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 コロナ禍で分らないことだらけで先が見通せない今、その不確実性が人間に大きな不安とストレスを与えています。今のところ確実に効果を上げるワクチンや治療薬が普及していない以上、感染に怯えながら生きていくしかない状況で、目に見えないウイルスがもたらす不確実性は心に大きな重荷です。

 従来、問題解決能力が高いといわれる人間は、不確実性を迅速に排除するスキルが高い人間を指します。遭遇する問題(不確実性)への分析力、現状把握能力に優れ、科学的知見、経験知や直感も加わって解決のための行動の優先順位を即座に決定するスキルが高い人間を「できる人間」といいます。

 ところが今のコロナ禍の対応がそうであるように、問題の本質が前代未聞で専門家でさえ読みにくいのと似ているのが異文化対応です。ある自動車部品メーカーのグローバルビジネス研修でタイの支社長で赴任しながら、1か月で自分には無理だと感じ、日本に引き上げた人から話を聞きました。

 その人は、会社の中では3本の指に入る優秀な人で、部下の質問には非常に的確な支持やアドバイスを行うことで知られていた人です。確かにケーススタディなどでも見事な答えを出していました。いわゆる日本では「できる上司」でした。ところがタイで同じようにやれると考えていたのが、まったく思うようにタイ人スタッフが動かず、完全に自身を失ったといいます。

 海外の日系企業の現場でよく聞く話は、日本側から送り込まれた駐在員のリーダーの自分に対する仕事評価や日本側の評価と、ナショナルスタッフの評価が大きくズレていることが多いことです。帰国後武勇伝を語る人もいますが、実は現地では評価されていなかったという話は少ないとはいえません。

 異文化理解、異文化対応は不確実性と隣り合わせです。異なる文化的背景を持つ部下を持つ「仕事ができる」人から相談を受けた例で、その人の口から飛び出したのは「文化の違いではなく、人間としていい悪いかでしょ」という言葉でした。つまり価値観の問題です。

 日本人には日本人の常識(コンテクスト=文脈)があり、異文化に対しても「できる人」は迅速に処理しようとします。ところが異なるコンテクストを持つ相手が、こちらが持つコンテクストに従うだろうといい思い込みは大きな間違いです。コンテクストの違う人間が互いに理解し合うには非常に長い時間が必要です。

 できる人間は、自分の前に立ちはだかる不確実性に対して、往々に自分の持つコンテキストを普遍的なものと勘違いし、それを押しつけて迅速に解決しようとします。たとえば、日本人にとって嘘をつくことはとても悪いことです。ところが戦争を繰り返してきた大陸では生き延びるための嘘は必要と考えられています。

 正直なだけでは、自分を攻撃し支配しようとする人間に対抗できない場合、嘘をつくことも処世術、生きる方便です。つまり、日本人の常識は通じないわけですが、自分の常識に自信を持つ人は簡単に相手を裁き、その間違った考えを正さなければならないと考えてしまうわけです。

 今は東南アジアなどの新興国、途上国に仕事で行くケースが多いため、特に教えることが多く、独善的になりやすい環境があります。ところがそういう人は成功していません。特に「いい、悪い」という価値観を持ち出すことは慎重さが要求されます。

 上海で出会った現地で評価されている駐在員は、中国人は日本人以上に損得で動くことを理解したので、真面目に働かない中国人、不正を働く中国人に対して「あなたがそんなことをしていると、あなた自身が損する」というようにしたら、同じ問題を繰り返さなくなったといっていました。

 コンテクストの違いは不確実でネガティブな側面があると同時に、新しいアイディアを出したり、問題解決に意外なアプローチがあることを見つけられるというダイバーシティ効果が注目されています。その時に「いい、悪い」の価値観を持ち出すのは、いい結果に繋がりません。

 それより「よりベターなものを引き出す」という共通の目標を掲げるべきです。そこで問題になるのが異文化への無知です。知ってみればなるほどと思うことも多い異文化ですが、分らなければ、いつまでも不確実性がネガティブに作用します。自分のコンテクストを過信している人は異なる文化から何か学びとろうという意識も希薄です。

 今は世界はグローバル化疲れで、自分の持つコンテクストに一旦退避する時期に来ているように見えます。そのためナショナリズムがぶつかりやすい状況です。たとえばアメリカは中国の近代化に関与することで人々は自由を求め共産主義体制は崩壊すると考えたことは間違いだったと今、いっています。

 アメリカ人及び、ヨーロッパ人のコンテクストからすれば経済発展すれば、人は自由と民主主義を求めると考えたのが、中国には当てはまらなかったというわけです。内乱に次ぐ内乱で馬賊に命を脅かされてきた中国人からすれば、中国共産党政権は平和と経済発展をもたらした有り難い存在です。

 つまり、異文化の読みが浅かったということです。独善的な人間観や価値観が悪い結果をもたらした典型的な例といえます。日本人は逆に何でも曖昧にする傾向がありますが、これは異文化に必要な柔軟性や寛容さとは種類が違うものです。その曖昧さは不確実性を取り除く役には立ちません。

 とはいえ、自分の中で正しいと思っていることが確実性をもたらしていることも事実。異文化では自分の中で当然と思っていることを上書きする必要があります。それは度量の大きな人間を作るという意味で低い次元のコンテクストへの過信から抜け出し、自分の成長に繋がることでもあります。

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