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「象徴的構成」オーガスティン・ルサージュ 1928年 c Claude Theriez c Adagp, Paris, 2020

 東洋には先祖崇拝など死者を意識した習慣が生活に根付いており、日本には生と死を同等に扱う武士道もあります。一方、カトリック信仰をルーツに持つフランスでは、東洋ほどに霊魂を重視する習慣はなく、東洋文化にも詳しい教会の神父に聞いてみても「東洋のような来世観とは違う」といいます。

 その神父がいうには「カトリックにおいては、死後の世界の存在は明白な一方、中世までは善行を実践すれば、死後、イエス・キリストとパラダイスに住むことができるが、悪行を重ねれば死後、地獄に堕ちると」と教会は教えたという一方、聖書に明確な霊界の実相を説明した箇所はないといいます。

 16世紀にバチカンのシスティナ礼拝堂にミケランジェロが描いた「最後の審判」にその場面が明確に描かれています。多くの人々が聖書を読めなかった時代の単純な天国と地獄の2元論は信仰の核をなしたのは事実です。いずれにせよ、霊界の存在は死生観の中核に位置するものです。

 フランスではコロナ禍後の6月の封鎖措置解除で小規模美術館から開館され、今月6日にはルーヴル美術館が再開館されました。パリのマイヨール美術館では「霊魂、どこに? 来世を描く画家たち」展(11月1日まで)が開催されています。

 世界中のどの宗教においても、霊魂の存在、霊界の存在は教義の中核をなすものです。人間の肉体は死んで土に帰っても、魂は生き続けると多くの宗教が説いています。科学的に実証が困難で霊魂を否定する共産主義が世界を席巻した20世紀には霊界の存在は意識され続けました。

 2つの大きな大戦であまりにも多くの人々が亡くなったことで、人々の心は死後の世界を完全に断ち切ることもできず、むしろ1970年代以降、科学一辺倒の時代への反動で若者が霊魂の存在に関心を持つようになり、アメリカではテレビや映画のテーマになったりしています。

 「霊魂、どこに? 来世を描く画家たち」展では19世紀末から20世紀にかけて活躍した3人の通称「スピリチュアリスト画家」と呼ばれるオーガスティン・ルサージュ、ビクター・サイモン、フルーリー=ジョセフ・クレパンの100点以上の作品を紹介しています。

 彼らはキリスト教、ヒンドゥー教、東洋宗教、古代エジプトの信仰文化をもとにスピリチュアルで不思議な作品を描き出しています。3人は、いずれもフランス北部出身で画家を生業とはせず、鉱山労働者、配管工、またはカフェ経営でした。共通しているのは霊魂の内なる存在に目覚めた心霊主義者(スピリチュアリスト)で心霊術、交霊術に関わった人たちです。

 おりしも産業革命で科学が台頭し、無神論など宗教を時代遅れと信じる人が多数派を占める世の中の風潮に逆行したのがスピリチュアリストたちでした。米国で始まり、ヨーロッパに伝播された心霊主義の影響を受けた彼らは、世界に散在する宗教からインスピレーションを得て、豊かで神秘的な造形芸術を生み出し、周囲の芸術家にも影響を与えています。

 夢や自動記述が特徴のシュルレアリスムの先駆者、アンドレ・ブルトンなどに影響を与えたと言われますが、彼らはブルトンと違い、宗教的で魂の優位性を信じる心霊主義者でした。作品はイスラム教やヒンドゥー教美術に特徴的な装飾性、対称性が作品の主要な特徴です。

 日本でも過去には、仏教僧たちが中国から持ち帰った曼荼羅や様々な仏の姿を描いた密教図像を手本に聖なる宇宙をビジュアル化した多用な密教絵画が残されています。その一方で、幽霊や化物のおどろおどろしい存在をモチーフとした作品も少なくありません。

 宗教における霊魂は「永遠の世界」と深く関係しています。肉体を持った人生が終われば、全てが終わるというのと、その後に永遠の世界が待ち受けているというのでは、人生観や世界観そのものが根本的に違ってきます。人間は愛する人とは永遠に一緒にいたいと思う願望があり、幸福感は一瞬ではなく永遠に続くことを願うものです。

 霊の世界に想いを馳せることで、止めどない豊かな想像力が生まれるという側面もあります。つまり、霊の世界は芸術とは切っても切り離せない存在です。同時に今、時間空間を超えた世界に憧れる人間と霊界をデジタルテクノロジーが結びつけているのかもしれません。

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