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  2度もテロのあったパリ11区のニコラ・アベール通り(筆者撮影)

 パリ市内の路上で今月25日、仏風刺週刊紙、シャルリー・エブド旧編集部が入っていた建物前で、男女2人が大型刃物を持った男に襲われる事件が発生しました。逮捕されたパキスタン国籍の18歳の実行犯の男は、襲撃の動機について、シャルリー・エブド紙が今月、ムハンマドの風刺画を掲載したこと挙げています。

 2012年3月にフランス南西部トゥールーズ周辺で起きたイスラム過激思想に染まった容疑者が単独で仏兵やユダヤ人学校を襲ったテロ以降、ローンウルフ型といわれる単独犯によるテロが増えています。テロが発生すると背景捜査が行われ、実行犯の後ろに組織が存在するのが常識でしたが、近年は個人の思いつきでテロを実行する例も増えています。

 理由は、テロ対策の監視は、組織的繫がりを重視しているため、準備段階でテロ計画が発覚しやすいのですが、ホームグロウン型の単独犯の場合は計画段階で発覚しにくいからです。実は2015年のシャルリー・エブド襲撃テロ犯も、わざわざテロ組織との関係を絶った上で実行したことが分かっています。

 ローンウルフ型テロが増えることで、当局の監視は困難を極めています。危険人物監視リストに載っていない人物が、いきなりテロを実行する場合、事前阻止は非常に困難です。中東あたりに存在するテロ組織は、社会に不満を持つ人間にテロを呼び掛けるだけで、個人がそれに呼応してテロを実行するのは都合のいいことです。

 それはともかく、今回逮捕された犯人は、9月2日に始まったシャルリー・エブド襲撃事件の裁判に合わせ、シャルリー・エブド紙が表現の自由を主張するため、再度、イスラム教で禁止されているイスラム教創始者ムハンマドを描写した愚劣な風刺画を掲載したことへの怒りが動機だったと供述しているようです。

 実は私も何度も訪れたことのある5年9か月前に起きたテロ事件と今回のテロの現場であるパリ11区のニコラ・アベール通りの旧シャルリー・エブド編集部のあったビルは、イスラム聖戦主義に傾倒する者にとっての「テロの聖地」になっています。今回逮捕された男はシャルリー・エブド編集部が他の場所に移転したことを知らなかったようです。

 被害者は同じビルに入っているテレビ制作会社、プリュミエール・リン・テレビジョンの30代の従業員でした。もし犯人が本当にシャルリー・エブド編集部の移転を知らずに襲撃したとすると、標的誤認だったことになりますが、このテレビ制作会社もルポルタージュ専門の結構刺激的な番組作りで知られており、結果的にまんざら完全に誤認ともいえないかもしれません。

 シャルリー・エブド紙を巡っては、宗教指導者を冒涜する愚劣な風刺画を何度も掲載することで、メディアの表現の自由の正当性を主張していることが、裁判の争点になっています。同問題では仏国内の穏健派のイスラム教徒の間でも反発が拡がっています。

 さらにマクロン仏大統領が「(信仰)冒涜もメディアの表現の自由で権利だ」との見解を示したことも波紋を呼んでいます。同件に関しては、非営利のネット監視団体「反過激派プロジェクト」の情報で、今月の公判前に過激派組織アルカイダのイエメン分派と関連のあるメディアグループが、風刺画に対抗してフランスでの攻撃を呼び掛ける声明を出したことが明らかになっています。

 シャルリー・エブド編集部襲撃事件で殺害された編集者やイラストレーターには極左、無政府主義者など宗教を完全否定するリベラル思想の持ち主がほとんどで、過去にはムハンマドだけでなく、ローマ・カトリック教皇を冒涜する風刺漫画も何度か掲載しています。2015年の事件当時、同紙はフランスがイスラム化する危機感を風刺画で表現しました。

 フランス世論研究所(IFOP)の今年2月の世論調査では、宗教への冒涜は認められると答えたのは約50%で、残り半数は冒涜には限度があると答えています。特にムハンマドの肖像描写を禁じるイスラム教の教義を無視するだけでなく、愚劣なムハンマド像を描くのは限度を超えていると考える人も少なくありません。

 フランスでは1789年の大革命以降、政教分離が進んだだけでなく、宗教、特にカトリック信仰に対する侮辱や冒涜を犯罪としないヨーロッパで最初の国となった歴史を持っています。20世紀初頭、ライシテと呼ばれる政教分離の世俗主義は法的にも定められました。

 理由の一つは、あまりにも長い年月カトリック教会が君主制の時代に権力にすり寄り、既得権益を持ち、影響を与え続けた過去かと決別するためでした。しかし、それは大量のアラブ系移民が持ち込んだイスラム教に対しても、イスラム女性が頭部や全身を覆うスカーフやブルカを公の場で着用することを禁じることに繫がり、結果的にイスラム教排斥にも繋がっています。

 パリ政治学院の政治神学者アナスタシア・コロシモ教授は、「反宗教主義あるいは無神論者は、フランスではますます攻撃的になっている」と指摘しています。政府は移民の同化政策だといいますが、個人の信仰を冒涜し排斥するのは逆効果になっています。

 北アフリカ・マグレブ諸国から受け入れたアラブ系移民が人口の1割を超えるフランスでは、彼らへの差別がライシテで正当化されていますが、私の友人で国会議員だった故セラーク氏は「ライシテと同時にわが国は憲法で信教の自由も定められており、宗教冒涜は大きな矛盾だ」といっていました。

 英国は信教の自由に比重が置かれているので、役所のカウンターでも電車の中でもスカーフをしたイスラム女性や、ターバンを頭に巻いたシーク教徒を見かけますが、フランスは禁止しています。大革命以来、宗教を社会に片隅の追いやってきたフランスでテロが止む気配のないのも当然といえそうです。

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