leadership

 新型コロナウイルス対策でも「安倍政権はうまくやっている」というのが一般的な国際評価であり、経済運営でも先進国の中では「安倍政権は大きな失点はない」と見られています。国内保守派も総裁選では安倍政権の継承に総意があるように見えます。しかし、継承はうまくいくのでしょうか。

 「日本はうまくやっている」というコメントは国内外のメディアから聞こえてくることは多いのですが、それは日本人の国民の平均的知性レベルが高いこと、格差が拡がっているといっても欧米ほどの貧富の差がないこと、個人より集団の利益を優先させてきたこと、政治が安定していることなどが挙げられると思われます。

 そう書くと、日頃、安倍政権に批判的な人は不快に思うかもしれませんが、欧米の教育格差の現実は驚くべき状況にあり、アメリカやフランス、英国、ドイツなどでも勉強についていけないマイノリティー家庭の子供には冷たく、義務教育の途中で学校をドロップアウトする青少年は少なくありません。

 彼らが窃盗、傷害事件、麻薬売買に手を染め、治安を悪化させ、社会を不安定化させています。さらには彼らの中からテロリストも生まれています。差別と貧困、犯罪から抜け出せない状況の中、治安を守る警察は強硬な態度に出ざるを得ない悪いサイクルが出来上がっています。

 これは古くて新しい課題で、1970年代後半から80年代にかけて荒廃したアメリカの大都市のマイノリティー居住地区をテーマにしたアメリカ映画は少なくありません。それは収まっているかといえば、残念ながらそうではないために黒人差別への抗議運動も起きています。

 騒乱の鎮圧のために軍が動員される状況は日本にはありません。市営住宅などの貧困地区がテロリストの温床になっているとか、一般市民は危険で歩けない地区があるという状況も日本にはありません。フランスのように2年間も反政府の黄色いベスト運動で毎週末は繁華街が封鎖されることもありません。

 逆に言えば、国民があまりにも道徳基準が高く、優秀なので政治家に実力がいらないともいえます。優秀な官僚が作った政策を政府が施行しさえすれば、あとは真面目に国民はついてくる国など、そうはありません。マスクさえも着用義務への反対運動が起き、罰則のある措置がなければ国民は政府の要請を守ったりしない国が普通です。

 つまり、大した強いリーダーシップはいらないともいえます。報連相で管理するやり方も「人は嘘はつかない」「作り話はしない」という性善説が通用する日本社会だからこそのマネジメント手法です。上が下に対して進捗を厳しく管理する必要性も感じていません。

 日本では長く続いた官僚主導と縦割行政を脱却するため、政治主導に切り替えるため内閣府ができ、内閣人事局で各省幹部約600人の人事を行うようにしました。その制度はまだ、6年しか経っていません。意思決定権を持つ政府の方針に各省は従う体制を整えたように見えますが、弊害も出てきています。

 1980年代後半、欧米日本が中心となって立ち上げたビジネスプロジェクトに関与し、その時、意思決定や権限、人材配置で論争したことを覚えています。アメリカ出身者が「トップに選ばれた者が自分の意に沿うエグゼクティブスタッフを決めるのが当然だ」といい、「それでは権力が暴走する」と日本側が抵抗したことを覚えています。

 今の日本政府は、その欧米型の意思決定スタイルを踏襲しようとしていますが、その前提になる意思決定の透明性、徹底した議論、ヴィジョンを共有するためのリーダーの発信力、説得力はあまり論じられていません。政府が決めた政策に疑問を呈する官僚は排除されるだけでなく、昇進もできなくなる状況も生まれ、官僚の士気があがらないだけでなく、優秀な人材の官僚離れも起きているそうです。

 つまり、権限の棲み分けはできたのみで、リーダーシップの素質そのものへの問いかけ、マネジメントの仕方は未成熟なままに見えます。成功する組織は実力者が群雄割拠し、競争原理が働くと同時に自由に異なった意見がいえる環境があり、リーダーは強権を発するだけでなく、多くの意見に耳を傾けながら、最大限の納得感、共感を全員に与えるリーダーが必要です。

 その意味で日本の政治は過去にない大きな岐路に差し掛かっているように見えます。それに日本のトップリーダーは、いつの時代より日本のアイデンティティを明確にする必要があります。

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