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 新型コロナウイルスの感染第2波の到来で、日本や他の先進国も経済回復が一進一退状態に陥っています。そんな中、体力のない企業から姿を消しつつあり、飲食店や観光業などコロナ禍で直撃された接客業、サービス業の苦戦や倒産が連日報道されています。

 長期化すれば、小規模の接客業だけでなく、小規模の企業の多くが生き延びる術を失う可能性があります。そこで見えてくるのは、深刻なビジネスリスクに見舞われた時の経営判断。たとえば個人が立ち上げた小規模の飲食店は、店主は当然、毎日、厨房に立つ料理人です。

 食材の仕入れから仕込み、開店中は厨房に立ち続け、終われば片づけから経理まで、全て店主と大抵はその妻が長時間労働でこなしています。信念は客が喜ぶものを提供し続ければ、商売は必ず成功するというものです。小規模ビジネスでは大抵の場合、経営者は自らビジネスの最前線で実務に追われています。

 そんな状況で高度な経営判断を下せるかといえば、その能力のある人もいますが、大抵は仕事に追われているだけです。東京で理髪店を営む知人は若い時は10年以上、大規模な理髪チェーン店で働いた経験があります。腕もよく、店長を5年以上した後、今は独立して自分の理髪店を営んでいます。

 コロナショック直前に店の場所を変え、広めの店舗にリニューアル開店した矢先に政府が緊急事態宣言を出したそうです。周囲は心配しましたが、客への検温、アルコール消毒、待つ客の距離を取るなど徹底した衛生管理を行い、大きな収益の落ち込みもなく、店を続けているそうです。

 その店主の話では、もし、チェーン店に勤めた経験がなければ、パニックに陥っていたかもしれないということでした。その経験とは合理的な経営ノウハウにあり、店舗設置のマーケティング、客の呼び込み方、お金の流れの管理、設備投資の計画性、人の採用と管理の仕方などを習得していたことで危機をなんとか乗り越えられたという話です。

 多くのサービス業、接客業では、経営者自らビジネスの最前線に立ち、仕事に忙殺されています。大企業でさえ管理職に就く人がビジネススクールで経営を学んだわけでもない日本では、中小企業の場合は経営のノウハウより、職人としてのスキルが問われるだけです。

 日本の場合は長年、大企業も含めて職人文化が根付いており、一流大学の学歴があっても単純な仕事から初め、下積みを経験することを重視してきました。若者が重責に就くのはIT系くらいですが、彼らも実務に忙殺されている場合が少なくありません。

 この浸透しきった職人文化には現場主義、経験主義のメリットもある一方、頭脳戦には弱いというデメリットもあります。職人はある技術に特化した専門性の高い人材を作すにはいいシステムですが、リーダーとして高度な判断を下すスキルが磨かれるわけではありません。

 アメリカでも管理職候補者は日本と同じように様々な分野の経験をさせられていますが、最初からリーダーとしてやっていくためのノウハウを学ぶのが目的です。ビジネススクールでMBAを取得した人材がほとんどです。

 職人文化の中核をなす徒弟制度のデメリットは師匠以上にはなれないことです。師匠が経験したことのないことを学ぶことはできません。今は100年に1度の大規模な産業革命といわれるデジタル化時代にコロナ禍が重なり、多くのビジネス分野が予測不能な未知の領域に突入しています。

 経験主義で過去からのビジネスモデルを繰り返し、実務に追われているようでは生き残るのも難しい状況です。リスクはチャンスと受け止め、新たなビジネスモデルを模索する時が来ています。そんな時代に資金力もなく、実務に追われるばかりで考える時間も新しい体制を整える時間もない中小企業が危機に追い込まれるのは当然の話です。

 昔ながらの商店街が町から消え、世界的にチェーン化した店で埋めつくされ。今ではその世界的チェーン店でさえ、倒産が相次ぐ時代です。足かせになっている職人文化の改善は急を要しているように見えます。

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