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 「私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままに世界を見ているのだ。」というアメリカの作家で経営コンサルタントのスティーブン・R・コヴィーの有名な名言があります。この言葉を久しぶりに思い出したのは、反日韓国がエスカレートし、中国が世界に脅威を与えている現実をどう受け止めるべきかと考えさせられているからです。

 実は30年以上前にフランス人女性と結婚しながら、異文化理解にはまったく素人だった私は、フランスに住み初めて多くの過ちを犯してしまいました。それは当時、左派のミッテラン政権だったフランスに対して、いろいろな意味で間違っていると感じ、「この国は長くないだろう」と傲慢にも思ってしまったことです。

 時代遅れの社会主義、大学までの授業料無料、医療が無料に近いこと、家族手当、住宅手当、果てはバカンス手当まで、フランスの手厚い社会保障の菅らしさだけが日本では報じられていましたが、政府が給付する日本では想像できない高額手当はどこから拠出されるかと頭を傾げざました。

 社会主義的なシステムの中で暮らしてみて気づくことは、なんと自由がないのだろうということです。稼げば稼ぐほど政府に持っていかれ、職種は一種類しか認められず、猛烈に管理された社会です。一見、弱者を富裕層が支える高邁な思想が語られますが、所得格差は欧州1で平等社会とはほど遠い現状に偽善を感じました。

 アメリカ的な自由と資本主義を信じる人は、最初はパリの美しい街並みやカフェ文化に憧れてパリに住んだとしても長くは続きません。その社会主義的窮屈さに我慢できず、英国に逃げていくのが関の山です。私は逃げるわけにはいきませんでしたが、最初のうちは「こんなことをしていたら、この国は終わりだ」と何度も思ったものです。

 しかし、国が滅ぶことは、ほとんどの場合ありません。その国は長い長い歴史が育んだ文化や価値観があり、たとえばすべての人が週末完全に経済活動を止め、有給休暇に一か月以上費やしても、すべての人がそうしているので国は回ります。豊かな農産物や海産物、モード、香水、ワインなど世界に売る付加価値の高いものをフランスはたくさん持っています。

 どんな社会システムであったとしても、そうたやすく国が潰れることなどありません。たとえ国家がデフォルト(債務不履行)に陥り、国際通貨基金(IMF)の救済を受けたとして国が滅ぶことはありません。韓国もそうでした。

 にもかかわらず、人は自分の価値観にないこと、自分の価値観からすれば間違っていることが目の前起きると「この国は滅ぶしかない」などと極端な考えに陥るものです。国家は人間と同じで元気な時もあり、病気をする時もあり、経済的に困窮する時もありますが、それでもなんとか生き延びていこうとするものです。

 異文化を理解するには固定観念を一旦棄てることが重要だといわれます。私が30年前にとった思考は、その自分の固定観念でフランスという国を読もうとした過ちです。相手を間違っていると自分の価値観で裁いた瞬間に、それ以上、深い理解をしようという努力はなくなります。

 無論、当時は海外赴任前研究を受けたわけでもなく、異文化理解でやってはいけないことにも無知でした。そこから学習したわけですから、随分遠回りしたことになります。その経験から、たとえ日本人として、とんでもないと感じる、たとえば手段を選ばない中国の覇権主義や韓国の反日感情を利用して国をまとめようという言動に対しても、一歩下がって考えるようになりました。

 北朝鮮でさえ、世界中の人々が間違った体制と批判していますが、そう簡単には滅びません。興味深いのはアメリカのトランプ大統領が「アメリカの要求を受け入れれば、あなたの国は非常にポテンシャルが高く、発展できる」といったことです。相手が滅ぶことを望むとはいっていません。

 無論、内心、独裁体制は滅んでほしいと思っていることでしょうが、それよりアメリカは北朝鮮の暴発を避けるために国際社会の中に北朝鮮を引き込み、孤立させず、徐々に体制を変えることを期待していると見るべきでしょう。それに朝鮮半島の分断は国際社会にとってもいいこととはいえないので、その解消も期待されるところです。

 旧約聖書の創世記には、乱れきったソドムとゴモラの町の話が出てきます。神は最終的にその町を完全に滅ぼしてしまうわけですが、アブラハムを町に使わした神は「正しい者が50人いたら赦(ゆる)す」といったので、アブラハムは「正しい者が10人いたら」と食い下がり、結局は甥のロトだけ救出に成功した話です。

 国家が滅ぶことと信仰を結びつけるのは、現代社会においては違和感のある話ですが、ペストが流行した中世ヨーロッパでは大量の犠牲者が出たイタリアのヴェニスで貴族たちが堕落しきった生活をしていたので天罰が下ったと当時は信じられていました。つまり、神が見捨てたというわけです。

 今の日本に漂う嫌中、嫌韓感情には、日本人の価値観からいって許せないものが、あまりにも多いために拡がったものです。しかし、嫌悪からは何も生まれません。問題解決にもなりません。無論、譲れない価値観も必要ですが、こちらが間違っていると思っても相手は倒れません。

 それに倒れれば、日本も深刻な被害を受けることでしょう。憎悪は心の闇であり、その連鎖は異文化理解を遠ざけるだけでなく、結局は自分も苦しくなるのが常です。その憎悪の罠ははまらないことが異文化理解では重要と私は考えています。

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