Mulhouse annour mosuquee
    ミュルーズに完成した超モダンな大モスク内部

 パリ郊外で16日夕方、中学校教師が斬首殺害された事件はフランス国民に衝撃を与えました。犠牲となったサミュエル・パティ氏への追悼が続く中、フランスでは再びテロの脅威に対して国民の間に不安が拡がっています。同時にテロのきっかけとなった「表現の自由」問題の議論が活発化しています。

 今年9月に始まった2015年1月に起きた風刺週刊紙シャルリー・エブド編集部襲撃テロの裁判は、信仰への冒涜は表現の自由によって容認されるかが争点です。歴史教師のパティ氏は、授業で同問題を取り上げたそうです。

 彼は生徒にシャルリー・エブド紙に掲載されたイスラム教が描くことを禁じる創始者ムハンマドの裸のグロテスクな風刺画を授業中に見せたことが反感を買い、殺害の動機になったとされています。

 実はテロは起きなかったものの、教師がムハンマドの風刺画を授業中に見せたことが問題になったのは、初めてではありません。ちょうど、シャルリー・エブド襲撃テロが起きた2015年1月7日の10日後、フランス東部ミュルーズで教師がムハンマドの風刺画を見せたことで、教師が4か月の停職処分を受けています。

 ドイツ、スイス国境に近いミュルーズは、昨年、モダンな大モスクが開館したイスラム教の盛んな地域です。同時にユダヤ人も多く、当時、イスラム教徒たちは教師の行為に対して抗議デモを行ない、教職員組合が教師の処分に抵抗したものの、自治体によって停職処分が決定しました。

 当時、自治体はミュルーズという宗教的対立が起きやすい地域でテロの懸念もあり、停職処分を下したと見られます。ミュルーズから北のアルザス地方では、すでにユダヤ教の墓がナチの鍵十字で落書きされたり、イスラム教徒の墓地が荒らされ、シナゴーグやモスクの放火事件は、20年以上前から続いています。

 つまり、反ユダヤ、反イスラムの極右ネオナチと、過激なイスラム教徒、ユダヤ教徒の対立の激しい地域で、特にイスラム教徒とユダヤ教徒の対立は、イスラエル・パレスチナ情勢に左右されて来ました。

 しかし、教師が停職処分になって5年が経ち、シャルリー・エブド裁判で再び、信仰への冒涜と表現の自由問題が浮上し、今度はマクロン仏大統領が「表現の自由の原則からすれば信仰の冒涜も許される」と発言したことやイスラム指導者イマームの再教育を国家が行う方針を打ち出したことから、在仏イスラム教徒の間にも怒りが高まっています。

 メディアに登場する専門家の多くは非宗教的なリベラルな思想の持ち主が多いので、パティ氏の行為を支持する声が多いのですが、フランスではカトリック教会の衰退は顕著で、宗教そのものが社会の隅に追いやられている状況なので当然といえるかもしれません。

 カトリック系の仏紙ラ・クロワは、今回の事件当日の事件前に発行された新聞で、シャルリー・エブド裁判に関するロジェ・ピーター神父の寄稿を掲載しています。神父は「表現の自由を行使するには、その表現への責任が伴うはず」とコメントしています。

 同神父は「ムハンマドを冒涜する風刺画によって、フランスで生きていくことを選んだイスラム教徒が傷ついていることは確かだ」と指摘し、「彼らの気持ちに寄り添いたい」としながらも、過去に同紙がイエス・キリストやローマ教皇を冒涜した風刺画を載せたことで、キリスト教徒の多くも深く心を痛めたが、風刺画を描いた漫画家を武器で襲撃したことは一度もない」とも書きました。

 一方、フランスのユダヤ社会も揺れています。フランス・イスラエル間の商工会議所の正式ホームページ「イスラエル・バレー」では、被害者の名前がユダヤ人に多いサミュエルだったことから、ユダヤ人が標的だったという懸念を伝えました。さらにフランスへのイスラム過激派のテロ攻撃が新たな段階に入ったと指摘しています。

 フランスでは、2012年3月に仏南西部トゥールーズ周辺で起きたテロでユダヤ人学校の校長や生徒らが殺害されました。現在、ユダヤ関連施設は警察の特別警戒体制の対象になっています。

 今回の問題は表現の自由ばかりが強調されていますが、実は問題の本質は、この国が保障している「思想、信教の自由」と「政教分離(ライシテ)」の問題です。表現の自由はライシテの原則から肯定されていますが、一方の信教の自由が示す人の信仰を尊重する精神は無視されています。

 フランス共和国の基本原則は、 国家の中立的な立場から、信仰表明が公の秩序を乱さない限りにおいて「信教の自由および思想・良心の自由」を保障するというものです。ただ、すべての信念の中には宗教だけでなく、無神論も含まれています。シャルリー・エブド編集部は無神論者、非政府主義者の集りです。

 マクロン氏の理屈は、公の秩序を乱さない限り、信念の自由は保障されるというわけですが、実際は無責任な信仰冒涜の風刺画が、十分に社会は混乱に陥れています。前出の仏紙ラ・クロワは、別の神父の意見として「全ての宗教や信念は平和を実現するためのものではないのか」とし、その尺度で表現の自由を考えるべきと書いています。

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