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 世界中で新型コロナウイルス感染防止のロックダウン(封鎖措置)が解除されて1か月、第2波懸念が高まる中、欧米のビーチやナイトクラブで裸に近い姿で若者が酒を飲み、マスクもなく3密状態で踊り狂う姿が報道されています。日本でも狭い飲食店でクラスターが起き、東京では営業時間縮小要請が出ています。

 危機的状況に陥ると人の醜い面が出てしまうような印象を与えています。地震などの自然災害が起きると、日本はそうでもありませんが、多くの国ではスーパーや高級ブティックから略奪する醜い犯罪が横行するのが常です。

 しかし、考えてみれば、ロックダウンで溜まったストレスを発散させるためにナイトクラブで踊り明かし、居酒屋に人が集まっているかといえば、多少はその側面もあったとしても、実はコロナ禍でなければ、ただの日常です。醜く感じるのは共に困難を乗り越えなければならない非常時に不謹慎じゃないかと思うからです。

 確かに人間は困難に直面すると、自分を守るために保身に走ったり、自暴自棄になるという側面もあります。しかし、同時に今年も梅雨の時期の豪雨で起きた洪水被害地域には、多くのボランティアが集り、地域住民は片づけを共同で行い、自発的に焚き出しを行ったりしています。

 東日本大震災では多くの悲劇が起きた一方、語り継がれる良心的行動をとって亡くなった人々がいたことは、いつまでも人々の心に残っています。水に浸かり死の恐怖に怯えるドイツ人旅行者夫婦を命懸けで救い出した若者は「当り前のことをしただけだ」と語りました。

 こんな疫病の危ない状況の中で居酒屋やナイトクラブに行く人、アメリカのビーチで踊る若者たちは確かに目立ちます。ところが実際には数の上からすれば例外にしか過ぎない。皆がマスクをすれば、マスクをしない人は目立つのと同じです。疫病や自然災害で注目すべきは人間が社会的存在だということを再認識させてくれることです。

 大都市では、あたかも自分個人の力で生きていると錯覚する人は少なくありませんが、実は多くの人々に支えられて生きている。それを困難な状況が再認識させてくれます。日頃は嫌っている近所の人とも生存のために助け合う必要に迫られ、案外思い違いをしていたことに気付かされたりします。

 東日本大震災では近隣の生き残った人々の関係が、より緊密になったという話も聞きます。大規模な自然災害や疫病は一人では立ち向かえないものです。そのために協力関係構築は必須です。それが自然にできてしまうのが、皮肉にも危機的状況がもたらしたものです。

 阪神淡路大震災の時、当時、町を徘徊していた茶髪の不良青年たちが、人が変わったように高齢者を瓦礫から救い出し、活躍したことを記憶しています。彼らが不良と化した原因の貧富の差や家庭崩壊などの前提が目の前で崩壊すると、彼らの心の中にあった本来の優しい心が蘇ってきたかのようでした。

 今、コロナ禍で利益を度外視した様々なサービスが行われてきました。高級料亭が医療現場に弁当を無料で配布し、買い手のいない命の短い花を無料で配る花屋も現れました。こんな時だからこそ、解雇は絶対にしないと頑張る経営者もいます。人を助けたい、喜んでもらいたいという精神は、ビジネスの基本でもあるということを思い起こさせてくれています。

 小さな飲食店など、小規模なビジネスほど、良心が失われないといえるかもしれません。大きな組織はリーダーに社会に対する良心がなければ、腐敗するのもあっという間です。いかに利他的動機をビジネスに与えるかが重要ということを、この困難な状況が教えているともいえます。

 危機的状況に追い込まれた時、醜い面も表面化すると同時に、心を浄化するチャンスにもなるというには、癌宣告された人が人生と向き合い、自分にとって大切なものは何かに気付き、新たな人生の出発点にした人が少なくないことが物語っています。人生がうまくいっている時には気付かなかった重要なことを危機が教え、リセットできたということです。

 日本人は、本来備わった公衆道徳と忍耐心、人を気遣う心を発揮し、人も組織も再生させるチャンスだと受け止めることが重要かと思います。感染抑止か経済かという選択肢ではなく、人を思いやる善良な心こそが困難を乗り越える鍵になるということを、日本人は敗戦から復興で学んだはずです。

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