れられるわけではないとも言いたげで、それは日本の地方の過疎化現象にも通じるものがありました。

 しかし、それ以上に感じたことは、雄大な地平線まで続く丘陵に、時々、小雨が降り、その後、雲の切れ間から差し込む太陽の光線が地上を照らす、そんなブルターニュの自然自体が、人生の様々な出来事と重なり、南仏にはない深い味わいのある人々を生み出しているように感じました。

 コロナ禍のリモートワークで働き方が変わる中、海に囲まれたブルターニュ半島の自然に吸い寄せられるように都会から引っ越してくる人も増えています。

 私は都会育ちではないブルトン人を妻にできた事を心から感謝しています。フランスでも最も強いカトリック信仰、ケルトの文化に支えられたブルターニュは、その後家族で住むことにもなりましたが、興味がパリに集中する日本人が知らないフランスのもう一つの顔がそこにはありました。

 DXの時代、コロカ禍で激変する世界の中で、生と死を超越した人間の普遍的営みというものを、立ち止まって考えるのも重要なことだと思います。

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