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 日本ではデジタル化が遅れ、コロナ禍が後押ししているのにDX(デジタルトランスフォーメーション)が進んでいないといわれます。もし今後のコロナ禍がもたらしたリモートワークが定着するとなると企業側も働く側も根本的にこれまでとは異なったことを考える必要があります。

 何事にも慎重な日本はワクチンの承認だけでなく、国産化も進んでいない現状で、その背景に国民性だけではない緊急時の意思決定の仕組みが確立されていない実態も浮上しています。企業にも同様なことがいえますが、経営陣の保身の悪習がDXの抵抗勢力になっている場合もあるでしょう。

 とはいえ国とは違い、生き残り(この表現は嫌いですが、今は現実)をかけた企業にとっては、変革は待ったなしです。特に働き方を根本的に見直すことが求められ、特にリモートワークで効率化や生産向上を支える個々人のモチベーション、会社へのエンゲージメント、チーム力を高めるのは大きな課題です。

 今、欧米のビジネススクールでは、産業化が定着した20世紀初頭に提唱されたフレデリック・テイラーの科学的管理法が再注目されています。労務管理で労使双方の不満を解消する目的もあって提唱された同管理法の中核は、従業員に課される業務量、いわゆる課業を客観的に設定することです。

 1日に設定された課業(ノルマ)を達成すれば給与を割り増して払い、達しなければ基本給のみ払うという方式で、従業員のやる気を引き出すという管理法でした。さらに作業を標準化するために、作業に掛かる時間などの平均値を出し、計画的管理や職能別グループ化につなげました。

 この科学的管理法は、労働争議でも活用されるようになり、職場の改善につながった例もあることで注目されました。無論、製造業中心の時代の産物で、業務が複雑化し、ITが導入され、デスクワークが増えたことで中身も変わりましたが、作業量と時間の管理は今でも課題です。

 ところがテイラーの理論は従業員の人間性への配慮がなく、まるでロボットのように扱っているという批判もあり、アメリカの心理学者、エルトン・メイヨーは働く者の心理に寄り添い、組織における人間的側面の重要性を重視し、人的マネジメント理論に人間関係論を展開し、注目されました。

 いずれも20世紀初頭から中庸に提唱された理論ですが、結論的にはテイラー理論はパフォーマンスに重心が置かれ、メイヨー理論は人的管理に重心が置かれているという意味で、日本の社会心理学者、三隅二不二(みすみ じゅうじ)が1966年に提唱したPM理論で解決できる問題のようにも見えます。

 つまり、パフォーマンスとメインテナンスのバランスをどうとるかということです。日本の高度経済成長期を支えたのは、日本人独特の組織への忠誠心や終身雇用、年功序列が指摘されていますが、テイラー理論から言えば、非常に高いノルマを与えて過重労働を強いながら、メイヤー式には、夕方以降に上司と部下が毎晩のように飲み食いすることでメインテナンスしていたといえます。

 今はコロナ禍で飲むことを中心とした会食ができないためにメインテナンスが手薄ですが、バブル崩壊後、会社から家に直帰する若い世代が増えたことで大きく変化しています。これは健全な変化で、日本にもようやく家族を尊重し、プライベートな生活を充実する考えが定着しようとしています。

 今は、企業戦士時代の生き残りが経営陣にいて、DXにもついていけず、家族を軽視した働き方に慣れている世代が、夕方からの飲み食いもできず、戸惑っている状態なのでしょう。会社のDXが進まないことに苛立つ若い世代は将来に不安を感じ、このままでは世界の競争に勝てないという予感が広がっているように見えます。

 私は教育において自主性、自律性を育てることが日本には急務なようの思えます。その上で労使の信頼関係をリセットする必要があるのだと思います。強固な信頼関係がなければリモートワークは成り立ちません。古くて新しいテーマですが、テイラーやメイヨー、三隅の残した管理法を再検証し、進化させる時が来ているといえるでしょう。

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